第二話:欲望がない化け物
七日目の夜、雪は前よりも激しく降っていた。
屋根には氷が張り、鐘が鳴るたびに、霧のような霜がぱらぱらと落ちた。
暖炉には湿った薪がくべられており、今にも消えそうなほど弱い火が、かろうじて燃えていた。
蝋燭の油はなかなか溶けず、
部屋の中には、温もりも得られないまま、
埃の落ちる音さえ聞こえそうな静けさが満ちていた。
その命は、白い布の中にあった。まだ目覚めていない。その名もないこれは、夜にだけ泣く。ときには、泣くという仕草すら見せず、ただ口を開け、音も立てずに「泣いていた」。まるで夢の中で、名もない何かを呼んでいるかのように。
最初、執事はその存在は腹を減ったから泣いていた。彼は五つの液体を用意された。
三種の栄養剤にはそれぞれ違う血を混ぜていた。二種の鎮静濃縮液も試したが、すべて拒まれた。赤子は咬みつく欲も、吸いつく反応もなかった。泣き止んだわずかな合間でさえ、まるで「正しい」味を待っているかのようで、口を開けようとはしなかった。
アスイェは時折、その子に血を与えた。吸血鬼の食事に先立つ古い儀式もなく、決まった頻度もない。ただ石の座に腰を下ろし、自らの指先を赤子の口元へと差し出すだけだった。
その子は指を噛み、咥え、そしてすぐに離す。毎回ほんのわずかしか吸わない。まるで食べているのではなく、確かめているかのようだった。――あの味が、アスイェという存在が、まだそこにあるということを。
その夜、アスイェは出かけた。鐘楼で、彼に会いたい者がいるという。教会に残されたのは、執事とあの子だけだった。
暖炉の火は消えかけており、執事は厚手のマントを羽織って、ゆりかごの前に立ち、しばらくその子を見下ろしていた。
その子は眠っていた。いや、正しく言えば、「深い眠り」に沈んでいた。まるで冷たい夢の中に閉ざされたように、小さく身を縮めていた。
頬は蒼白《あおじろ》く、唇にも血の気はなく、それは生きた赤子というより、未完成の彫刻のようだった。
執事は、自分が責任感のない人間ではないと考えていた。任務は果たしている。ただ、冷ややかに、淡々と、それを作業として処理しているにすぎない。
この子に対しても、この役割に対しても、感情や意見を挟まないと決めている。
この子育ては、無意味なものだと思っているからだ。
皮肉なことに、あの気高きアスイェは、この最も汚れていて、退屈で、虚ろな育児を黙々《もくもく》と続けている。
――おそらく彼は、これを新しいゲームの一つだと思っているのだろう。
執事は久々に、強い嫌悪を覚えた。
――この赤子は、あまりにも異常だ。
――あまりにも、静かすぎる。
――そして何より、あらゆる育児の理に反している。
執事はそう思い、慎重に両手で布に包まれた赤子の体を抱き上げた。
その体はひどく冷たかった。執事は、まるで海の底から拾い上げた石を抱いているような感覚に襲われた。その抱き方はおぼつかず、どこかにためらいが滲んでいた。赤子をゆりかごから完全に持ち上げたその瞬間、かすかな音が聞こえた。
――錠が外れるような、小さな音だった。
次の瞬間、その赤子は目を覚ました。
目は開かれないまま。ただ、眉が微かに動き、口元がわずかに引きつった。そして、全身がぴんと張り詰めた。まるで脊髄を駆け上がった鋭い痛みに抗うように、全身がぎゅっと反応した。
突然、その小さな手が伸び、執事の胸元の衣を鋭く掴んだ。
本能的な攻撃ではない。噛みつくことも、声をあげることもなかった。
ただ――掴む。強く。まるで、逃れようとする獲物を縫い止めるかのように。
次の瞬間、執事の動きが、ふと止まった。腕に、言いようのない重さがのしかかったからだった。
それは、赤子の体重などではない。まるで、重力そのものに引きずられるような――抗いようのない、沈み込みの感覚だった。
抱えているのがひとりの赤子ではなく、地の底に根を張り、誰にも動かせぬ石碑のようなものだと、そう錯覚するほどに。
赤子は声を発しなかった。けれど、腕の中に積もるような存在の重みが、確かにあった。それは眠るものの執念か、あるいは――人ではない、何か異質なものの気配だった。
執事は黙って視線を落とし、指先の震えを、ただ見つめた。
「……閣下は、おまえに何を与えた?」
低く、擦れるような声で、ただ、それだけを呟いた。
冷静を保とうとした意志は、背に滲む冷や汗によって、静かに崩れつつあった。
その時、アスイェが戻ってきた。扉は音もなく押し開けられ、彼の足は一歩も乱れず、奥へと進む。
彼の目に映ったのは――目を閉じたまま、しかしなお執事の襟元を固く握り続ける赤子だった。
アスイェは何も言わなかった。視線すら向けず、足を止めることもない。ただ、定められた儀式のように、石の座へと歩み寄り、沈黙のまま腰を下ろす。
それは過去七日、寸分違わず繰り返された所作だった。そしてその瞬間――赤子の指が、執事の襟をそっと離した。鼻先がかすかに動き、まるで、長いあいだ探し続けていた匂いに辿り着いたかのように、その身は、静かに、音もなく落ち着いていった。
赤子は、再び眠りに落ちた。「この者は飢えていたわけではない。食を失うことへの恐れに、囚われていただけだ」アスイェは、ただ淡々とそう告げた。
その言葉に、執事ははっと顔を上げた。ようやく――赤子のすべての微細な行動の意味を、理解したのだ。
「……それでは、どうしてこの身は、アスイェ様がこの地を離れぬと知っていたのでしょうか」
だが、アスイェは何も答えなかった。
ただ静かにマントを整え、石の座にもたれかかる。そのまま、ゆっくりと目を閉じた。深い闇に、身を沈めるように。
その夜の雪は、音もなく降り続いた。夜明けに至るまで、ただひたすらに。
赤子も、それきり、一度も目を開けることはなかった。