第185話 水①
深夜、谷風がやむと同時に、エクタナビアの精鋭が出撃に移る。
新月の暗闇だ。一般人ならば、暗がりに目を慣らしてもあまり見えないだろう。
私はナノマシンがあるのでAIに頼めばある程度の視界は確保できるが……。
【自己修復はどこまで進んでいる】
――手つかずの肋骨を除いて、おおむね再生・修復は完了しています。脚部が九七%、腕部が九二%、鎖骨が九八%――
【脚だけは完璧にしておいてくれ、動けないとまっ先に死ぬからな】
――承知しました。脚部の損傷は最優先で実行します。任務に支障は出ないでしょう――
【戦闘用のアプリを起動できるくらいにはリソースを確保しておいてくれ。合図をしたら暗視と身体強化を頼む。射撃アプリは不要】
――修復は遅れますが、よろしいですか?――
【かまわない。その代わり痛覚遮断で対応】
――了解しました。それではマスター、ご武運を――
ご武運か、便利な言葉だ。AIが気の利いた言葉を吐くということは、成功確率は予想より低いのだろう。何度もシミュレートしたせいでAIでも容易に予測できるらしい。まったく無駄に気の利くAIだ。ま、それが第七世代の強味でもあるが。
愚痴ったところで戦況は変わらない。生き残れるよう努力するとしよう。
視界を暗視モードに切り替えていないので、歩くのも大変だ。
そんな私を見かねたのか、精鋭の一人が声をかけてきた。
「案内します、お手をこちらに」
若々しい女性の声だ。品のあるよく通る声、メイドのフローラだ。
「すまない」
「礼は不要。エメリッヒ卿しか、あの魔道具を扱えないので仕方なくです」
距離を置いた話し方は相変わらずだが、軍人らしいストレートな発言は好感を持てる。美辞麗句を並べ立てるだけの馬鹿どもより遥かにマシだ。
「エスペランザと呼んでくれ、家名で呼ばれるのは嫌いだ」
「畏まりました。エスペランザ様、怪我を負っているのは重々承知しています。ですが時間がありません。急ぎますよ」
「了解した」
連れてこられたのは、城の屋上。黒装束に身を包んだ精鋭が何やら組み立てている。見るまでもなくわかる、滑空機だろう。
「空から砦に向かうのだな。後続は? 滑車で移動するのに必要なロープは?」
当然のことを口にしたつもりだったが、フローラはえらく驚いたようだ。微かな星明かりでも、大きくなった白目がよく見える。
「驚くことはない。風のやんだ闇夜に移動するのだ。誰にも気取られず移動するのならば空しかあるまい。城門を開けると音でバレるからな」
「何から何までお見通しなのですね」
「お誉めに預かり光栄だ。しかし、カリエッテ元帥は知っていたのだろう?」
「ええ、優秀すぎる方だと……」
「なるほど、だから警戒されたのか……。まあいい、そのことは置いておいて、私たちが持参した魔道具は?」
「用意しています。指示にあった魔結晶も揃えていますので不備はないかと」
スタインベック伯の領地で改良した魔道具を確かめる。発現させる魔法の威力を限界まで引きあげた、危険極まりない玩具だ。敵も、まさかこんなありふれた魔道具で攻められるとは夢にも思うまい。
段階的に出力を上げたり、タイマーを組み込んだりと面白い作品に仕上がった。結果が楽しみだ。
しかし、こんな単純な仕掛けの寄せ集めをカリエッテは、扱いが難しいと言っていた。この惑星では異端の発想なのだろうか? 魔法という出鱈目な能力の研究が異常に進んでいるだけに、理解に苦しむ。
まあいい、いまは戦いに専念しよう。
滑空機の組み立てが終わると、いよいよ出撃だ。
闇夜を翔ぶ。
フローラの操る滑空機に同乗しているが、男子諸君の喜びそうなシチュエーションはなかった。
凜々《りり》しく滑空機を操るフローラ。蓑虫のように滑空機からぶら下がる形で、私は大きな麻袋に詰められている。まさにお荷物だ。
暗視モードに切り替えていないので、夜の景色は見えなかったし、寒風にさらされることもなかった。しかし、男としてやるせない気持ちがある。なぜだろう、酷くプライドを傷つけられた気がする。
複雑な心境だったが、着地はスムーズだった。待たせることなく、麻袋から解放してくれた。
なかなか気の利くメイドだ。
出番が来たので暗視モードに切り替える。
突然の来訪に砦の兵がざわめいていた。
ほかの精鋭は、砦の兵を宥めるのに手一杯のようだ。これといった騒ぎも起こらず、精鋭たちが淡々と準備を始める。
手際がいい。元帥の子飼いだけのことはある。
「ご指示を」
「まずは門の閂をロープに替えてくれ、エクタナビアに続く門以外だ。土嚢で隙間を塞いで、それが終わったら魔道具を三つ、水のなかへ。水に浸した状態で一〇分経過すると魔道具が始動する仕組みになっている」
「畏まりました。それで残りの魔道具は?」
「そうだな。勢いが足らなければ足そう。いきなり全部を動作させると、こっちが巻き添えをくらいかねん」
「様子を見てから、そのつど……ですね」
「そうだ」
魔道具を水に浸して一〇分。
私の考案した魔道具は十分以上の成果を叩き出した。
水を生み出す魔法〈湧水〉。それの強化版だ。魔結晶というそれなりに高価なアイテムをつかうが、効果は絶大だ。始動から一〇分で出力は最大になる。検証していないが、八時間で湖一つ分の水を生み出すよう調整してある。
魔道具が始動してから五分と経たずに、砦のなかは水で一杯になった。
外の敵も異変に気づいたようだ。松明の数を増やして、慌ただしく声を飛び交わしている。
もう遅い。敵の敗北は確定した。
「勢いが欲しいな。魔道具をあと六つ、水に入れてくれ。それがすんだら、門を閉じているロープを切れ」
ロープを切断すると、勢いよく門が開かれた。大量の水が、三路からなる敵の進路へ流れこむ。
カリエッテの口にのぼった裏切り者の元帥――バルコフは優秀な軍人だったのだろう。砦を孤立させるために外周に土嚢を積んでいる。わざわざ麓から調達せずとも、山の至るところに石や岩が転がっている。それを砕いて土嚢袋に詰めたのだろう。砦にいたるまでの山道も、側面からの襲撃を想定して防壁を構築している。宇宙古代史に出てくる塹壕のようだ。
襲撃を見越しての対策の数々、計算され尽くした補給線。カリエッテは、そこまで準備をしなければ勝てない相手なのだろう。
その用意周到さが命取りになった。
砦を囲う壁は湖に変わり、堅牢な補給線は河川に変わった。
高所から流れる水は、散り散りになることなく麓の蓄えられた糧秣へと襲いかかる。
人工的な鉄砲水で流された兵士の行き着く先は、麓に構築された三つの城だ。簡素な砦ではない。糧秣を保管し、敵の襲撃に備えた強固な城だ。そこへ攻め手に回っていた六万からなる軍勢が大量の水とともに押し戻される。
生み出される惨状は想像に難くない。