第二十話:彼女はルビーを見えた
セラフィナが自ら言い出した。
――その特別な夜に現れる、血のように赤い、吸血鬼の目のような月を「見たい」と。
「『ダメ』って言うのはなし!今夜は、血の月の夜でしょう?セラは見たい!」
若い子は朝からそう宣言していた。
「危険だって、セラはまだ見てないからわかんないもん!」
そのあとも何度か同じことを言い、まるで決定事項のように準備を始めた。
準備する物の中に、自分の気に入りのマントも持ち出し、「これがあれば寒くない」と、自分に言い聞かせるように」
アスイェは「いい」も「ダメ」も言わず。ただ聞いていただけだった。
夜が来る前に、アスイェはついに折れた。
紅月が昇った時、二人は壊れかけた石柱の上に立ち、待っていた。
今夜は風が吹いていない。周囲には、奇妙な静けさが広がっていた。
その赤は、まるで溶け出した鉄のようだった。
セラフィナが紅月を見つめると、その溶け出した鉄のような赤が目から入り、体に熱が走った。
「……きれい……」
アスイェは彼女の後ろに立って、フードをわずかに落として、顔を影に沈めていた。
「アスイェもみたいの?」
彼は顔を上げた。
――セラフィナは、初めて彼の赤い瞳を見た。
普段は落ち着いた灰青の瞳。
それが赤く染まると、吸血鬼にしかない危険な生命力に満ちていた。
その瞳は、ルビーのように紅月の下で輝いていた。
その目につられて、セラフィナはとある欲望を感じた。
――食欲だった。
鼻が血の匂いにくすぐられた。
彼女は、自分の中に響く音を聞いた。
それは心臓――アスイェが持っていない、自分だけが持つ臓器の音なのか、それとも血管を流れる音なのか。
血管から出る音なのか――それも、セラフィナには分からない。
「アスイェは、むかしからこうなるの?」
アスイェは頷いた。
「セラはむかし、アスイェみたいなものが怖かった」
「……なら、今はどうだ?」
セラフィナは顔を上げ、彼を見つめて、そっと手を伸ばした。
いつものように、アスイェは迷いなく子を抱き上げた。
「コウモリにかわるの?」
「変わらない」
「なぜたべないの?」
「食べられない」
「アスイェがのんていたものをのみたい」
「だめだ」
「セラは、そのカフスボタン、すきよ」
「うん」
「もういらないの?」
「セラと、ひとつずつだと言ったはずだ」
「なくしたくない」
「付けていい。俺がマントに付けてあげる」
「なら、セラ、毎日つける!寝てるときしか取らない!笑わないで!」
「笑ってない」
「聞いたもん!」
彼は、わずかに笑った。
「アスイェ、いいにおい……」
彼女は食欲を抑えようと必死だったが、今はもう抑えきれないらしく、彼の腕の中で小さく動いた。
「降りたいのか?」
「ううん……あのね……セラは悪い子じゃないよ……ただ、少しだけ、シロップを飲みたい」
「……ミルクは?」
「ううん、ミルクはいらない。シロップだけ」
「なら屋敷に帰ろう。紅月は、もういいだろう」
***
屋敷に帰っても、セラフィナはまだやりたいことがあるらしく、落ち着かずにいた。
「……寝ないのか?」
「ううん、寝る」
そう言ってはいたが、セラフィナはなかなか横になれなかった。
何か言いたげに唇が動いたが、声にはならなかった。
「そろそろ自分で寝ろう」
セラフィナは部屋に入った時からずっと、アスイェの手を握ったまま、離さなかった。
「……アスイェの赤い目をみたいの……」
「さっき見たはずだ」
「きれいだから、もう一度みたい」
「噛まれたいか?」
「ち、ちがうの!みたいだけ!」
アスイェはセラフィナと目を合わせた。
「もし、吸血衝動が抑えられるなら、いくらでも見てあげる」
「うん!」
アスイェがもう一度顔を上げたとき、彼の瞳はすでに赤く染まっていた。
瞳が深紅だった。
それはまるで、ガラスの奥に液体が満たされているかのようで、静かで、波立たず、けれど濃く――目を逸らせない色だった。
彼女は思わず息を止めた。
セラフィナには言葉がなく、ただこの美しさを目に焼き付けていた。
だが、彼女の体が先に反応した。
指先が震え、体がざわついた。
その瞬間、アスイェに近づきたい衝動が湧いた。だがそれは自分の欲望だと知って、彼女は抑えた。
「もういいのか?」
セラフィナはふっとひと息を吐き出し、頭を縦に振った。
「……よく耐えたな」
セラフィナは骨が抜かれたように、泣きそうな声で言った。
「アスイェが我慢していたから……」
「食べるのか?」
セラフィナは本能に抗うように首を横に振ったが、やがて負けを認めた。
「……アスイェ……」
「うん?」
「ちょっと、血をもらいる?」
アスイェは自分の指をセラフィナの口元に近づけた。
「口を開けろ」
セラフィナはゆっくりと口を開け、彼の指が牙にかすかに触れた。血が滲んだ。
「ありがとう……」
この夜は、そろそろ終わりを迎える。――そして、幼子はまた少し成長していた。




