第172話 subroutine カリエッテ_城塞都市エクタナビア
◇◇◇ カリエッテ視点 ◇◇◇
エクタナビアが要塞都市と呼ばれる由縁はその地形にある。
大小並び立つ嶮岨な山。〈双城〉と呼ばれる西部を代表する兄弟山だ。険しく尖った兄山と、幾分かなだらかな弟山から成る。
城塞都市が築かれているのは兄山だ。強固な岩盤とその標高から道を造ることも登ることも不可能とされている。
城塞都市に入るには、渓谷を挟んだ弟山を登って、そこに架けられた橋を渡らなければならない。
鉱山が盛んなこの都市は、利便性から山の中腹に築かれている。階層状に築かれた都市自体がすでに要塞なのだが、城はさらに上だ。難攻不落の象徴とされる城塞エクタナビア。その城を守っているのは守りに定評のある元帥、すなわちこのアタシだ。
カリエッテ・ロドリア、齢六〇を目前にしているが、若い連中に道を譲る気はない。
手元にある鏡を覗く。眼光は鋭く、全盛の頃と代わりない知略を有している。伊達に元帥の椅子に座っちゃいない。経歴だけでも自慢できるほどだ。ベルーガ各地の防衛戦に就くこと百数十、一度の敗退もない。ゆえに西の要所エクタナビアを任されている。
「やれやれ、法と秩序を馬鹿正直に守っているランスベリーが同盟の期間切れとともに攻めてくると踏んでいたのに、まさか元同僚に攻められるとはね……ロドリア家も舐められたもんだよ」
執務室の窓から、弟山で繰り広げられている戦いを見下ろす。
戦いの構図はこうだ。渓谷に架かった石橋を守るベルーガ、それを攻める恥知らずな裏切り者たち。
裏切り者――元同僚の元帥バルコフの率いる兵が、砂糖に群がる蟻のように麓からじわじわ登ってきている。降り注ぐ石や矢を受けながらじわじわ、ゆっくりと。歩みはわずかだ。しかし確実に石橋を守る砦との距離を詰めている。それも砦から伸びる道三本すべてに。
一本はバルコフ、残り二本はマキナ聖王国。
バルコフのほうが侵攻は速い。
どうやらマキナにはまともな指揮官がいないらしい。もしくは、やる気がないのか……。
どちらでもいいことだ。時間を浪費してくれるのなら、こちらとしてもありがたい。
渓谷に架かった石橋の長さはしれている。要塞都市に直接橋を架ければ楽なのだが、それができない。渓谷から吹き上げる風が強すぎて、仮の橋を架けようとするたびに吹き飛ばされるからだ。
兄山の麓からの侵入も試みられたが、固い岩盤と垂直に近い斜面に阻まれて失敗に終わっている。
攻める方法はただ一つ。弟山から伸びる石橋を占拠して、そこから雪崩れ込むしかない。
兵糧攻めという手もあるが、エクタナビアには膨大な備蓄庫があり優に数年は籠城が可能だ。その事実を知っているだけに、裏切り者のバルコフには力攻めでエクタナビアを攻め落とす手しかない。
それに加えて、後ろ盾となっているマキナ聖王国には、遠征ゆえの欠点――糧秣問題を抱えている。それほど時間に余裕はないはずだ。
糧秣があるうちに攻め落とさなければ、甚大な被害をこうむるだろう。腹を空かせた兵士は、格好の的だ。戦意喪失の軍隊なんて、追撃を仕掛ければおもしろいほど討ち取れる。騎兵のいい餌だ。
糧秣に左右されるバクチじみた戦いだが、それでもここエクタナビアを奪う価値はある。この城塞都市を拠点にすれば、城の守りを最小限に抑えられる。裏切り者はこの地を足がかりにベルーガを侵略するつもりだ。
アタシの目が黒いうちはそんなことはさせないけどね。
「着眼点はいい。だけど相手が悪かったね。ここには先の国王――アイロス一八世陛下も知らない罠がごまんと仕掛けてあるんだよ。アタシ以外に、この城を攻め落とすのは無理なのさ」
つい意地の悪い笑いを浮かべてしまう。悪い癖だ。亡き夫によく窘められたものだ。その夫が眠るこの地を裏切り者に蹂躙させる気はさらさらない。
アタシは机にある鈴を鳴らして、メイドを呼んだ。
「お呼びですか、カリエッテ様」
やって来たのはフローラ。一番気の利くメイドだ。アタシの若い頃にそっくりな美人で、頭がいい。おまけに決断力もあって機転が利く。賢い自慢の娘だ。
「準備はととのっているかい?」
「コウモリ、フクロウは準備が終わっています。キツネとリスは進行ルートの最終確認に向かっています。遅くても夜には動けるかと」
メイドが口にした動物の名前は、アタシが手塩にかけて育てた兵士たちだ。王家の密偵にも引けをとらない優秀な子供たち。成り行きで育ててきたが、長年一緒にいたもんだから情が移ってしまった。むざむざ殺されには行かせるつもりはない。
だから可愛い子供たちがより多く生き残れる手段を模索している最中なのさ。
ああ、本当に親になるのは気苦労が絶えないね。世の馬鹿親どもが我が子を捨てる気持ちもわかるよ。手間がかかるったりゃ、ありゃしない。
「急ぐ必要はない、じっくりおやり。時間は十分にある、焦ってもいいことはないからね。それよりもフローラ」
「はい」
「万が一の場合は、おまえが指揮をお執り」
「な、何を仰るのですかカリエッテ様!」
「嫌な予感がするのさ。アタシの勘はこれまで一度も外れたことがない。何かが起こる」
「ここまですべて、カリエッテ様の読み通り。万に一つの間違いはないかと」
「だから腑に落ちないのさ。順調すぎる。バルコフも馬鹿じゃない、アタシらの予想もしない策があるかもしれない」
「考えすぎでは?」
「元帥たる者、考えすぎるぐらいじゃなと務まらないのさ。まあ、万が一の事態に備えてのことだからね」
「杞憂に終わってくれればよいのですが」
可愛い娘は眉をひそめた。アタシのことを心配してるんだろう。いい娘だ。この娘たちには、もうしばらくの平和を味あわせてやりたかったのに……。それにしてもあの真面目なバルコフが裏切るとは……それもツッペみたいな賤しい目をしたガキと一緒に。
そのツッペもここにはいない。あの忌々しいガキがいるのはここから南にある監獄だ。地下墓所、炎獄などの縁起の悪い異名を持つ、凶悪犯ばかりを収容した監獄。
あんなところを奪っても意味はないのに、何を考えているんだろうね。兵站基地にするにしてもあそこはネズミが多いと聞く。本当に、何をしたいのか読めないガキだよ。
フローラが退室する。
アタシ以外は誰もいなくなった部屋で物思いに耽る。
「それにしても元帥の地位にある者が二人も裏切るとはね……。王都でガーキとかいう貴族を見たときから、なんとなくは感じていたけど、ベルーガは滅びるんじゃないか? ああ、嫌だ。滅びるにしてもアタシが死んだあとにしておくれよ。まったく陛下はとんでもない問題を残して逝ったね」
歳のせいか、愚痴を零してしまった。
昔ならば言葉に出さず、ぐっと胸のうちにしまっていたのに……。
「アタシも歳だね」
死ぬときは夫のそばでと決めている。家庭を顧みなかったアタシにできるせめてもの罪滅ぼしさ。
それにしても意外だ。
戦場を離れて久しいアタシが、攻め立てられているのにこうも昂揚するとは。
認めたくはないけど、どうやらアタシは争いにしか興味を示せない馬鹿どもと同じ人種らしい。
さて、最後のご奉公だ。夫の眠っている国のため気張るとしようかね。