第186話 水②
さて、大勢は定まった。残敵処理に移るとしよう。
私は衝撃棍を伸ばして、そろそろ砦に攻め入ってくるであろう敵兵に備えることにした。
「エスペランザ様、なぜ武器を?」
「フローラ嬢、そろそろ敵の生き残りが来るはずだ。襲撃に備えたまえ」
「これだけの計略、難を逃れた兵士は撤退するのでは?」
「末端の兵はそう考えるだろう。しかし相手はカリエッテ元帥のことを知ったうえで戦っている連中だ。無能は多くないはず。優秀な指揮官ならば、この機に乗じて逆転を狙ってくるだろう。特攻――前線で戦う者だけに与えられる特権だ。君たちだって同じ立場なら、そう考えるだろう?」
「……畏まりました。ただちに迎撃の準備をします」
フローラ嬢は一礼すると、マカロニのような筒を咥えた。次の瞬間、鳥の鳴き声に似た音を鳴らす。鳥笛というやつだろう。そういえばリブラスルスも持っていたな。原始的なガラクタで、子供の玩具だと思っていたが……ハンドシグナルとちがって、暗闇でもつかえる有効な手段だ。今度試してみよう。
警戒を強めたいが、いまは夜中だ。それも新月。守るも攻めるも困難な状況。
敗残兵は縄で繋げた梯子を架けてきた。生き残りをかけて攻めのぼってくる。
敵の指揮官はなかなか優秀だ。
砦の兵士も矢を放って応戦するが、この夜闇では成果は期待できない。死を覚悟した敵兵が、防壁に到達した。
「神敵を殲滅しろぉー!」
「教義に背く異端者を殺せぇー!」
なるほど元気なはずだ。狂信者も混じっている。
しかし解せない。異教徒ならば話はわかるが、教義に背く異端者というフレーズはピンとこない。国同士の戦いだけでなく宗教的な内部紛争も絡んでいるのだろうか? これだから内輪揉めは嫌いだ。派閥だ、威信だとシンプルな戦争をぐちゃぐちゃに掻き乱してくる。
まあいい、詳細はあとでカリエッテに聞こう。
侵入した敵の排除に向かう。
放っておいてもいいのだが、雑兵というイレギュラーのせいで記念すべき初勝利に泥を塗られては困る。早々に辞退していただこう。
後続のため、場所を空けるべく発奮している敵兵たち。味方がいくら斬りつけても、猛然と剣を振るっている。
後のない敵と、勝利を確信した味方。どちらのほうが兵士として秀でているか一目瞭然だ。そもそも覚悟がちがう。後のない敵は死に物狂いで戦うだろう。
私が駆けつけるまでの間に、十人近くの侵入を許してしまった。
肝心の味方は逃げ腰で剣を突き出しているだけ。局地的な敗北だ。このままでは傷口がどんどん広がっていく。
大局は覆らないだろうが、私としては圧勝で終わらせたい。
流れを変えるべく、まずは一人、犠牲になってもらうことにした。
味方の壁の隙間から、衝撃棍を突き出す。
距離が足りないので、少し伸ばした。コンと鎧に当たる。
「こんな子供が殴りつけてくるような一撃、痛くも痒くもないわッ!」
敵が払いのけるよりも先に、衝撃波を叩き込んだ。
「ングゥッ!」
鎧に風穴が空いた。敵兵の背後に血煙が生まれ、向こう側が見える。
……やりすぎた。衝撃波で三人ほどぶち抜いてしまった。
そういえば、ZOCとの遭遇を仮定して衝撃波の威力を最大にしていたな……。重そうな金属の鎧を着ているから、それなりの強度があると思っていたが。まさか宇宙軍仕様のバトルアーマーにも劣るとは。
悪目立ちは避けたい。味方の陰から攻撃したし、知らないフリをしよう。
そう考えていたら、敵の一人が吠えた。葬られた敵の後ろにいた兵士だ。血で顔を濡らしているが、恐慌状態に陥っていない。
「ノルテだ! 刺壊のノルテがいるぞッ!」
「元帥が二人もいるのか」
「カリエッテだけじゃなかったのか?」
喋っている内容はわからないが、誰かと勘違いしているようだ。これは助かる。
ここはノルテという人物がいるということにして、存分に暴れよう。
はやく惰眠を貪りたい私は、不本意ながら殺戮を繰り返した。
圧倒的な勝利を収めてわかったことがある。一方的な勝利というものは実に心地がいい。いまなら戦闘狂の気持ちがわかる。
「エスペランザ様、お見事でした」
いつの間にか、フローラ嬢が横にいた。
彼女もそれなりに敵を葬ったのだろう、黒装束に血痕が付着している。普通の人間では見落とす染みだ。AIのサポートがあるから判明した。
「そういう君も存分に働いたようだな。返り血がついているぞ」
フローラは、はっとした表情で顔に手をあてる。
「顔ではない腕だ。血痕から察するに背後から仕掛けたのだろう。リーチの短い短剣やナイフではそういった戦い方になるからな」
「……ご明察です」
「それで、君の仲間は何人逝った」
「……不覚をとった者が二人」
「そうか。これはあくまで私の推測なのだが、君たちの死は公にならないのだろう」
「……はい」
「尊い犠牲……などと綺麗事を言うつもりはない。その二人は職務をまっとうした。表だって評価されることはないだろうが、せめて誇りに思いなさい。彼らもまた国難を退けた英雄なのだから」
「お優しいのですね」
「それこそ買い被りだ。私はそういった犠牲の上に立っている人間だからね。でもたまに考えるときがある、もっと上手く事を運べれば犠牲を少なくできたのではと……」
軍では無能な上官のもと、しばしば無駄に若者が消費される。それも意味を成さない消費だ。かつては私もそういった無能な上官の一人だった。ディスプレイに表示される兵士の数字。数えるのが億劫なそれに、当時は感覚が麻痺していたのだろう。最愛の人を失って、その数字がいかに凄惨な意味を表しているのか初めて知った。
軍の上層部は麻痺している。人を数値としてしか捉えていない。
名誉准将、軍事顧問と大層な肩書きを頂いた身ではあるが、そういった愚行はとめられなかった。
だからというわけではないのだが、この戦いの裏で死んでいった者たちに祈りを捧げた。自己満足だと思う。
私のやっていることは無能な上官たちと変わらない。独りよがりな偽善なのだろう。
「…………」
急に黙ってしまったせいか、フローラは困惑した顔をしている。
「話の途中ですまない。故人の冥福を祈っていた」
「つかぬことをお伺いしますが、よろしいでしょうか?」
「なんだね」
「エスペランザ様は何者なのですか?」
「ただの雇われだ。軍事顧問という肩書きのね」
「…………」
黒装束のメイドは深々と頭を下げた。本当の信頼を勝ち得たらしい。
「カリエッテに報告だ。水が引くのは日が昇ってからだろう。時間はたっぷりとある、兵に食事と休養を与えて追撃に備えるよう伝えてくれ」
私の秘策を見た後だ。無理な追撃はするまい。
「畏まりました」
とりあえずの仕事は終わった。
砦周辺の敵も始末したことだし、ゆっくりしよう。
華々しい勝利を高解像度で保存するようAIに命じかけた矢先、通信が入ってきた。
――マイマスター、悲しいお知らせです――
【なんだ?】
――未修復の肋骨が肺に刺さりました――
【そういうことはもっと早く報告しろ。修復にはどれくらい時間がかかりそうだ?】
――当初の予定より、さらに十日伸びます――
【随分と長いな。理由は?】
――圧倒的に栄養が足りません――
【…………】
私の戦いはまだ続く。全快はまだ先らしい。