第十七話:爪
今夜は静かで、風も優しい――それでもセラフィナはよく眠れなかった。
彼女は小さく動き、わずかな違和感で目を覚ました。
自分の夢は覚えていないまま、無意識に拳を握りしめていた。
強く力が入り、袖が破れ、びり、と小さな音が走る。
セラフィナはゆっくりと体を起こし、破れた袖をしばらく見つめた。
腕をあげ、落ちかけた布をそっと目の前に持ち上げる。
まだ眠気の残る頭で、「服が壊れた」とようやく理解する。
そして視線を落とすと、自分の手の裏に小さな傷跡が残っていた。
ここは安全のはずだったから、傷を負っていることがおかしい。
セラフィナはしばらくベッドの上に座ってゆっくりと手を動かす。
手をにぎっては開き、またにぎっては開く……
それを何度も繰り返すうちに、セラフィナは気づいた。
あるときは力が入らず、次のときは強くにぎりすぎてしまうのだ。
やがて、彼女は諦めたように、手を下ろした。
足をベッドの外に垂らし、かすかに揺らしてから止める。
そのとき、アスイェがドアを開けた。
セラフィナはいつものように彼と目を合わせることはなかった。
アスイェの足取りは、今日も音がなかった。
瞬きの瞬間、セラフィナはアスイェの靴が視界に入った。
悪いことをして大人に見つかった子のように、肩をびくりと跳ねさせる。
子は口をかたくつぐんだ。息すら小さくなる。
アスイェは叱りもせず、ただ静かに手を差し出した。
小さな掌には傷があったが、血はもう出ていない。
「大丈夫か?」
子はゆっくりとうなずいた。
セラフィナの手がそっと離れ、破れた袖を整える。アスイェは彼女のそばに腰を下ろした。
閉まりきらない窓から風が入り、セラフィナはこそりとアスイェの袖をつまんだ。
時間が静かに流れ、やがて長い静けさののち、セラフィナは恐る恐る口を開いた。
「セラ、わるい子じゃないから……」
「うん」
アスイェはその手を包み、落ち着いた声で言った。
「明日、爪を切るといい」
今夜は落ち着かない夜だったが、幼い彼女は、安心させてくれる大人のそばで静かに過ごした。
***
朝、子は高い棚に座っていた。そこは、かつてアスイェが古い物置として使っていた棚で、
何度も登ってはアスイェに叱られたが、その上はセラフィナのお気に入りの場所だった。
木棚の上は滑らかで、セラフィナは奥めに座って、両手を体の横につき、つま先は床に届かないまま、足を揺られている。
背後から差し込む朝の光が、幼い背をやわらかく照らした。
アスイェは部屋に入ってきて、手に銀のはさみを持っていた。
「手」
子は視線を下げ、彼を見つめた。
掌は上に向けて、少し拳を握って、爪を見えない。ゆっくりと手を差し出した。
アスイェは木棚の前に立ち、幼子の手を自分の掌に受けとめる。
彼はセラフィナの拳をとき、初めてはさみをカタ、と鳴ったときセラフィナはかすかにふるえた。
アスイェは気づかないように少しずつ爪を切った。
カタ、カタ、カタ
尖っている爪がどんどん消え、これから成長していく子供のイライラは、大人が容易くおさめた。
セラフィナは静かだった。
足をぶら下げたまま、ゆるく揺らしながら、片手の爪が切り終わるともう一つの手もアスイェに差し出した。
カタ、カタ、カタ
爪を切る音は変わらず、手順も同じだった。ゆっくりと、丁寧に――ただそれだけが続いた。
「……きの、セラがふくをやぶれた」
「うん」
「……ほかのひとじゃないの」
両手の爪を切り終え、アスイェはやっとはさみをしまった。
「……知っている……お前はもっと成長する」
セラフィナは少し考えて、真剣に問いかけた。
「アスイェが、死んだら、アスイェのはさみもらっていい?」
「欲しいのか。……俺の記念に」
セラフィナの足はまだ揺られている。
「ううん……セラが大きくなったら他の人にきってあげるの」
アスイェは答えず、ただ手を伸ばしてセラフィナの頭を撫でた。
頭を撫でられるのは、セラフィナがいちばん好きなことだった。
子は猫のようにその手に頬を寄せ、棚から降りる様子はまだなかった。
「おりろう」
彼女はまるで他の何かを待っているのか、そこを離れたくないように、すぐに降りていない。
アスイェはセラフィナと目を合わせ、やがて静かに手を広けた。
セラフィナは満足そうに微笑んだ。
彼女はゆっくりと縁へと体を寄せ、
そのままアスイェの腕の中に飛び込んだ。
「楽しそうだな」
「へへ、アスイェが受け止めたから」
「次はないぞ」
「え〜ほんと?」
「次は自分で降りてこい」
「え〜やだ〜」




