第1章 マイ・エンジェルボーイ 2
あたし達二人を乗せたオースチンヒーレーは、西新宿を曲がり、東中野に差し掛かっていた。
この少年は、海外生活が長そうだったので当然かも知れないが、東京の地理は不案内らしく、クラシックカーには似合わない現代的なナビの画面を確かめ乍らのドライブだった。
アメリカで免許を取った割には、スグルのマニュアル車の運転操作は上手だった。
あたしは、恐らく助手席で3度は悲鳴を上げるだろうと覚悟を決めていたが、それは杞憂に終わりそうだった。
「ねぇ、僕ちゃんのお家って何処にあるの?」
「目白」
「目白か。高級住宅が立ち並ぶ一角が有るよね」
あたしの呟きが聞こえなかったのか、スグルはそれには何も答えず、運転に集中している様子だった。
「ミサトさん、着いたよ」
それから暫くして、スグルは自宅に到着した旨をあたしに告げた。
小さな森の中に入ったと思っていたが、張り巡らされている塀から考えると、その森の半分程がどうやらスグルの家の敷地のようだ。
両開きの重厚なメインゲートは既に開放されていた。
その先に聳え立つ樹木で行く手が隠れていたが、直ぐに視界が広がった。
アールデコを思わせる程良い直線美が印象的で、何より館の中心部から生え出たようなタワーに圧倒された。
あのタワーは、展望台か鐘撞堂かな?
そう考えた後で、その館がスグルの自宅である事実に直面して、あたしは興奮の余り、思わず声を震わせて叫んでいた。
「何?この家!まるでヨーロッパのシャトーじゃん!!!」
勿論、あたしはヨーロッパに行った事など無かったのだが、スグルの自宅は、写真で見た「中世の貴族が郊外での生活用に建てた個性的な別荘」に似ていた。
「ははは、ミサトさん、それは流石に褒め過ぎ」
オースチンヒーレーがこの館の車寄せに滑り込んだ時、玄関から4人の人物が出て来た。
2名は40歳前後の長身な男性と初老の男性、残る2名は10代かも知れないメイドの女性と秘書然とした30歳前後の女性だった。
「お帰りなさいませ、ご主人様 」
初老の男性が、上品な笑顔を浮かべてスグルを出迎えた。
「え、ええーっ?ご主人様?」
あたしは、スグルはてっきり「おぼっちゃま」と呼ばれるとばかり思っていたので驚いた。
ご主人様って事は、スグルはこの館の所有者?
「これはこれは、ミサト様ですね。ようこそお見え下さいました。どうぞ中にお入り下さい。お靴はそのままで構いません」
玄関が大き過ぎて見落としてしまいそうだったが、表札には「桂川」と書かれていた。
あたしは、この初老の男性の後に続いた。
この人が噂の「爺やさん」で間違いが無さそうだった。
振り返ると、スグルは手帳を開いている秘書っぽい女性から何かの報告を受けていた。
「ミサト様、お食事のご用意が出来ますまで、ゲストルームの方でお寛ぎ下さい。私めがご案内致します」
玄関からノンステップで続いているホールがメインホールかと思っていたら、それは只の玄関ホールだった。
左側の広い廊下を抜けると、英国風の手入れが良く行き届いている広い庭に出た。
その庭園にはアザレアやアネモネが咲き誇っていた。
庭園の奥に、ヴィクトリアンゴシック調の瀟洒な建物が見えた。
その建物の中にゲストルームは有った。
「こちらでございます。ミサト様。後程、ご主人様も参りますので。所でお飲み物は如何致しましょうか?珈琲、紅茶、ジンジャエールにジュース類がご用意できますが」
「それでは珈琲をブラックでお願いします」
あたしは躊躇無く注文した。
今日のお昼はハンバーガーのセットに付いて来る珈琲を飲む予定だったからだ。
「かしこまりました。メイドがお持ちします」
そう言うと、爺やは母屋の方に戻って行った。