第1章 マイ・エンジェルボーイ 5
「私めが知る限りご主人様は、ご自分で事業を成されてから仕事以外で女性の方とご一緒にお食事を摂られた事は有りません」
スグルは自分で事業をしているの?15歳なのに?まさかね?
アンダーソンって金持ちが、スグルの玩具代わりに小さな会社でも任せているのだろう。
「ですからご主人様は余程、ミサト様の事がお気に召されたのだろうと私めは拝察致しております」
そう言えばメイドの柳澤も、若い女性が自宅に来た事は無いと言っていた。
と言う事は、仕事の関係者でも食事はしたとしても、女性を自宅には入れなかったと言う事は間違いが無いのだろう。
だよね!幾ら大人びていても所詮は15歳!
15歳にして女を取っ替え引っ替え自宅に招いていたら、それはスグルは天使では無くて、怪僧ラスプーチンへの道を進んでしまう!
流石に怪僧ラスプーチンには成らないだろうが、スグルの年齢だとそろそろ異性に対して興味が湧いて来る年頃だ。
きっとガールフレンドが欲しく成ったに違いない。
只、スグルの精神年齢は異様に高い。
同年代の女の子では全く物足りない筈だ。
そう言う意味で、あたし位の年齢で自分が少し背伸びする感じの関係性さえ持てれば、本当は別に誰でも良かったのだと思う。
とは言え、あたしは彼が自宅に連れて来た初めての女!
その事自体は女としては輝かしい勲章に違いが無かったが、あたしは決して油断はしていなかった。
これからは出来るだけ謙虚に振る舞って、獲物は一撃で仕留めるのよ!
それは何とも物騒な、あたしの中の魔女かけらの言葉だった。
何れにしても今重要な事は、その誰でも良い人に現状、あたしが選ばれてと言う天文学的な幸運の方だ。
あたしは今は誰でも良い人に過ぎないが、いずれ絶対的に掛けがえが無い人に成ってやるんだから!
それこそが、9歳も年上の女の腕の見せ所!
「スグルさんって、そろそろガールフレンドが欲しくなる年頃なのでは?あたしはは誰かが石を投げたら必ず当たる位の、何の取柄も無いOLです。今日、スグルさんがあたしをご自宅に入れたのは単なる気まぐれなのでしょう」
あたしは、殊勝な女を演じた。
「ミサト様、恐らくそれは違うと存じます」
「違うって?」
「ご主人様は、そうした軽薄さは全くお持ちではございません。凡人には計り知れない天才的な感性で人をお選びに成ります。ですから、ご主人様がミサト様をお気に召されたと言うより、お認めに成られた事は間違いがございません。老執事の直感は、実は・・・」
「爺やさんの直感って?」
「ミサト様がご主人様に選ばれた方で有る事は間違いが無いのですが、私めの直感は、お二人が、これから長いお付き合いをされるだろうと言う直感の方でございます」
爺やは、真剣な表情であたしに話した。
「ははは、わたくしにはとてもその直感を直ぐには信じられませんわ。その前にあたしとスグルさんはお互いに連絡手段さえ持ち合わせていません。長いお付き合いに成ると仰られましても・・・」
あたしはさりげなく、帰りの車の中で果たすべき最大の目的に話題を振り向けた。
「これは私めとした事が。ですが、ご主人様はスマ―トフォンのようなネットや電話回線を使用する器具はお使いに成りませんもので・・・」
「ええーっ?スグルさん、スマホを持って無いの?」
あたしは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「はい。お持ちではございません」
「お持ちではございませんって・・・?」
「ネット回線は位置情報が漏洩し易く、電話回線は盗聴が容易だからです」
「そうなの?まるでスパイ映画ね」
あたしはジョークを言った。
「ご主人様に関するセキュリティの厳重さに比べれば、スパイなど赤子以下です」
どうやら、あたしの言葉はジョークに成っていなかった様だ。
「じゃあどうすれば、わたくしはスグルさんに連絡が取れるの?」
「ご主人様と私めは、通話の度にランダムで周波数が変わる特殊な無線機で繋がっております。そこでご主人様はミサト様にはこの無線機をお渡しするように私めに指示をなされたのでございます」
爺やは、あたしに見慣れない小さな機器を渡した。
その機器は、それを片手で持って手の甲を上にしたら、隠れてしまう位の可愛いサイズだった。
「ああ、このボタンを押したらスグルさんに繋がるのね」
その機器は、液晶パネルの類もなく、ただボタンが一個と通話口が付ているだけの極めてシンプルな機器だった。
「いいえ」
「いいえ?」
「そのボタンを押されても、ご主人様に直には繋がりません。私めに繋がるだけでございます」
「えっ?爺やさんに繋がるの?」
「はい。それから私めが別の回線で、ご主人様のご都合をお聞きして了解が得られたら、ミサト様の回線を私めがご主人様の回線にお繋ぎ致します。ご主人様がミサト様に連絡される時は、その逆のプロセスに成ります」
面倒臭~っ!
「折角のご配慮なのでこの無線機はお借りしますが、少なく共、わたくしからスグルさんへの連絡を爺やさんにお願いする事は無いと思います。スグルさんへ連絡したり相談したりする内容を、今は持ち合わせていませんので」
ここは、爺やを焦らすの一手!
「ええ、それはそれで構いませんです」
「スグルさんとの専用回線を持つのはロマンティックだとは思いますが、やはり非効率ですよね。何時掛かって来るかも分からない一人からの連絡を待つ為に、常にこれを持ち歩くのは正直な所、気が重たいです」
「確かに!その点はミサト様が仰る通りかも知れませんね。ただ、ご主人様がこの次もミサト様にお会したいと申されるのは確実でして・・・この問題は如何致しましょうか?」
爺やは困ったと言う表情に成った。
「そうだ!爺やさんはスマホ、持ってるよね」
「ええ、持っております。ご主人様のお仕事関係は秘書のオブライエン嬢が、あっ、先程、ミサト様もお会いに成られた女性で、日系三世です。彼女の方で処理しますが、私めには米国のアンダーソン家から野暮用が入りますので」
「じゃあ決まり!セキュリティが必要なのはスグルさんだけなんでしょう?あたしと爺やさんは関係ない。だから私達はスマホで遣り取りをしてもOKな訳よ!」
「成る程・・・」
スマホの話が出たからか、あたしは急に普段の言葉遣いに成っていた。
メイドが柳澤で、運転手が橋本、秘書然女がオブライエン、嬢と言う事は彼女は独身ね!後はこの爺やだけが名前が分かっていないのか?
「あたし今日はメモを持って来てないもんだから、爺やさんの携帯番号が分かる名刺を2枚頂戴!」
「かしこまりました。この名刺には私めの携帯番号が記載されております」
爺やは内ポケットから名刺入れを取り出すと、2枚の名刺をあたしに渡した。
あたしはその内の1枚に自分の携帯番号を書くと、爺やに手渡した。
「これで、あたしと爺やさんの専用回線が開通ね!」
「恐れ入ります」
その名刺には、桂川家執事 田宮甚八朗との記載が有った。
甚八朗、甚八ちゃんね。
「田宮甚八朗さんって言うのかぁ?素敵な名前だけど、爺やさんはあたしのホットラインの相手だから、あたしだけの名前で呼びたいわ」
「爺か爺やで、私めは全く構いませんが」
「それじゃあ、有り来たりで面白くないでしょう?爺やさんは甚八朗だから甚八ちゃん、だけどそれでも捻りが足りないよね。だから爺やさん、あたしだけの特別な名前は、セバスチャン・ジンパッチャン!」
「セバスチャン・ジンパッチャンですか?私めはミサト様から爺やさんと呼ばれるのは嫌いではなかったのですが・・・ミサト様から名付けて戴いたのですから謹んで拝命致します。只、どちらもファーストネームなのですが?」
「気にしない、気にしない。日本人でも例えば又吉京子と言う名前の人が、山下又吉って言う人を婿養子にしちゃったら、その旦那さんの名前は又吉又吉に成るでしょう?だから名前だの苗字だのと決め付け無くても良いのよ!」
「成る程。ミサト様は独創的なご発想をお持ちですね。その辺りもご主人様が見抜かれていたのでしょう。恐れ入りました」
「何の、何の、セバちゃん、お気遣いなく」
爺やは、セバスチャン・ジンパッチャンと言うラインネームと、セバちゃんと言う愛称についてあたしの提案を受け入れた。
そして今日から爺やは、あたしからセバちゃんと呼ばれるように成った。
「あのう、お話中大変恐縮ですが、現在、取り敢えず都心に向かって走っていますが、この車は何処でお止めすれば宜しいでしょうか?」
橋本運転手が、わたしにそう尋ねた。