第十五話:「シロップ」と灯り
セラフィナは名を持ってからというもの、成長が驚くほど早かった。
今では、人間でいえば二、三歳ほどの年頃に達している。
もっと上かもしれないが、アスイェは人間の時間概念はよく理解していない。
吸血鬼にとって歳はそんなに重要ではない、
セラフィナもいつれ同じように思うようになるだろう。
体格はまだ小さいものの、「ひとりで留守番ができる」ほどには成長した。
アスイェは部屋に入ると、セラフィナはもうおとなしくいすに座っていた。
手にカップを持って、何を待っていたようだった。
アスイェはその前に立ち、ふと視線を落とす。
カップのふちに、乾いた血の跡が残っていた。
「今日はお前はもう2回飲んだはずだ」アスイェは事実を淡々と告げる。
「これは正常の飲食ではない」
セラフィナは彼を見つめ、静かにカップをアスイェの前に推した。
アスイェは、押し出されたカップに目もくれず、静かに言葉を続けた。
「お前は飢えていないはずだ」
セラフィナは瞬くこともなく、ただアスイェを待っていた。
欲しいものを得るまでは動かない。
やがてアスイェはポットを取り、ミルクを注いだ。
セラフィナは一口だけ飲み、そこでぴたりと止まる。
「どうした?」
首を横に振るだけで、何も言わない。
「お前が飲みたいものだ」
セラフィナは俯き、考え込むように眉を寄せた。
かつてミルクを飲めなかったとき、一滴だけ血を混ぜてやったことがある。
若い吸血鬼には、それは薄い飲み物に飴を落とすようなものだった。
「味が違うのか?」
セラフィナは唇を軽く噛み、頷いた。
アスイェはその視線を受け止めながら、静かに目をそらし、カップを手に取る。
指先をわずかに裂けば、一滴の血が落ち、ミルクの白に沈むように消えた。
「……俺は、シロップマシンではないぞ」
「うん、アスイェはアスイェだよ、シロップマシンじゃない」
セラフィナは即答した。
アスイェはカップをセラフィナに持たされた。
セラフィナは一口飲み、猫のように満足げな表情を浮かべた。
自分を見つめて、「ミルクは食事ではない」とそう言ったアスイェの言葉に対し、幼子は素直なわがままを返した。
「だって、すきだもん……」
アスイェは何も言わず、セラフィナの前の椅子に腰をおろした。
暖炉の火だけが、二人の影をゆらりと伸ばしていた。
セラフィナはミルクを飲み干した時は暖炉の火はまだ消えていない。
アスイェはその場を後にするが、セラフィナはついてこなかった。カップはもうきれいに飲み干した。座っていた子も満足していた
「どうした?歩けないのか」
セラフィナは目を伏せていたまま、頭を横に振った。そのあとは迷って縦に振る。
「なら、こい、そろそろ寝る」
『睡眠』は吸血鬼にとって娯楽に等しい。『寝る』が好きな同類もいるだがアスイェは睡眠に対して好き嫌いはなかった。
それでもアスイェは毎晩セラフィナに寝るようにしていた。
彼女はまだ、自分で選択できない歳だからだ。
「……まだ、ちょっとだけ……」
この行きたくない行為はセラフィナの初めてのワガママだった。
これはアスイェにとってワガママにならない。彼はセラフィナを待っていた。
彼はドアのそばに立って待ってたが、セラフィナは長いあいだ微動だにしなかった。
「眠いなら、部屋に戻ろう」
呼びかけても、ただ見上げてくるだけ。
「おいで、ここはあと五分で火が消える」
やがてアスイェは、戻りたくない子のそばへ歩み寄り、静かに抱き上げた。
セラフィナは頭をアスイェの肩にのせ、その姿はおとなしい人形のようだ。
「ほの、もう消えたの?」
アスイェは答えながった。
小さな手が彼の首元にしがみつき、確かめるように力がこもった。
「メイドさんが死んだ……セラは泣いた……」
アスイェの足取りは静かで、揺らぎがなかった。
「お前は、まだ小さい。泣き止めなくて当然だ」
アスイェの静かな言葉に、セラフィナはしばらく身じろぎもせず、やがて甘えるように、そっと首筋へすり寄った。
「……アスイェが、セラを迎えに来ると思って…… だから、すわってたの……ほののそばで……」
返事はなかった。ただ、その沈黙のまま、セラフィナは静かに眠りへ落ちていった。
アスイェは部屋に戻り、寝かせようとベッドに置こうとしたが、幼子の指は眠ったまま彼の服を離さなかった。
「そろそろ自分で寝ろう。外にいる」
「あかり……」
「閉じていいなら、閉じてあげる」
「うん……ありがとう……」
セラフィナの声は、言葉のかたちを保ったまま、そのまま彼女といっしょに夢の底へ溶けていった。




