第2章 プリパレーション 7
暫くの間、あたしは田宮の隣に座って、この館のシュフの事や庭師の事とかについて談笑をしていた。
その時、玄関のドアが開いて、2人の男女が館に入って来た。
「この2人が、今日からミサト様のボディガードをするジェファーのメンバーです。ご紹介しましょう」
田宮はあたしにその2人を紹介すべくソファーから立ち上がった。
あたしも田宮に従って、ソファーから立ち上がった。
その2人は、直ぐにあたしの前で整列した。
「こちらの男性が、コードネーム鶺鴒です」
セキレイだと紹介されてた男があたしに軽く会釈をした。
「こちらの女性が、コードネーム桔梗です」
キキョウもあたしに対して、やや深めの会釈をした。
2人共、コードネームで呼ばれているのか?
あたしは、一気にここの現実世界に呼び戻された。
普通にコードネームで呼ばれている連中が、普通にあたしの前で整列している。
この数日間の出来事で予感は有ったものの、改めて桂川家が単なる金持ちでは無い事を、あたしは改めて思い知った。
若しかしたら自分で思っているよりも、あたしは遥かにヤバい立場にいるのかも知れなかった。
まあ、いいか!
乗り掛かった舟だし、毒喰わば皿までと言うし、あたしとスグルの仲を裂ける組織が有ったら、お手並みを見せて貰おうじゃないの!
あたしは、又々、ここで開き直った。
「そうそう、その意気、その意気じゃ!魔女はそう有らねばのう!」
何時の間に、あたしの心の中に現れれていたのか、魔女のかけらがあたしを激励した。
ふん、他人事だと思って!あんたさぁ、正直ウザいから消えて呉れない?
ホイホイ、分かりましたよ、お姫様!今日の所は、わらわは自分の巣箱に戻って差し上げましょう!
誰がお姫様じゃ!
ん?あんた即ち、あたしの中の魔女のかけらは巣箱の中に棲んでいたのか?
フ、フ、フッ!
だったら、巣箱諸共その内、激しく燃やしてあげるから今の内に念仏でも唱えて置きな!
その時、2階の自室から降りて来たエリカが、エントランスロビーに入って来た。
えっ?ゴスロリ?
あたしはエリカの服装を見て少しばかり驚いた。
これまでのエリカは、高級レストランのウェイトレスのような格好をしていたからだ。
確かに、富豪の邸宅のメイドと言えば「ロリータファンション」が定番なのかも知れなかったが、まさか「ゴシックロリータ」とは?
ここの瀟洒な館には、「ロリータファンション」の王道、「甘ロリ」が似合うとあたしは勝手に決め込んでいたのだが、エリカの感性は「ゴスロリ」の一択らしい。
成る程!
だからエリカの髪型は、ミディアム レングスに縦ロールが入っていたのね!
縦ロールのヘアスタイルはゴスロリと相性が良いもんね。
きっとこの服装は、エリカに取っては外出時に於ける定番の制服だと言う感覚なのだろう。
肌理が細かいエリカの透明な白い肌は、確かに甘ロリや白ロリだとその美しさが衣装に埋没してしまう。
「エリカちゃん、可愛いよ」
あたしはお世辞ではなく、思った通りの感想を述べた。
あたしの言葉にエリカは、はにかんだ微笑をあたしに返した。
しかし、エリカの服装を良く見てみると、街で良く見掛けるゴスロリとは間違い無く一線を画していた。
色目こそ黒色がベースだが、現代のロリータの様な19世紀ヨーロッパの礼服からの流れでは無いし、ヴィクトリア朝やエリザベス朝からの流れでも無い。
クラシックロリータだって、その源流は現代のゴスロリと同じだ。
だがエリカが今着ているロリータの源流は、恐らく世界最古のロリータファッション、憧れの15世紀西ヨーロッパ!ヨーロッパが中世で花開いた最後の世紀!そしてゴシック建築が華やかしかった頃に有りそうだ。
エリカの服装には、その頃を彷彿とさせるタイトなワンピース型のドレスに、ワインレッドカラーが巧みに織り込まれていた。
レースやフリル使いを極力抑えて15世紀風にする一方で、コルセットは現代日本の主流ゴスロリのアイテムを着用している。
他方で編み上げビスチェは、明確にゴシックロック音楽の影響が見て取れるので、現代欧米に於けるゴスロリアイテムの筈だ。
更に髪リボンには、さくらんぼとショートケーキの柄が配されているスウィートロリータの薄いピンク色のアイテムを選んでいる。
姫ロリには絶対したく無いと言うエリカの決意は、あたしにも伝わって来たのだったが。
このロリータのごった煮と呼ぶべき装いは、それでも気品を保つ一線だけはしっかりと守っていた。
要するに、エリカは敢えて「ロリータファンション」でピエロを演じる覚悟なのだ。
あたしをピエロにした贖罪の積りかも知れない。
エリカ、あんた可愛い顔をしている割には、案外、ヤルね!
よし、それならそのご褒美にスパで、チンドンヤと言う言葉を発して、又、その頬を赤く染め上げてあげるね。
「エリカ様、お久し振りでございます」
セキレイはエリカに挨拶した。
彼は以前にエリカの警護をした事が有った様だ。
「ああ、セキレイさん、お久し振りです」
エリカはセキレイに、ピョコンと一礼した。
「本日もよろしくお願い致します。それではエリカ様、参りましょうか?」
セキレイに促されて、エリカの方が先に玄関を出た。
あたしが振り返ると、セバちゃんがあたし達に手を振って見送っていた。
あたしは、又々、セバちゃんにスムーズなウィンクを送った。
ウィンクも三度目なら、少しはと言わず、あたしはかなり上手に成った様だ。
あたしは玄関の車寄せに待機している車体がガラスの様に光輝いている車を見て、正直、腰を抜かした。
「今度はロールスロイスと来たか?」
そのロールスロイスファントム・エクステンデッドは、防弾機能を強化する為、特注の強化ガラスでボディをフルコーティングしている特別仕様車だそうだ。
その事は、後でセキレイから教えて貰った知識だったが。
あたしの人生に於ける、初体験の嵐は未だ当分は終わりそうに無いと、あたしは覚悟を決めた
それから、ロールスロイスは一路、赤坂方面に向かったが、運転席のセキレイと助手席のキキョウは終始無言だった。
あたし達の警備に集中しているのだろうか?
その為、車中ではエリカが下げているショルダーバッグにあたしの質問の花が咲いた。
エリカの黒色のバッグは、バスケット状で星座の刺繍と花柄レースが施されていて、若し色目が白っぽければ完全なスウィートロリータのアイテムだが、バッグの留め部は何かの柔らかそうなレザーで作られており、ショルダー部にはブラックパールが施されていた。
そのブラックパールは、あたしがエリカを無理矢理に白状させた結果では、タヒチ島のブルーラグーンで育まれれた天然の大粒黒蝶貝から採れた極上の真珠だった。
こんな甘ロリっぽい意匠のバッグに、絶対に似合わないブラックパールを施すと言う、エリカ以外に買う人が確実にいない超高級バッグを、メーカーが自社の商品として製作する筈が無い。
あたしは速攻、エリカを後ろから羽交い絞めにして、何処に特注させたのかを聞き出した。
「ぐ、ぐぐっ、苦しいです、エリカ様、はい、申し上げます!」
そこはイタリアの有名工房との事で、折角聞き出した工房の名前だったが、あたしの頭ではそれを記憶する事が出来なかった。
隣の席で、エリカがぐったりとしていた。
あたし、エリカに何か悪い事をしたっけ?頑張れエリカ!負けるなエリカ!
「お二人にこれからの警備について簡単にご説明致します」
赤坂が近づくと、助手席のキキョウが振り向いてあたし達に説明を始めた。
「イーストアジアンリゾート・バンヤンテイストSPAの店内には私がご同行します。ご存じの通りこの店に男性は入れませんので、セキレイは裏の従業員専用通路口に広角監視カメラを設置してから、表の出入り口付近に待機します」
そう言った後、キキョウは有名な胃腸薬の白い錠剤が6錠納められている、市販されている状態のままのピルケースをあたし達に配った。
「お二人は、ガウンのポケットにご自分のスマホとこの錠剤だけを入れて行動して下さい。そして若し何か有ったら一番右上の錠剤を押して下さい」
おおっ!遂にスパイ御用達のグッズが登場したか?
「左上の方の錠剤はお二人の位置情報を我々に発信しますので、スマホの方は没収されても大丈夫です」
ふふふ、「ミサト、女007に成るの巻!」だね、これは少し楽しみかも!
「最後は取り扱いの注意に成りますが、まさかとは思いますが上の2錠は機器ですから胃薬ではありません。間違ってもそれは飲まないようにして下さい」
キキョウはそれまで2人に向かって話をしていたのに、何でその注意の時だけあたしをずっと見詰めて話すのよ!
スパの受付で一寸した手続きを済ますと、あたし達3人はマスクを外すとロッカールームに向かった。
料金の支払いは帰る時で良いとの事だった。
このマスクは、館からの出掛ける時にセバちゃんから手渡された物だった。
ゲルシアの本部から送られて来た最新情報では、この新型ウィルスは世界的に大流行して多くの死者を出す可能性が高いそうで、車中やスパを含めて出来るだけマスクを着用する様にと、キキョウから言われたマスクだった。
当然、セキレイもキキョウも車中ではマスクを着用していた。
そう言えば確か先週水曜日のテレビニュースで、日本でも初めてこの新型ウィルスの感染者が出たと発表されていた。
そして先日の日曜日、スグルと一緒に行ったラーメン屋でテレビを見た時、新規感染者が東京都で20名を超え、新たに神奈川県と千葉県でも感染者が確認されたと言うニュースが放映されていた。
スグルがその時、「だよね!」と言った事をあたしは思い出した。
今日はきっと、更に感染者が増えている事だろう。
あたしでは予約が叶わなかったにも関わらず、何故かしらロッカールームには誰もいなかった。
あたし達は、スパの名前とロゴがプリントされているタオル地のガウンに着替えた。
その時、キキョウは勿論ストッキングは履いていなかったが、ガーターベルトは付けていて、そのベルトには外腿にはナイフがホールドされており、内腿には幾つかのボタンとダイヤルの様な物が取り付けられていた。
彼女の右耳には、イヤホンが嵌められていて、それが補聴器である筈も無く、きっと仲間と連絡する為のレシーバーに違いない。
話す時には、そのイヤホンから線状のマイクを引っ張り出すのだろう。
そしてそのマイクから手を離すと、自動的にマイクはイヤホンに巻き取られるのだ!
あたしは、そのイヤホンについて勝手な推察をしていた。