第1章 マイ・エンジェルボーイ 9
スグルは「美味しい、美味しい!」と言って、苦手だろうと思った濃厚豚骨ラーメンを完食した。
更に、二人でシェアしようと思っていたセットの「半チャーパン」まで完食!
更に更に、やはりセットの焼き餃子を4個も食べた。
流石は「青春の門への入り口」に立つ育ち盛りの少年!
天晴れな食欲!
「まさかスグルの口に合うとはね。でもスグルが美味しそうに食べて呉れたから、あたしも何だか嬉しく成っちゃった」
ラーメンセットに残っていた焼き餃子の、ラスト2個を口に頬張りながら、あたしはスグルに率直な感想を述べた。
「いやー、ミサトさん、本当に美味しかったよ。車の中からラーメン屋に長い行列が出来ているのを見てたから美味しいだろうとは思っていたけど、ここまでとは!」
スグルの満ち足りた表情を見て、あたしは一刻も早くスグルとの本格的なデートを開始したい衝動に駆られた。
「スグル、これから午後の腹ごなしに行くよ!」
「はい、お姉様」
あたしはバリ硬のラーメンを食べながら、既にこれからのデートスケジュールを決めていた。
庶民派デートの定番といえば水族館だよね?
最初は「天空のオアシス」で有名な、やや大人の雰囲気が漂う「池袋のシャイニー水族館」を考えたが、目白の自宅に近いのでスグルに里心がついて「じゃあ、僕はこれで!」と言われるのもナニだしなぁと考え直して、結局、品川マリンパークでイルカショーを見る事にした。
その後は、少年が好きそうな「秋葉原のeスポーツカフェ」で時間を潰してと、でも問題はeスポーツカフェはどこも人気で、今日は日曜日だし待ち時間がきっと長いよね。
その場合は「猫カフェ」でお茶をするプランに切り替えよう!
夜はやっぱり居酒屋で決まり!浅草が下町情緒があるから浅草の居酒屋にするかな?
まあ、このくらい決めていれば後は臨機応変で何とかなるでしょう!
「ご主人、ご馳走様でした!」
「弟さんの食べっぷり!やっぱり若いって良いねぇ~。お姉さんもたまには夜、顔を出してよ」
「はい、考えておきます」
私はキャッシュで、ここの勘定を済ませた。
それから、あたしたちはマリンパークで巨大な水槽の中で泳ぐ多数の魚達を見て、イルカショーも見学して水族館を後にした。
スグルは学問も天才らしいから、そうかな?とは思っていたが、やはり魚類にも精通していた。
だがスグルに、自身の知識量を自慢するような雰囲気は皆無だった。
何かを疑問に思ったら、すぐにあたしに訊ねて来る。
「このお魚は、暖流にいたかと思えば、何時の間にか寒流にも生息しているんだよね。不思議だなぁ。ミサトさんはそれ何でだと思う?」
「そんなの簡単よ!水温が暑い時は寒流、寒い時は暖流にいるんじゃない?人間だってそうでしょう?暑い時は避暑地に行きたくなるし、寒い時は南の島で過ごしたいでしょう」
「そうかぁ、やっぱりミサトさんは凄いや!ミサトさんの一言で僕の疑問は完全に解決!!!」
呆れる程の純粋な天才は、こんな時には扱い易いね!
あたしは、人知れずニンマリと笑った。
「スグルは流石にゲーマーじゃないよね?」
「うん、ゲーマーじゃないよ」
「じゃあ、eスポーツカフェとかに関心はないよね」
「いや、やった事はないけど、関心は有る。日本に於けるeスポーツの現状を一度は視察したかったから」
「視察?視察ってどう言う事?スグル、若しかして・・・?」
「行こうよ、ミサトさん!何処?何処がアキハバラなの?」
わたしは先程の水族館で、スマホで調べたeスポーツカフェにスグルを案内する事にした。
タクシーの運転手に、秋葉原で人気のeスポーツカフェ「アイ―フ」が出店しているビルの名前を出した。
「ああ、ゲイマー達の殿堂って言われているビルね。場所、分かりますよ。その近くで良いですか?」
「それは助かります。よろしくお願いします」
秋葉原に向かう車中、スグルはこれからゲームを楽しもうとする者には凡そ似合わない哀愁が漂う曲を口ずさんでいた。
音楽に詳しくないあたしがその曲を知っている筈はないのだが、この曲は多分デンマーク近海の人魚達が唄う変奏曲、その一部を彼女達はカノン形式で唄っていたような遠い過去世の記憶があたしの脳裏に浮かんだ。
そうだわ、これはマーメイドが人間の恋人を想って唄う曲!
でも、まさかね?
あたし達は秋葉原でタクシーを降りると、目的のビルとそのカフェは直ぐに見つかった。
やはり、eスポーツのプレイが可能なブースは勿論の事、カフェの中にさえ入れない人達が順番待ちをしていた。
「アッサー!やっぱりお客で一杯だよ!」
「プレイをする必要はないんだけど、ゲーミングデバイスだけでも確認したかったかな。使用されている機器自体は予測出来るけど、ゲーマーがそれをどう扱っているかを見たかったんだけど」
「じゃあ、お店の人に短時間で店内だけを見学出来るか聞いてみようか?」
「そうだね。ネット動画だと実戦テクニックの解説ばかりで、例えば何かの技を出すとしてその直前にゲーマーが発想する事とかは、実際の現場でしか感じる事が出来ないから」
あたしには、スグルが言っている意味がさっぱり分からなかったが、「お姉さんに任せな!お店の人に強引に頼んでみるから」と言ってカフェの入り口に立っている従業員に話掛けようとした。
その時、2人のスーツ姿の男性があたし達に近寄って来た。
「突然で恐縮です。お二人はeスポーツ未経験者だと拝察したものですから、我々の新しいゲームソフトのテストプレイをお引き受け戴けないかと思いまして」
若い方の男が、スグルに名刺を差し出すとあたし達にテストプレイを依頼した。
「長い時間は取らせません。1時間程度でテストは終了します。ご協力を賜われれば当基金からオリジナルグッズを進呈しますが」
「それは別に構いませんが」
スグルがその男に答えた。
「有難うございます。テスト用ゲームソフトの内容は・・・」
「内容の説明は後程で結構です。それよりこのテストの目的は何でしょうか?」
スグルの質問に、その男は後ろに立っていた年配の男性の方を振り向いた。
「それには私からお答しましょう」
後ろに立っていた年配の男性は、スグルに名刺を差し出した。
スグルはその名刺をあたしに手渡した。
その名刺には「日本AIエンターテイメント基金 常務理事 権藤博嗣」と記載されていた。
「基金の常務理事さんが、わざわざテストプレイに?」
「当基金では、或る大学の研究室とコラボで、超AIが思考するゲームソフトの試作品を開発したんです」
「ディープラーニングですか?」
「ベース的にはそうですが、お二人に受けて戴くソフトには、私共が新開発した機械学習を超える画期的なアルゴリズムが組み込まれています」
「ほう、それは興味深い。ではこのテストの目的はソフトの内容に対する評価より、そのアルゴリズムに対する生体反応のデータ取りですね」
「お察しが良いので助かります」
「国内最大の広告代理店帝通の、第3プロデュ-ス室の元室長さんに直々に頼まれたたら、お引き受けするしかないでしょう」
「貴方は何故、私の前職を?」
スグルは、天使の笑顔を権藤に向けた。
スグルは相手が男性でも、同じ笑顔をするんだ。
あたしはそれが理不尽だと分かっていても、この権頭と言う男に、スグルの笑顔を横取りされた様な悔しい気分に成った。
「谷川君、こちらのお二人を丁重にテスティングブースまでお連れして下さい」
谷川と呼ばれた先程の若い男が、「個室に成っております。どうぞこちらでございます」と言いながら、あたし達を案内しようとした。
「お客様、私は所用が有りますのでこれで失礼します。テストゲーム、楽しんで下さい。貴方とはまた何時かお会い出来る様な気が致します」
「僕もです。権藤常務」
やがて権藤の姿は列を成すゲーマー達の人混みに紛れて、あたしたちはテスティングブースの中に入っていた。
「今回はAIとの対戦ですから、当然PvPでは有りません。またお二人のようなeスポーツ未経験者がテストの対象ですから、テクニックは基本的に不要です」
谷川君と呼ばれた若い男が、あたしたちに説明を始めた。
あたしは、テクニックが不要だと聞いて大いに安心した。
現在のあたし、即ち運動不足の塊で有るあたしの反射神経は、豚や牛には何とか勝てるかも知れないけれど、馬には絶対勝てないレベルなのだ。
「私共が欲しいデータは、このAIのアルゴリズムに対して、生身の人間がどのような思考回路で反応するかです」
「要するに、思うままにプレイすれば良いって事ね」
あたしは早くも、お礼で貰えるオリジナルグッズが、オタク系のショップかメルカリで高く売れる事を祈りつつそう訊ねた。
「ええ、その通りです。ですから使用するソフトは一般的なeスポーツの種目以外の物です。簡単に言えばストーリーが、操作する生体の思考に有機的に反応して展開されるRPGゲームです」
RPGだったら、あたしは高校時代に宣伝用イラストの華麗さに惹かれて、父親におねだりしてゲーム機と「ファンタジーストームⅫ」のソフトを買って貰って、半分程プレイした経験が有った。
よっしゃ~!RPGなら勝ったも同然!
スグルはeスポーツは未経験だと言っていた。
ここはあたしが、カッコ良い所をスグルに見せ付けて好感度をアップさせよう!
「ソフトの内容はRPGなんですね。eスポーツカフェには不似合いな感じがしますが・・・」
「ええ、ですがeスポーツカフェには、ゲームに関して様々なレベルのプレーヤーが集まるので、私共がテストデータを取るには最適なのです」
スグルの感想に谷川が答えた。
「成る程。それもこのカフェが、AIエンターテイメント基金さんの直営だから可能な事ですね」
「おっしゃる通りです。ですから、カフェの名称も基金の略語であるAIEF、即ちアイ―フなのです」
「直球勝負ですか?」
「恐れ入ります」
「僕達も余り時間が有りませんし、習うより慣れろで、早速テストゲームを始めて下さい」
「かしこまりました。どうぞお二人共。それぞれのブースにお入り下さい。テスト時間は60分です。お好きな様にプレイして下さい。時間に成りましたら私がお知らせに参ります」
ブースは個室に成っていたが、圧迫感を軽減する為か隣のブースとは透明の壁で仕切られており、壁に空いている小さな穴を通じて会話する事も可能だった。
ブースの椅子に座ると、モニターにはゲームのタイトル画面が既に立ち上がっていた。
そこには「プリンセスマーメイド戦記」と言う文字と、ボディコンシャスな鎧を纏い、細身の剣を頭上に掲げた金髪でロングへアの女の子のイラストが描かれていた。
プリンセスマーメイドって人魚姫の事だよね。
だが、そのイラストでは、主人公と思われる人魚姫は長い2本の美しい脚を持っていた。
ゲームの世界って何でも有りだからね。
あたしは、人魚姫が何処かの国の嫌味な王子から無理矢理に口付けをされて、その呪いで大事な魚状の脚が人間の脚に変わってしまったんだという独自の想定と世界観でゲームを始める事にした。
ゲームに嵌り込むには、自分自身が決めた設定と世界観って大切だからね~!
ゲームのストーリーが自分の設定や世界観と違った方向に進む時、「製作者のバカ、アホ、マヌケ!」と罵るのがRPGゲームの醍醐味だとあたしは信じている。
一方、スグルの方はこのブースの中に置いてある各種のゲームデバイスを丹念に調べていた。
PCのCPUがIntel Core i7で、GPUはGeForce RTX3070か?だとか、マウスは5ボタン搭載かとか、あたしにはサッパリ分からない呪文の様な言葉を呟いていた。
あたしはスグルに「お先に~」と言うと、さっさとスタートボタンをクリックした。
遺跡っぽいダンジョン風の場所で5人の登場人物がやたらと会話を繰り広げている。
会話自体はオートで進んだが、途中、3択から7択の選択画面が6回程有って、あたしが「ウザイ」と怒鳴りそうに成った時、一匹の巨大な亀がノロノロと近づいて来た。
そしてその亀は、いきなりムカデの様な短い羽根を拡げると、5人の「勇者」を甲羅に乗せて遺跡の外に飛び立った。
この亀、空が飛べるんだ!若しかしてムカデに憑依した亀の龍?
亀が出て来たって事は、人魚姫の正体はやはり乙姫だよね?
「5人と亀が向かった先は、絶対に竜宮城!」
あたしは、新たな想定をこのゲームに追加した。
亀が、長い遺跡のトンネルを抜けるとそこは雪国で、では無くて平野のフィールドだった。
フィールド上に、西洋のお城が描かれている地点が赤く点滅していた。
ここに行けって事ね!
あたしはその点滅している地点をクリックしたが、画面は全く切り替わらなかった。
その時、亀の顔がアップで現れて「そこじゃない!こっちだ!」と言うと、別の何も描かれていない地点が青く点滅し出した。
あたしはその地点をクリックしたがそこも画面が開かずに、「そこじゃない!こっちだ」とか亀が言ったから、「あたしゃ本気で怒るよ!」と亀に怒鳴った。
それから、あたしは何とか気を取り直して、その青く点滅している地点をクリックしたが、やはり画面に変化は生じなかった。
「話が有る。出てこい、クソ亀!さっさと竜宮城に連れて行きやがれ!」
先刻の3倍は大きな声でモニターに怒鳴った。
隣でプレイしていたスグルが、あたしの方をチラッと見た。
次の瞬間、亀のアップ画像が再び現れ、今度はその眼がキラリと光った。