第92話 褒美の裏②
「ほう、それほどの功績か。その功績を踏まえて、エレナにはどのような褒美を与えるべきだ?」
「王都の北、マロッツェ地方を領地として下賜されてはいかがでしょうか」
「マロッツェか……余はどのような地か詳しく知らぬ。説明せよ」
「はっ、マロッツェ地方には肥沃な大地が広がっており、水源も豊富。魔物が多いのは難点ですが、非常に良い土地です」
「ふむ、わかった。そのマロッツェ地方を褒美にせよと言うのだな」
「はい、ですが一つ問題が。マロッツェを治めていた領主はもうおりません。早急に任地へ赴き、治めていただかねばなりません」
「ではこうしよう。王都奪還の暁には、マロッツェをエレナに与えよう。それまで、リッシュ・ラモンド、其方が責任をもって治めよ。よいな」
「!……それはなりません陛下! エレナ宰相閣下の治める地を、私ごときが手を下しては、閣下の威信にかかわります」
あら、急に慌てだしたわね。威信とかどうでもいいけど、大きな問題でもあるのかしら? まあいいわ、何か隠しているのはわかってるから。
「リッシュがこのように申しているが、エレナよ。其方はどうしたい」
「陛下より賜る栄誉に、私が口を挟む道理はございません。未来の領地よりも、いまの陛下のお気持ちだけで十分でございます」
「うむ、実に気持ちの良い答えだ。では余の思うとおりに進めよう。リッシュ、先の通り、王都を奪還するまでマロッツェを治めよ」
「御言葉にございますが陛下、臣には庶務大臣という重責があります。滞りなく政務を執り行わねばなりません。この城――カヴァロを離れるわけにはまいりません」
言葉を濁すリッシュとは反対に、アデルの声が鋭さを増す。
「ならば宰相は良いと申すのか」
あっ、陛下詰めてきた。カッコイイ! やっちゃえ、やっちゃえ!
「いえ、そのようなことは」
「宰相を遠ざけようとしているように聞こえたが、余の考え過ぎか?」
「陛下の仰るとおりです。浅慮な臣をお許しください」
身体を直角に折り曲げた、下を向いたリッシュの顔からポタポタと汗が落ちている。さすがは陛下! ちょっぴり惚れ直した。
「許す。では今回の褒美について、後ほど相談しよう。それで良いな」
「はっ、ははあ、異存ございません」
あー、スッキリした。やっぱりいいわ、あの子。これは本気で結婚を考えないと。
それからいろいろ下問され、つつがなく謁見は終わった。
褒美を逃したのは痛かったけど、あの大臣が打ちのめされる様は痛快だった。
やっと堅苦しい謁見が終わったかと思うと、今度は陛下の部屋に連れて行かれた。私の手を引いているのはアルベルト・カナベル元帥だ。この人も呼ばれているのだろう。彼がいては寛げない、まったく面倒だ。
「陛下、エレナ宰相閣下をお連れしました」
部屋から退出しようとするアルベルトを、カーラが呼びとめる。
「カナベル卿、貴様にも話がある。残れ」
「はっ」
アルベルトは立ったままだったけど、私は陛下に座るよう勧められた。
お茶を出してくれた侍女を下がらせると、アデル陛下はむっとした表情になった。
「エレナよ、許せ。リッシュ・ラモンドを処断しようとしたが、其方の言葉を思い出して躊躇してしまった」
なんのことだろう? もしかして、私に対する悪口を聞いていたとか? うーん、陛下にはロビンみたいな密偵もいるし、あり得ないこととは思えないけど。まさか悪口で処断するとか、そこまで短慮じゃないわよね。
思い当たる節を考えていると、
「あの悪人、こともあろうにエレナを最前線に送り込もうと企んでおった」
「えっ!」
そういえば王都は敵――マキナ聖王国に占拠されている。ご褒美の領地は、王都の北だ。下賜されるんだから、普通は非戦闘区域よね。もしかして、そこまで敵が攻めてくるとか……。
「あの地には、いまだ抗戦を続けている領主――トベラ・マルローがいる。余よりも一つ歳上の娘だ。先の領主トグル・マルロー亡き後、勇敢に戦っていると聞く。それをぬけぬけと領主不在と言うとは……」
最悪だ。攻められる可能性どころか、現在進行形で攻められている土地を褒美に選ぶなんて! アデルが怒るはずだ。
無能な貴族とちがって王族はまともだ。いや、優秀といえる。
これはご褒美が必要ね。
私は怒りに震えるアデルの手を、そっと両手で包み込んだ。
「陛下が気を病むことはありません。もし、あの場で大臣を処断していたら大変なことになっていたでしょう。よくぞ我慢されました」
「エレナ、すまない。余が不甲斐ないばかりに……」
抑えていた感情が爆発したのか、アデルは涙をぽろぽろ流した。優しい子だ。最前線で戦う者のことも気に留め、王族でありながら、すべてを背負おうとしている。
それにしてもリッシュ・ラモンド。あいつだけは許さない。陛下を泣かせただけでなく、私を最前線に送り込もうとした。
心優しい陛下には健やかに育って欲しい。だから、あの穢れた大人は処断させない。そんなことでアデルの心を穢してはいけない。
私の手で始末することにした。肉体的にではなくて精神的にね。このことについては、あとでカーラに相談しよう。私の獲物を奪うなと……。
「陛下、何か私に相談があるのでは」
問いかけると、途端にアデルは俯いた。やましいことでもあるのだろうか?
代わりにカーラが答える。
「エレナ、悪いが、至急マロッツェへ向かってくれ」
ああ、なるほどね。最前線送りだから陛下は俯いちゃったのか。
「最前線に行って何をすればいいの?」
「トベラ・マルロー伯爵と住民をこちらに移したい」
「敵を撃ち破るんじゃないのよね」
「そうしてくれればありがたいのだが、さすがのエレナでも無理だろう」
「わかったわ。それで、出兵の規模はどれくらい?」
「一万七千。それだけいれば事足りるだろう」
「ってことは、それだけ住民が多いってこと?」
「そうではない。一万二千は東のガンダラクシャへ向かう。貴様が指揮するのは五千だ」
「で、想定される敵の数は」
「五万」
十倍の敵なんてどう考えても無理ゲーよね。でもまあ、手が無いわけでもない。だけど、数少ない切り札だし、つかいたくないんだけどなぁ。
ま、そのときは、そのときで別の手を考えましょう。
「いいわよ。引き受けてあげる」
「陛下のためにも、必ず生きて帰ってこい」
「やめてよ、それ死亡フラグよ」
「ふらぐ? またわけのわからない言葉をつかう。カナベル元帥、貴様は一万二千を率いて、ガンダラクシャへ向かえ。ガンダラクシャのツェリ元帥には伝書鳩で通達済みだ。あれは貴重な連絡手段。送り出した以上、計画の変更はできない」
「その計画とは?」
「東西を結ぶ街道まで進めば、援軍を出してくれる手筈になっている。まずはツェリ元帥と合流しろ」
「合流後はどうすればいいのですか?」
「東部を奪い返し、北と東を結ぶ道を確保してもらう」
アルベルトも無茶振りされているようだ。
正直やめてほしい。私が失敗すればアルベルトが攻撃される。マロッツェの住人と私の率いる五千だけでなく、一万二千の兵の命までのしかかってくる。
ああ、いやだ。こんな重荷を背負いたくないから政務方に移ったのに。
私、実戦指揮の経験はあるけど、それほど上手くないのよね。こんなことなら安請け合いしなけりゃよかった。
後悔してももう遅い。アルベルトとカーラの会話はさらに続く。
「なかなかに厄介な仕事ですね」
「無理ならば断ってもいいぞ」
断っちゃいなさいよ。
「いえ、ガンダラクシャには従妹がいますので頑張ります」
「期待している」
こうして私は、またもや貧乏くじを引かされた。それにしてもアルベルト・カナベル元帥も運が悪い。
断ってもいいんだけどなぁ。
泣きはらして目をまっ赤にしたアデルがいなければ、間違いなく断っていただろう。
それにしても、本当にツイてない。