第2章 プリパレーション 1
まだ開店したばかりの時間帯だったから、昨夜も訪れた居酒屋は、テーブル席に空きが目立っていた。
あたしは、密かに未成年者に酒を飲ませる魂胆だったので、衝立てで仕切られている一番奥のテーブルに座った。
昨夜は、土曜日だったにも関わらずあたしが帰る頃にはもう満席になっていたから、今夜もこれからお客が増える事は確実だった。
客が増えれば、スグルに酒を飲ませても益々目立た無くなる筈だ。
ヒヒヒ。
「スグル、ここもオーダーはあたしに任せてね」
「勿論!お姉様に一任で~す」
スグルはやっぱり素直で可愛い天使なのだ!
「スグルはお肉は、牛、豚、チキン、どれも大丈夫?」
「うん、全部大丈夫だけど、出来れば普通の日本人が、この店で普通に注文する物を食べてみたい!」
「そう?それなら、あたしに任せな!」
あたしは流石に、スグルが刺身を好むかどうかが分からなかったので、二人でシェア出来る様に、昨夜も注文した「刺身の豪華5点盛り」を一皿注文した。
その後、先付けとして肉じゃがとイカの沖漬け、それからアンチョビ入りのポテトサラダを注文した。
まあ、庶民の代表者で有るあたしが食べたい物を注文すれば、スグルのリクエストにも応じた事に成る訳だし・・・。
飲み物はあたし用に生ビールと、そして昨夜、何気に確認していた「ノンアルーコールのレモンサワー」をスグル用に注文した。
待っててね、スグル!後でたっぷりと本物の「酎ハイ」を飲ませてあげるからね。
「ね、ミサトさん、刺身ってレアフィッシュの事だよね」
「そうよ。お醤油にわさびを溶かして、それを付けて食べる大人の味よ。スグルには無理かも知れないと思って一皿にしておいたわ」
「大丈夫、きっと!それに刺身ってどうしても一度は食べてみたかったから・・・」
「スグルの館は東京の目白だし、食事を調理する人も厨房に入っていたみたいだったけど、スグルはこれまで刺身を食べた事がないの?」
「うん。爺やは短い期間だけだったけど二代目の総支配人を受けて呉れたんけど、その前までは、将来を嘱望された日本食の料理人だったんだ」
「えっ?セバちゃ・・いや、爺やさんは元料理人?」
「そうだよ。だけど、たまに爺やが作って呉れる日本食は、確かに凄く美味しいんだけど、何故か精進料理だけなんだ」
「不思議ね。日本食の花形と言えば、お寿司を含む刺身系、それからてんぷら、伊勢海老、あわび、タラバ蟹とかなのにね」
きっと何かの理由が有るのだろうから、今度、セバちゃんに会ったら、その訳を訊いてみよう。
「でも良かったじゃない。今夜はこの店で刺身とてんぷらと焼き鳥は食べれるよ!」
「だよね~。これだから僕はミサトさんから離れられないんだ」
離れられないって、スグルに初めて会ったのは昨日の午前なんだけどなぁ。
会ってから間がないからそれが本音だとは思えないけど、まあ、嫌われるより断然マシか?
「前からスグルに訊きたかったんだけど、スグルは生まれも育ちも米国だよね。ご両親も子供の時に事故で亡くしたんでしょう?それなのに日本語は完璧だよね」
「僕の日本語の教師は爺やなんだ。爺やは新たな味を求めて総支配人を辞めて、パリのル・コルドン・ブルーでフランス料理を学び直した後、フランスとイタリアの有名料理店で腕を磨いたんだ」
「そう?じゃあ爺やさんは、洋食も得意なんだ」
「うん、繊細な日本食とフランス料理の奇跡的な融合!を実現して、彼の料理を愛する人が増えた頃、後に僕を引き取る事に成ったアンダーソン家の次期当主、アレン氏が日本食の専属料理人を捜していて、僕の母が爺やを推薦したんだ」
「じゃあ、スグルのお母さんと爺やさんは以前から知り合いだったのね?」
「そうだよ。爺やは母の実家である京都の料亭椛で、若くして花板、要するに料理長をしていた人なんだ。それから短期間だけど総支配人もね。そして僕がアンダーソン家に引き取られてからは僕の養育係に成って呉れたの」
「そうだったんだ」
あたしは、スグルとセバちゃんの関係が分かって何かスッキリした気分に成っていた。
やがて、客がまだ少ない事も有って、余り待つ事も無く注文した料理が運ばれて来た。
「スグル、変な事を訊いてゴメンね!じゃ、乾杯しよう!」
「うん、僕はとミサトさんとの楽しいデートに乾杯!」
「そうね、あたしは今日も頑張ったスグルと、これから高値で売り飛ばされるで有ろうゲームセットに乾杯!!!」
「やっぱり、あのゲームセットは売るんだ?」
「あたしの様な庶民は、常にお金に困っているのよ」
それから、あたし達は楽しい会話を交わしながら美味しい料理を食べて、過ぎ行く時間を忘れた。
スグルも、あたし用に注文した本物の「レモン酎ハイ」を4杯、そして「ハイボール」も3杯飲んだ。
確かに飲んだんだけど、スグルは泥酔するどころか脳細胞が益々活性化したみたいで、溢れ出る言葉の洪水から喋る言葉を選ぶのが大変そうだった。
あたしには弟がいないから分からないけど、15歳のガキってロングドリンクスを7杯も飲めば、普通、酔っ払うんじゃないの?
何れにしても私だってスグルに負けずに飲んでるから、次々と空けられるグラスを下げる店員からは、間違い無く「この女、一体どれだけ飲めば気が済むんだ?」と思われている筈だ。
スグルの脳細胞はあたしの期待に反して、少々のアルコールで緩む事は無かった。
これは、二次会と称してスグルをあたしのアパートに連れ込んで、とことん飲ませるしか手が無いか?
あたしが、何処のコンビニで酒とつまみを調達しようかと考えていたら、スグルが「やはり、これは間違いが無いかな」と呟いた。
「えっ?何が間違い無いの?」
「これから、わざわざ僕達の腹ごなしに付き合って呉れる人達が現れるって事!」
「?」
「大丈夫。ミサトさんの安全は100%保証される体制を、先刻敷いたから」
「あたしの安全が保証されるって、どう言う意味よ?」
「僕に取ってはゴーカート程度だけど、もしかしたらミサトさんにはジェットコースターの様に感じられるかもね?まあ、楽しんでね、ジェットコースターのスリルを!」
「ちょ、ちょっと~!あたしにも分かる様にちゃんと説明してよ!」
スグルは自身のカードで支払いを済ますと、さっさと店を出た。
「待ってよ!スグル」
店の外に出ると、直ぐにダークスーツに身を固めたサングラスの男6人にあたし達は取り囲まれた。
「桂川卓さんですよね。お楽しみ中に恐縮ですが、貴方に今からどうしてもお会いしたいと言う人物がいましてね。ご同行をお願いします」
何?このベタな流れは!もしかしてこれは先刻のテストゲームの続き?
「僕達は貴方が言う通り、今、お楽しみ中でしてね。折角のお誘いだけどお断わりしますよ」
「それは困りましたな。我々も仕事で成果を出して帰らないと、上司から叱責を受けますもので」
黒メガネ達のリーダーだと思われる男が、停車している車のドアを開けて、中にスグルを招き入れようとした。
通行人が何人かが、わたし達を避ける様に舗道の隅を通ったが、怖いのか誰もが眼を伏せてこちらの方を見ようとはしなかった。
「僕たちはこれからデートのクライマックスを迎える予定なので、別の日にして貰えるととても有難いのですが・・・」
スグルは、声のトーンは少年のままだが、どこまでも落ち着いた大人の口調だった。
「スグルったら、クライマックスを迎えるだなんて、この男達に誤解されちゃうじゃないの。あたしはただ、泥酔したスグルをあたしのアパートで押し倒して・・・アレ?それって同じ事?」
あたしはそれが同じ事なのか、微妙に違うのかを呑気に考えていた。
「次回、この様な形でお二人にお会い出来るかどうかは分かりませんので、不本意ですが、こうするしか有りませんな」
リーダーが部下に顎をしゃくると、あたしは二人の男から両腕を取られ、背後に回った男はあたしの背中に刃物の様な物を突き付けた。
あたしは「ぎゃー、助けて!」と叫んだ方が良いかをスグルに眼で確かめたら、答えはノーだったので、その男達のされるままになった。
「安物のサスペンスドラマで来ましたか?じゃあ僕もそれに倣って、狙いは僕だけだろう。彼女は関係が無い。直ぐに放してくれ!とでも言いましょうか?」
「ハハハッ!流石は桂川教授。ジョ-クの方も超一流ですな」
その時、先刻の居酒屋から団体客がぞろぞろと出て来た。
あたしは、背後の男にお尻を蹴られて、2台目の車の後部座席に放り込まれた。
先頭車両に乗り込むスグルに視線を送ったら、スグルはあたしに余裕でウィンクを送っていた。
「ちょっと、スグル!安全を保証する体制を敷いたって言ったよね!スグルのボディガードが現れて、此奴らをやっつけて警察に突き出すんじゃ無いの?」
あたしは2台目の車の中で、「バカ、アホ、マヌケ、ドロボー、ヘンタイ」と罵りの常套句を連発しながら30分は大声で悪態の限りを尽くした。
これだけ長時間悪態をついた経験があたしには無かったので、お陰でストレス発散には絶大な効果が有ったので、少なく共、向こう1か月は罵らずに済みそうだった。
だが、その効果を確認出来るかは、生きた姿で娑婆に戻れれるどうかに係かっていたのだが。
「元気が良いお嬢さんだ。そう喚き散らかされては運転に集中出来ないので、ちょっと黙ってて貰いましょうか?」とか言われて、ハンカチで猿轡をされるかと思っていたが男達は終始無言だった。
「さあ、着いたぜ!アンタも降りるんだ」
助手席の男があたしに下車する様に命じた。
男達は一斉に、それまで装着していた耳栓を外した。
道理で、あたしの悪態にも平静が装えたんだ。
「此奴ら、素人じゃない!」
それは初めから分かっていたのだが、改めて気が付いてあたしの背中がブルッと震えた。
今日は超ラッキーな一日に成る筈だったのに、どうやら最悪の日に成りそうな気配だった。
あたし達が連れて行かれた先は、セキュリティが厳重そうな3階建ての鉄筋住宅だった。
その佇まいは、刑事ドラマに良く出て来る「組長宅」を連想させた。
「此奴らはやはり、暴力団の関係者かな?」
あたし達は、二階の広い長方形の部屋に通された。
あたしはそこで手足を縛られ椅子に括り付けられた。
「スグル、早く安全確保体制を発動させてよ!」
あたしは心の中でそう叫んだ。
この部屋には手下が1人残っただけで、5人の黒メガネとスグルは奥の部屋に消えて行った。
開かれたドアから垣間見た奥の部屋は、更に広くて長い部屋の様だった。
「桂川さん、お手数をお掛けして申し訳有りません。私の方も名乗るのが礼儀ですが、生憎、訳があってそれが出来ませんのでお許し下さい」
その部屋には、ベストに拳銃をホールドした、他の4人の男も待機していた。
「特殊部隊まで動員されるとは、やけに厳重ですね。ここは日本です。銃刀法違反で捕まりますよ」
スグルの言葉にボスらしき人物はフフッと笑った。
「貴方はゲルシアによって警備されていますからね。こちらも用心しませんとね。それに我々のような下っ端の組織でも警察には顔が効きますのでご心配無く」
「僕も忙しいので早く用件を話して貰えませんかね?」
「分かりましたよ、私も早く務めを済ませたいので。我々の目的は世界中の企業や組織が地道を上げて狙っている貴方の研究成果では有りません」
「ほう、それは助かります」
「貴方はゲルシアの中の謎の特殊精鋭部隊に守られていますが、その部隊の情報が皆無なので、それを喉から手が出る程欲しがっている企業や機関が有っても不思議では無いでしょう?」
「そんなご用件でしたら、明日にでも僕の館に取りに来て呉れたら、情報を差し上げましたのに」
「フフ、噂通りの素敵なジョークが聞けて光栄です」
「それはどうも」
「貴方が行方不明になれば、必ずゲルシアの特殊精鋭部隊が貴方を救出する為にここに現れますからね。どういうタイミングでそしてどういう方法で貴方を救出するのか?その一部始終をこの家に張り巡らされた多くのカメラで捉えてクライアントにリアルタイムで送信する手筈なのですよ」
「ご苦労な事です」
「ですから、あなたとあの女性に危害を加えるつもりは全く有りませんので、どうかご安心を。貴方もお忙しい身の上。でも、偶には休息が必要でしょう。ここの地下室で彼女と仲良くトランプで遊んでいて下さい」
「恐らくゲルニアが僕を助けに来るのは早くて明日でしょうから、その間ここに拘束されるのは仕方が有りませんが、トランプは困ります!」
「え?何故です?」
あたしがいる部屋の手下は、あたしが椅子に括り付けられているので安心しているのか、奥の部屋の方を向いて中の会話に耳を傾けていた。
暫くすると、この部屋のロックを密かに開錠させた、3人の武装した男達が忍び足で入って来た。
一人の男が、口に人差し指を立てて「静かにする様に」とジェスチャーであたしに合図した。
次の瞬間、三人の武装者はこの部屋を見張っていた男を、一言も声を発させる事無く、倒れ込む音さえもさせずに気絶させた。
「この男、拳銃を持っている。やはり奥の部屋には何人か特殊部隊が配備されている様だ。プランBに切り替えるぞ!」
マシンガンを抱えた武装者がベルトを抑えて何かの信号を送ると、あたしのロープを全て切り取った。
「貴女もこのマスクを着けて下さい。今から御前と貴女を救出しますので!」
「ゴゼン?午前、午後?それにしてもアンタ達、来るのが遅いっちゅうのよ!ノロマ!」
あたしには、まだ悪態をつく元気が残っていたようだ。
その後、そのマシンガン男がドアの向かって左側に待機し、残る2人の男はノズルが付いたガズボンベの様な物を持って床に伏せた。
「え?何故です?」
「彼女は有名なスゴ腕のギャンブラーですよ!一晩も一緒にトランプをしていたら僕は全財産を彼女に巻き上げられてしまうからです」
「桂川さん、貴方は余程ジョークがお好きな様だ。分かりました。トランプは止めてチェスをお持ちしましょう。それから私は来月、マカオのカジノに行く予定なので、彼女をお貸し願えませんか?」
「良いですよ。彼女のレンタル料は高いですが、彼女にキャッシュで支払って呉れるので有れば・・・」
このボスらしき人物は、顎で「この男を地下室に連れて行け」と部下に命じた。
「作戦開始!」
マシンガン男が作戦開始宣言を行って、奥の部屋に続くドアを全開した。
同時に、床に伏せていた2人の男がガスを激しく噴霧させた。
あたしは慌てて、マスクを自分の顔に取り付けた。
「何だ!この煙は?」
奥の部屋から4~5人が、よろめきながらこの部屋に逃げて来たが、マシンガン男は彼らを一撃で倒した。
「突入!」
三人の武装者が奥の部屋に突入した。
銃声はひとつも聞こえなかった。
開かれてるドアから、マスクを着けたスグルがこちらの部屋に何かを話しながら歩いて来ている姿を見た時、あたしの意識はスーッと消えて、あたしは完全に気を失った。
「御前、監視カメラの画像と音声類は全て回収しました。奴らのクライアントにそれらが送信された形跡は有りません」
「彼らも、救出作戦がこれだけ早くて電撃的だとは予測していなかった様だね。彼らが何処の組織に所属しているかも分かったので撤収しよう!皆さん、お疲れ様でした」
スグルと三人の武装者は、超強力な麻酔ガスを吸い込んで眠っている男達を何人か跨いで、あたしが縛られていた部屋に戻ってきた。
「ミサトさん、もう大丈夫。終わりましたよ!アレ~ッ?」
「この女、寝てますけど」
「マスクを装着して貰った筈だけど、何故?」
「ありゃーこの女、マスクの上と下を無理矢理、逆に取り付けてますねぇ~」
「一体どうすれば、このマスクを逆さまに装着出来るんだろう?」
スグルも驚いて、ミサトの寝顔を覗き込んだ。
「御前、この女、違う意味で天才かも知れませんね。あ~あ、本来、鼻を覆う所が口に来てしまって、想いっ切り隙間が出来てますから・・・」
「ガス、吸っちゃいましたね。力一杯!」
別の男がスグルに訊ねた。
「ところで、この女が大事そうに抱えている、このふたつの包みは何ですか?」
「ああ、それは彼女の大切な戦利品!」