第145話 新人歓迎①
鳥の囀りで目が覚める。
アドンとソドムの歓迎で夜通し酒を飲んだので、まだ酔いが残っている。頭がぐらぐらして気分が悪い、いまにも吐きそうだ。
【フェムト、悪酔いの成分――なんだっけ……アセトなんとかを分解してくれ】
――アセトアルデヒドですね――
【ああ、それだ。気持ち悪くてたまらない】
――お酒はほどほどに。これで二回目ですよ――
【俺にも事情があるんだよ。円滑に仕事を進めるための人づきあいってやつさ】
――…………まったく、兵卒みたいな言い訳をしないでください――
【今度からは事前に頼む】
――そういう意味ではないのですが……――
相棒は渋々《しぶしぶ》といった様子でナノマシンを動かした。さっきまでの不快感が嘘のように消えていく。
思考がクリアになったことだし、今後の方針をみんなに知らせよう。
おっと、その前に朝風呂と朝食だ。
朝の一発目は熱々のシャワーに限る。
本来であれば、俺のような貴族には専用の設備があてがわれるのだが、女性用の風呂を用意したので資材の浪費を抑えるべく、専用の設備は省いている。
ちなみに理解者であるリッシュには俺特製のシャワー設備や温水装置などいくつか送っている。資材や食糧を送ってくれるいい人だ。これくらいしても罰は当たらないだろう。
着替えを持ってシャワー室へ向かう。途中でラッキー、マウスの二人組と合流した。
「隊長も朝風呂ですか」
「そうだ。朝は熱いシャワーに限る。さっぱりしてから仕事をしたい」
「へへっ、同感ですね」
お喋りなラッキーとちがってマウスは寡黙だ。そういえば冒険者のウーガンや、同じ隊のガンスもあまり喋らないな。この惑星の住民は身体が大きいと無口になるのか?
そんなことを考えながらシャワー室に入る。先客がいた、ジェイクたち騎士見習いだ。
「はッ、スレイド閣下! どうぞこちらをおつかいください」
慌てて退こうとするジェイクを手で制する。上官たる者、どっしりと構えねばならない。
「いや、いい。考えごとをしていたからな、ゆっくりシャワーを浴びてくれ」
踵を返し、いったん外へ。しばらくして人が出てきたので、すかさずシャワー室に入る。
プライベート空間で上官風を吹かせてはいけない。シャワーを楽しむ隊員にバレないよう静かに……。
ちびた石鹸で身体を洗い、すっきりしたら今度は厨房へ。
熱気でムンとする厨房。朝食の準備で大忙しだ。
ここでも俺はこっそり調理服に着替えて、何食わぬ顔で厨房の手伝いに回った。
喧騒のなか、黙々と作業する。地味な作業だが、何も考えず黙々と手を動かす仕事は俺の性に合っている。
厨房組に溶け込み朝食の準備が終わる頃になって、炊事係りの責任者が俺に気づいた。
「閣下! 何もこのようなところで貴重な時間を潰さずとも」
「かまわない、部下の健康管理も仕事のうちだ」
「…………はぁ」
「それよりも今朝の献立は?」
「コロッケパンと芋のポタージュスープ、サラダです」
炭水化物が多めだが、築城や開墾といった肉体労働に従事しているので問題はない。疲労回復に酸っぱい物を提供したいが……それは夕飯でいいだろう。
「夕飯は?」
「閣下の考案されたカレーです」
金に物を言わせて再現した地球料理だ。宇宙では艦隊行動をしていたとき、ありつける定番のメニューだ。なんでも宇宙史以前の古代からの慣わしで、時差で感覚が狂わないように週に一度出されていたらしい。まあ、コールドスリープから目覚めたあとだと、時差なんてどうでもいいことだけどね。
「付け合わせはなんだ?」
「ピクルスを出す予定です」
炊事係りというか、この惑星の住民のセンスを疑うチョイスだったので、研究中の物を提供することにした。
「食料庫の隣りにある小屋に付け合わせに適した物がある。エシャロットの酢漬けと〝フクシンヅケ〟だ。〝フクシンヅケ〟は野菜をスライスした甘くてまっ赤な付け合わせだ。カレーに合うからそれも出してくれ。そうだな、スプーン一杯分ほどの量でいい。あくまでもアクセントだから」
「その〝フクシンヅケ〟という食べ物は新作ですか?」
「ああ、カレー専用に開発した。美味いぞ」
「わかりました、夕飯にはそれを添えて出すようにします」
「そうしてくれ。おっと鍵を渡しておかないとな」
食料庫の隣りにあるのは俺専用の料理研究所だ。盗まれても惜しくない物ばかりだが、衛生面を考えて施錠してある。
炊事係りに鍵を渡して、ポタージュ用の芋の裏ごし作業にとりかかる。
黙々と作業をする。
何も考えずに単調な作業を繰り返す。すべての悩みから解放されるこの時間が俺は好きだ。なんとなく地球の〝禅〟に似ている。
単純作業をしていると、聞きかじった禅の教えが脳裏に浮かんだ。
禅では思考を一切放棄する行為が至高とされている。瞑想によって一種のトランス状態になるのだが、それを禅では〝無の境地〟と定義づけされているらしい。崇高な行為らしく、禅に傾倒する者はまずこの〝無の境地〟を訓練する。
生きるというしがらみから解放される行為は素晴らしく、地球に留まらず宇宙にまで禅は広がっている。
俺はあれこれと移り気な性格なので熱心な禅信者ではないが、その考えには賛成だ。
気がつくと、山と積まれた蒸した芋が消えていた。
オニオンを炒めている部署へ裏ごしした芋を届けてから、今度は配膳の準備を手伝う。先に仕上がった芋のポタージュの入った寸胴を台車に載せる。軍で賄う食事だけに寸胴は大きく、人一人軽く入れる業務規格だ。
中身を零さないように注意しながら食堂まで行くと、腹を空かせた荒くれどもが食器片手に待ち構えていた。
荒くれどもは俺の姿を見るなり棒立ちになり、食器を手にしたまま敬礼する。
「おいおい、飯のときくらいは楽にしろ。でないと息が詰まるぞ」
「そうは仰りますが、閣下こそ楽にしてください。休憩しているところを見たことがありませんので……」
「俺のことを心配してくれてるのか。安心しろ、仕事の合間に休憩はとっている」
今度は別の兵士が言った。
「御言葉ですが、自分も閣下が休憩しているところを見たことがありません。いつ執務室に行っても出払っていますし」
ああ、なるほど、兵士たちは俺が執務室にいないことを不満に思っているんだな……。
「そうだな。肝心なときに執務室に不在というのも問題だな。いい機会だ。だいたいのスケジュールを伝えておこう」
報告・連絡・相談は大事。ホウレンソウを定着させるために、まずは俺が手本にならないとな。
「朝はだいたい厨房の手伝いをしている。朝食をとってから会議と書類仕事だな。午後からは訓練と周囲の警戒。それが終わったらまた書類仕事だ」
「あの、休憩はいつとられているのですか?」
「これといって決まった時間はない。でも息抜きはしているぞ。散歩も兼ねて築城作業を見回っているときだ。いい気晴らしになる」
「「「…………」」」
デスクワークと適度な運動。楽な仕事だと思うのだが、なぜか兵士たちは押し黙った。
「ん? どうした。急に黙り込んで」
「あの、閣下はもう少し自由な時間をとられたほうがよろしいのでは……。増援に来た、トベラ伯の部下の訓練に指揮と、我々からすればオーバーワークにしか映らないのですが」
「申し出はありがたいが、いまは聖王国の連中を追い出すのが最優先事項だ。あいつらを王都から叩きだしてからゆっくりさせてもらうよ」
一日のスケジュールを聞いた兵士たちが哀れむような視線を向けてくる。ああ、はやく朝食を食べたいんだな。俺としたことが、つまらないことを長々と喋ってしまった。
「話は終わった。食事をとるのも軍人の仕事だ。各自、よく食べて、職務に励め」
上官っぽく締めくくって、寸胴を配膳台に置いた。
それから配膳を手伝い、兵士たちに混じって朝食をとる。
俺に興味津々な兵士たちが、質問を投げかけてきた。
「閣下はティレシミール王女殿下の護衛の際、魔狼の群れを退治したと聞いていますが本当ですか?」
「本当だ。あれはいま思い返しても無茶をやったと思っている。三〇だったかな? 最後は群れのボスで二回りほど大きな魔狼だったな。なんとかやっつけたけど、あのときは生きた心地がしなかった」
「「「おおぉ!」」」
「二回りも大きいとなると魔王狼だな。その群れを一人で倒したんですか」
「ああ、一人だ。群れを見たときは死を覚悟したよ。ホント、よく生き残れたもんだ」
兵士たちの興味は尽きることなく、一つ答えるとまた次と矢継ぎ早に質問を投げかけられた。
大呪界開拓のこと、トンネル事業のこと、魔族との和睦のこと…………。どれもつい最近のことなのに、兵士たちは大げさに驚いてくれた。まあ、上官相手のご機嫌取りだろう。
何度も話している内容なのでいい加減に飽きてきたが、それを顔に出してはいけない。上官とはそういうものだ、とかつての軍の上官が言っていた。