第165話 Hello world②
浸蝕ウィルス――ZOCのつかう毒だ。浸蝕弾のベースにもなっているそれは、たった一滴でコロニーを墓場に変えるほどの毒性を秘めている。大気に触れると毒性を失うが、無毒化する前に体内に打ち込まれると……。考えるだけでゾッとする。
浸蝕ウィルスは俺たち人類を滅ぼす恐るべき兵器だ。それがコールドスリープカプセルを循環する不凍液に混入されていたッ!
【フェムト、カプセルの不凍液に浸蝕ウィルスが混じっている。すぐに停止させるんだッ! 不凍液のラインも遮断しろッ! ウィルスが回りきる前に速くッ!】
――馬鹿な、システムログにそのような報告はあがっていません。………………不凍液循環ライン遮断できません。コールドスリープに関する制御をまったく受けつけません。ZOCにやられました。プログラムを上書きされています――
【敵を褒めている場合じゃないぞ、いますぐ書き換えろ!】
――…………駄目です。循環ラインのプログラムにだけアクセスできません――
【カメラをつかって生存者を確認しろッ!】
制御不能で開いているラインは閉じられないが、装置は停止できるだろう。
フェムトに命じて不凍液の循環装置への電源供給を遮断した。俺としたことが迂闊だった。ZOCのハッキングを失念していた。
上辺だけの偽情報に釣られて、取り返しのつかないことをやってしまった。
フェムトと平行して俺も可能な限り無事なカプセルを探す。水平になっているコールドスリープカプセルをひょいひょい渡り、確認作業に走る。
「クソッ、なんてことだッ!」
底にあったカプセルは全滅だった。おそらく浸蝕ウィルスの比重は不凍液よりも重いのだろう。
カプセルを足場に上へと登る。
一段、二段と登ってから、不凍液のラインを手動で遮断することを思いついた。いったん底に降りて、据え付けてある工具ボックスを探す。工具ボックスはわかりやすく色づけされていたのですんなりと見つけられた。
【フェムト、トリムの技術データから、ライン遮断に必要な工具を選別してくれ。】
――カバーを開けるドライバーと……――
【説明はいい、必要な道具をピックアップしてマーカーを打て】
返事の代わりに、工具にマーカーが打ち込まれる。
【フェムト、身体強化だ。一気に上に登る】
――リソースが足りません。〈奇跡の御業〉の解析にリソースを割いているので、これ以上は無理です――
【解析はいったん凍結しろ。いまは生存者を助けることが最優先だ】
――……了解しました――
腰のベルトに工具を差し込み、カプセルを足場に一気に駆けのぼる。
てっぺんまで駆けのぼり、まずは最上段の生存者を確認する。先に打ってあるマーカーを頼りに生存者を探す。
カプセルの表面を腕で磨いて、不凍液を確認する。俺の予想したとおり、浸蝕ウィルスが沈殿していた。ラインの本管から遠いカプセルへ走る。
ウィルスに冒されていない生存者を発見した。急いで、不凍液のラインを工具で遮断する。
初めてつかう工具だ。つかい方を教わりながらのぎこちない作業になった。手間取ったものの、なんとか不凍液のラインを閉じる。
次の生存者を探して走る。
八〇基ほどカプセルの不凍液ラインを遮断する作業は終了した。
休んでいる暇はない。八〇基のカプセルを精密スキャンする。生存者はさらに減った。ウィルスに汚染されていないカプセルはたった三〇基。
千基あるうちの三割――三〇〇基丸々は無理だったろう。しかし、俺が不凍液の循環系統を再稼働させなければ生存者はもっと多かったかもしれない。
俺の手で殺したようなものだ。浮かれて確認を怠った俺の責任だ。
「クソッ」
金属の壁を殴っても、死んだ仲間は生き返らない。
泣きながら蘇生作業をする。
蘇生酔いで転落されてはたまらない。乱暴かと思ったが蘇生がすんだ人から順に気付けのきつい一発を食らわしてやった。
「痛ッ! 何するんだ!」
「黙れ、未知の惑星に着陸した。命が惜しければ俺の命令を聞け」
「脅しかッ、軍法会議にかけてやるぞッ!」
「好きにしろ、一年以上救援どころか信号も届いていない。事情は説明したからな、足を踏み外して死にたくなければ、そこでじっとしていろ」
「おい、ちょっ、待てよッ!」
素っ裸の兵士が掴みかかってくる。いちいち口で説明するのも手間なので軍隊的に拳で命令した。
「グアッ! クソッなんで殴るんだよ」
「まだ蘇生させなきゃいけない生存者がいるんだ。これ以上邪魔するならタダじゃおかないぞッ! わかったなッ!」
「…………はい」
「いまいる場所は地上一〇〇メートル、足場が悪い。無闇に歩き回るな。そこで寝てろッ! カプセルの番号を覚えておけ、あとでカプセルに収納してある外部野と武器を回収する」
「……わかりました」
とりあえず一匹目を黙らせて、俺は蘇生作業を続行した。
辺りが薄暗くなり、吹きつける風が冷たくなってくる。
疲労はあった、眠気もあった、いまはそれよりも生存者を助けたい一心で身体を動かす。
全員の蘇生作業を終えると、遠くの空が白んでいた。徹夜作業で思考能力が低下しているのを実感する。
不意に、嫌いなタバコを吸いたくなった。お守り代わりに持っている軍からの支給品を咥える。
魔法で火をつけ、肺いっぱいに煙を吸い込む。ますます思考能力が低下した気がした。
吐き出した煙は白く、水に溶けるように広がっていく。まるでいまの頭のなかみたいに世界が霞がかって見えた。
「マズい」
それでも二口、三口と吸っては煙を吐き出した。
チビたタバコをもみ消して、意識を取り戻した最後の一人と対面する。
「ハロー、ワールド。未知の惑星へようこそ」
子供でも知っているプログラムミングの出力結果を投げかけて、それをもって歓迎の挨拶とした。
素っ裸の生存者を引き連れて部下の元へ戻ると、全員揃って口を半開きで出迎えてくれた。
「隊長、なんですかい、この素っ裸の連中はッ!」
「…………裸、人、いっぱい」
ラッキーとマウスが、辺りに響きわたるでかい声で聞いてきた。まあ、そうなるな。
軍事行動中に隊長が飛び出していって、一夜明けたら素っ裸の連中を引き連れて戻ってきたんだ。俺だって、ラッキーたちみたいな反応をする。
どう説明しようか迷ったが、気力体力ともに疲弊していたので、適当にでまかせを言う。
「俺の仲間たちだ。魔導……遺産で眠っていたのを起こしてきた」
「あの棺桶みたいな魔導遺産のなかで眠っているのなら、まだ沢山いるでしょう」
棺桶か……。まさにそれだな。
「彼らは適性(運)がなかったんだよ。目覚めるための適性がね」
昇ってくる朝日の眩しさに目を細めながら、死んでいった仲間たちへ最後の挨拶をする。
安らかに眠ってくれ。
やるべきことを片付けたら、ここに慰霊碑を建ててやろう。それがせめてもの……。
唐突に、腹が鳴った。
そういえば昨日から何も食べていない。生存者たちに飯を振る舞おう。いや、その前に衣類の提供だな。
素っ裸の仲間たちへ視線をやって、優先順位の高い問題から処理していくことにした。