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第2章 プリパレーション 2

 眼を覚ますと、見慣れない天井が眼に入った。

 あたしは「ハッ!」となって、勢い良くベッドから跳ね起きた。

 「お目覚めになられましたか?昨晩はぐっすりとお休みのご様子でしたが、ご気分は?」

 「セバちゃんか?ああ良かった!お早うございます!少し頭が痛いかな。で、この部屋は?」

 あたしは目覚めた所が、黒メガネ達のアジトで無かった事を神様に感謝した。

 「この部屋は、当家のゲストルームでございます」

 「そうか。あれからあたし達は、無事に脱出出来たんだね」

 「ご主人様は、自らミサト様を車から抱えて、この部屋まで運ばれたのですよ」

 「そうだったんだ。ウフフ」

 あたしは昨晩、スグルにお姫様抱っこをされたのだ。

 人魚姫がお姫様抱っこをされたのは意地が悪そうな将軍だったから、この勝負はあたしの勝ちね!

 別に、人魚姫があたしに挑戦してきた訳では無かったのだが、あたしは勝手に勝利宣言を行った。


 「ところでミサト様、ミサト様は確かお勤めをされていませんでしたか?今日は月曜日ですが、お仕事の方はお休みだと心得えても良ろしいでしょうか?」

 「えっ?あ、ヤバッ!」

 あたしは慌てて自分のバッグを捜した。

 バッグはあたしの枕元に置かれていた。

 あたしはスマホを取り出すと、セバスチャンに視線を送った。

 「私めは外の廊下におりますので、本日のご予定がお決まりになられましたら教えて下さい」

 「分かったわ。セバちゃん」

 部屋の置時計を見たら、午前9時45分だった。

 「マジ、ヤバい!」

 あたしは急いで会社に連絡を入れた。

 係長は打ち合わせ中だったので、同僚の女性社員に伝言を頼んだ。

 その女性社員は、あたしが会社に来ていない事に気が付いていなかった。

 自慢じゃないが、あたしは会社での存在感が極めて希薄なのだ。


 「子供の頃からお世話になっていた愛媛の叔父が危篤だとの知らせが入ったので、今、愛媛に向かっている」とあたしは嘘を付いて有給休暇を2日取得した。

 「それから、叔父にもしもの事が有ったら、また連絡するから」とも付け加えた。

 未だピンピンしている叔父や叔母を危篤にしたのは、これで何回目だろう?

 そして彼らは、決まって有給休暇が切れる翌日の未明に亡くなって、あたしに忌服休暇を2日もプレゼントして呉れるのだ。

 自分が病気に成ったと言う口実では有給の忌服休暇を貰えないし、長期に亘れば診断書の提出も求められる。

 「フン、どうせ、あたしはさそり座生まれの魔女よ!」

 あたしはベッドの脇に置いてある小机の水差しから、レモン水をコップに注ぐと一気に飲み干した。

 そして、あたしはセバちゃんに明日まで会社の休みを取った事を伝えた。

 勿論、隙さえ有れば、あたしはこれからも桂川家に居座る積りでいたのだが。

 だって、こんなに絶好のチャンスは滅多に無いもんね!

 「おお、それは良ろしゅうございました。どうぞ当家でごゆっくりして下さい。所で、ご主人様は自室で世界のニュースをご覧に成られておりますので、ミサト様は先にご入浴を済まされては如何でしょう?」

 昨日は、庶民生活体験デートであちこち動き回った上に、途中で気を失ってしまったから、入浴なんて出来る筈も無かったのであたしはコクリと頷いた。


 「お早うございます、お客様!お目覚めに成られて本当に良かったです」

 セバちゃんに代わって、メイドの柳澤が部屋に入って来た。

 良かったと言う割には、表情は余り嬉しそうでは無かった。

 この娘は、もしかしたらあたしがそのまま目を覚まさなければ良かったと思っていたのかも?

 まさかね?

 「お早う。こんなに早くまた貴女と会えるなんて!あたしの名前はミサト」

 「存じております。お客様」

 どうやらこの娘は、意地でもあたしの事は「お客様」で通す積りの様だ。

 彼女は、間違いなくスグルに対して恋愛感情に近い好意か、少なくともご主人様に対する尊敬と思慕の念は持っている筈だった。

 それを何処の馬の骨か分からない女が突然やって来て、スグルを奪うかも知れないと思うと、確かに彼女の心中は穏やかでは無いだろう。

 若しあたしが逆の立場だったら、喚き散らかしてスグルに詰め寄るだろうから、柳澤の気持ちは理解出来た。

 そして、そういう気持ちを抑えている柳澤は、あたしより5~6歳は若い筈だったが、若しかしたらあたしよりも、大人の対応を心得ているのかも知れなかった。

 てか、それはあたしが単に、中学生の精神年齢のままで止まってしまっていると言う悲しい話でしか無かったのだが。


 「ところで、あたしは貴女の事を何とお呼びすれば良いのかしら?貴女の苗字は、確か柳澤さんだよね。」

 「わたくしの下の名前はエリカですが、この家のメイドはわたくし一人ですから、普通にメイドさんで結構です」

 「エリカ」か?まあまあ、今風の名前だよね!それに比べてあたしの親達は一体何を考えていたんだか!

 「メイドさんと呼ぶのも余りに他人行儀だし、あたしはこれから貴女の事をエリカちゃんと呼ぶね!」

 「お客様のお好きな様に!所で、お客様の洗面とご入浴の準備は出来ておりますから、何時でもわたくしにお声をおかけ下さい。わたくしは外の廊下でお掃除をしていますので」


 それから、あたしは豪華極まり無い浴室で洗面と入浴を済ませると、エリカの案内で一階のダイニングルームに入った。

 シャンデリアの輝きと未だ朝日の清々しさを残した陽の光が、ダイニングテーブルに柔らかく反射していた。

 「やあ、お早う。ミサトさん!体調が良さそうで安心したよ。それから明日まで会社をお休みするとの事で、それも僕に取っては嬉しい限りかな」

 それまでパソコンに向かっていたスグルが 立ち上がってあたしの方に近寄って来た。

 スグルは、濃紺のジャケットにダークグレイのヘリンボーンのパンツ、それに渋い光沢を伴った草色の皮のネクタイを締めていた。

 「あっ、スグル・・・さん。昨夜はすっかりご迷惑をお掛けしたみたいで」

 あたしは背中にエリカの鋭い視線を感じて、スグルに対して敬語を使った。

 「全然、大丈夫!今夜は昨夜のお詫びでディナーをご馳走するから楽しみにしていてね」

 「それは楽しみだわ!」

 「ところでミサトさん、僕はこれから所用で外出しなければ成らないので、既製品で申し訳ないけど、取り敢えず部屋着を選んでおいてね。夕方には戻るから」

 「スグルさん、外出なの?じゃあ気を付けてね」

 スグルの事だから心配は要らないとは思ったが、昨夜の事も有るので、一応心配している素振りをした。

 「うん、有難う、ミサトさん。でも心配しないで!大丈夫だから」

 そういうと、スグルは運転手の橋本と秘書のオブライエンを従えて玄関の方へ向かった。

 その姿をセバちゃんとエリカと一緒に見送りながら、あたしはまるで桂川家でスグルの妻にでもなった様な、嬉しくも悲しい錯覚に陥った。


 あたしはエリカの案内で、予備で保管されていたらしい衣装類から年齢相応のグレーのセットアップ物を部屋着として選んだ。

 「わ~、これ可愛いね!イヤリングはこれにする」

 あたしは、ベージュゴールドに小さなダイヤモンドがあしらわれたクリップオンのイヤリングを耳に着けた

 ピアスをする為に耳朶みみたぶに穴を空けるなんて、あたしはそれはとても野蛮な行為だとの信念を持っていたし、実際は怖いだけだったのだが、その小さ目のイヤリングに決めた。

 「シャネルのクラッシュ・コレクションですね。ハウスでの装いとしては素敵な選択だと思いますよ」

 「ぐえ~、これシャネルなの?」

 エリカはにっこりと笑った。

 エリカは笑顔を見せると圧倒的に可愛いと思う。

 「そうか~、シャネルなのか?」

 シャネルのダイヤイヤリングだと、定価は最低でも40万円はするよね。

 既に試着していたセットアップの服は、どうせ部屋着だからと思ってブランドを確認していなかった。

 この調子でエリカからブランド名を聞いたら、きっとあたしはビビってしまうに決まっている。

 そこで、あたしはネックレスにシルバーの短めのチェーンを、そしてやはり赤の色彩は欲しかったので小粒のルビーをトップに選んで、それからライトブルーのパンプスを履くとエリカに試着の終了を告げた。

 「これで決まり!エリカちゃん、有難うね」

 「お客様、とてもお似合いでございます」

 エリカの言葉に、あたしは思わずふふっと笑ってしまった。

 エリカが、まるで服飾ショップの店員みたな科白せりふを吐いたからだ。


 「ねえ、エリカちゃん。あたしは高卒な上に、高校での成績も大した事は無かったし、何の取柄もない只の安月給のOLなの。スグルさんの周囲にはあたしの様な庶民を絵に描いた様な人物はいないでしょう?」

 エリカはそれを否定しなかった。

 「スグルさんは、きっとあたしが単に物珍しいだけ。だから昨日もラーメン屋と居酒屋に連れて行ったらすごく喜こんだんだわ」

 あたしはエリカに思わず本音を喋ってしまっていた。 

 だがあたしの言葉で、エリカの表情がパッと明るくなった事をあたしは見逃さなかった。

 「だけど、そんなあたしに取っては、スグルさんと一緒にいると身も心も汚れが落ちて行く様な気がするの。だから出来ればずっと一緒にいたい!」

 「そうですか・・・」

 今度はエリカの表情が少し暗く成った。

 これ程分かりやすいエリカは、きっと純朴で一途なむすめなのだろう。 

 「エリカちゃん、でもこれだけは信じてね。あたしはスグルさんと一緒にいたいけど、あたしからスグルさんを誘う事は絶対にしない!これまでもあたしはスグルさんのリクエストに単に応じて来ただけなんだから」

 「どうして誘わないのですか?」

 「スグルさんには天使のかけらが宿っている。あたしの様な魔女のかけらが宿ってる者が誘ったりしたら、神様から厳罰があたしに下るでしょ!」

 「ははは」

 エリカは笑った。

 「だから、エリカちゃん。あたし達は味方同士に成れるのよ!」

 「そうですか?それでは宜しくお願いします・・・お客様」

 強引極まりない理屈だったが、エリカに最低限の安心感は与えたようだ。

 実際、桂川家の様子が分かるまではスグルを誘えないと思っていたので、当面は嘘では無かったのだが、エリカの中ではあたしはだ「お客様」のままだった。


 「お客様、失礼します」

 エリカはポケットからメジャーを取り出すと、手際良くあたしの身体を採寸した。

 「本日の午後3時に、当家でのディナー用の衣装をメーカーが持参しますので、お客様にはその中からお選び戴きます」

 自宅なのに、夜は夜で衣装を着替えるのか?

 まあ、こんな機会は桂川家以外であたしに訪れたりはしないので、ここはご好意に甘えよう!

 「お客様の採寸データとお写真をこれからメーカー4社に送信しますので、それぞれのブランドが、お客様にお勧めの品物を持参します」

 あたしが衣装を選ぶ為だけに、マジで4つものブランドが商品を持参すると言うのか?それって凄過ぎない?

 「そして、お客様はひとつのブランドで統一されても良いですし、アイテム毎にブランドを変えてコンポーネントとしてコーディネイトをされても構いません」

 「そうなの?分かったわ。何から何まで用意して戴いて感謝します。皆さんにも宜しくお伝えてね」

 「かしこまりました。お時間までお部屋の方でお寛ぎ下さい。お昼に成ったらお食事をお運びしますので」

 食事と聞いて、朝から水しか飲んでいなかった事を思い出すと、急にあたしは空腹感を覚えた。

 「あっ、それから、お昼にはルージュのワインも一緒にお願いね」

 あたしが、昨日飲めなかったワインのオーダーを忘れる筈は無かった。

 「かしこまりました。お客様、これをお部屋でお持ち下さい」

 エリカはあたしにビニール製のバックを手渡した。

 中には、ストッキングや下着類、それから化粧品等のセットが入っていた。


 果たして午後3時に成ると、メーカー4社はそれぞれ素敵な衣装類を持参した。

 どれもお洒落なので目移りがして仕方が無かったが、動き易さを重視すればあたしが粗相するリスクが軽減されると考えて、「ジバンシー社」が持参した薄いピンクのワンピースドレスを選んだ。

 「お客様、そのドレスですと小物類もジバンシーで揃えた方がお似合いだと思います」

 エリカの助言も有って、あたしは全身をジバンシーで揃えると、颯爽とディナーの席に臨んだ。

 「ミサト様、とても素敵でございますよ」

 セバちゃんがあたしの耳元でそう囁いた。

 スグルはそれには何も触れなかったが、満足そうな笑顔を浮かべてあたしを見詰めた。

 居酒屋では向かい合わせで座っていても全然平気だったのに、今はスグルから見詰められると、耳朶まで赤く染めている自分をあたしは感じた。


 この晩餐の主催者であるスグルが議長席に座ると、スグルに一番近い席への着席を、あたしはセバちゃんから薦められた。

 それから2列目にオブライエン嬢とエリカが、3列目に橋本とセバちゃんがそれぞれ座った。

 桂川家では、食事の席次はレディファーストが決まりらしかった。

 スグルとあたしには、それぞれ専属の料理人が脇に付いて料理をサーブしてくれた。

 あたしは少なく共、橋本とエリカは無口で終始するかと思っていたが、二人共、饒舌ではないが明るい口調で会話に参加していた。

 スグルはこの館の主なので別にすると、住人達はそれぞれ役割が異なるだけで、上下の隔てが無いフランクな関係の様だった。

 この人達は日頃、こんなにインターナショナルな話をするのかとあたしは改めて驚きを隠せなかった。

 スグルとセバちゃんは、話題に着いて行けないあたしに気を遣っているのか、あたしに関連する話題を口にした。

 スグルは、あたしと食べたラーメンが如何に美味しかったかを、セバちゃんはあたしとLINEを交換して感激した事などを語った。

 橋本が「ミサト様は、この家には昔からいらっしゃたみたいで、少しも違和感を感じませんね」とリップサービスをして呉れたのには、流石にあたしも驚いた。

 やり~っ!あたしの味方がまた一人増えたわ!


 やがて、美味しい料理の数々であたしのお腹がはち切れそうになった時、長かった晩餐会も終わりを告げた。

 「ミサトさんは、昨晩の事とか、僕達の事とか、聞きたい事が有ると思うので、これから僕の部屋に来てね」

 スグルが自分の部屋にあたしを誘った。

 「爺や、ミサトさんは生ビールがお好きなので、取り敢えず軽いツマミと一緒に僕の部屋に持って来て。さあ、ミサトさん、僕の部屋はこちらですよ」

 お腹が一杯でも、生ビールはあたしには別腹だった。

 「チャンス到来!!!酔ったフリをして、スグルを彼の部屋で押し倒してしまいな!そうしちゃいな!」

 その時、あたしの中の魔女のかけらが、何時の間にか復活していて、あたしに魔女の如く振る舞う様にささやいた。


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