第119話 義姉②
衝撃が大きかったのだろう。ティーレは打たれた頬に手をあてがったまま動かない。
容赦のない姉――カーラは続ける。
「聞けばツェリに叙爵されるまで平民だったというではないか。下賤の輩と婚姻を結ぶなど、王族としてあるまじき行為だぞ。それに、いままで何をしていたのだ。王族ならばガンダラクシャの兵を率いて戦うのが当然だろう。それを素性の知れぬ馬の骨を連れてきて、夫婦になるだと? 冗談も大概にしろ。礼儀作法しか取り柄のない妹よ。せめてこのような時くらい国のために尽くせ」
カーラの辛辣な言葉に、ティーレはいまにも泣きだしそうだ。それでも彼女は姉に向かって反論する。
「私なりに最善を尽くしたつもりです。敵の手に落ちまいと自害する覚悟を決めていました。ですがこの御方が助けてくれたのです。命の恩人です、それも一度ならず二度三度と助けられました。それに報いるのがそんなに悪いことなのでしょうか?」
頬を打つ音が、再度天幕に響く。
さすがにやり過ぎたと思ったのか、カーラは声のトーンを落として、
「庶民や貴族であればその言い分も立つだろう。しかし、オレたちは王族だ。命を救われるのは当然であり、その礼に多大な褒美を与える。しかし婚姻となると話は別だ。国の行く末にかかわる重大な案件。僻地を治めるしか能のない辺境伯に嫁がせては王家の威信にかかわる。王族に不敬を働くような男だ。妹よ、それくらいはわかるだろう」
宥めるようにティーレに言った。
「…………」
「どうした。今日のティーレは聞き分けがないぞ。おまえは気の利く妹だ。ちゃんと理解してくれたはず。さあ、おまえからも言ってやれ、その男に興味はないと」
「それはできません。私はこの御方と添い遂げます。不敬を理由に夫を処刑するのなら、私も一緒にしてください」
「まったく聞き分けのない妹だ。荒治療になるが目を覚ましてやらねばなるまい」
カーラが手の平を俺に向けた。嫌な予感がする。
――カーラから強大なエネルギーの流れを感じます。魔法を行使するつもりでしょう。どうしますか?――
【フェムト、〈魔力消失〉の準備を。ループ回数はおまえに任せる】
――了解しました。〈魔力消失〉五ループ。30%……60%……90%……100%。魔力充填完了。いつでも発動できます――
「! 姉上、おやめくださいッ!」
「遅い、オレの魔法は完成した。妹を誑かす賤しき者よ、灰となれ〈終わりなき業火〉!」
カーラの手の平から炎の蛇が生まれた。それは不気味にうねりながら、こっちに向かって飛んでくる。
【フェムト、いまだ!】
無詠唱で〈魔力消失〉を発動させる。
たちまち炎の蛇は光の粒子に変換され、そして霧散した。
聞いたことも見たこともない魔法だったので無効化できるか不安だったが、なんとかカーラの魔法を打ち消した。
初見の魔法に対して、直列式五ループは奮発しすぎた。かなり体力を消耗した。全身から力が抜けていくのがわかる。
情けなく、その場に尻餅をついた。
「姉上ッ! なんということをするのですかッ!」
「離せッ!」
次の魔法を撃たせまいと腕にしがみつくティーレを払いのけ、カーラは言う。
「いまのを防ぐとはな、褒めてやろう。それなりにできるようだが限界らしいな。さあ、次はどうする?」
さすがに次は防げないぞッ!
背に腹は代えられない。いや、命には替えられない。やっちゃいけないことだとわかっているけど、俺は悪あがきをすることにした。
【フェムト、身体強化はできるか?】
――三〇秒ならば可能です。それでもよろしいですか?――
【それだけあれば十分だ。いますぐやってくれ。カウントも頼む】
――了解しました。身体強化発動、カウント三〇、二九、二八――
尻餅をついた状態から一気に立ちあがり、そのままカーラに向かって跳んだ。
手の平をこちらに向けて、魔法名を言う前に喉を掴む。
「王女殿下、手荒なことはしたくありません。何卒この場は穏便に」
首を掴んでいる指に、少しばかり力を込める。
「フンッ、脅しか?」
「脅しではありません。それに、ティーレに姉殺しなんて馬鹿げたことをさせたくありませんから」
カーラは目だけを動かして、ティーレを見やる。
俺は妹を視ている姉の瞳を覗いた。
優しい王女様の手には短剣が握られていた。よく見るとその手は震えている。ティーレが何をしようとしているのか、容易に察することができる。
「よもや妹がここまで手懐けられるとはな。いいだろう、今回は見逃してやる。ただし婚姻は絶対に認めない。認めて欲しければ生きている王族を連れてこい」
「王族から半分以上の同意を得るというやつですか?」
「そうだ。オレは反対する、だから賛同者を二名探してこい」
また無茶振りだ。腹黒元帥の悪友だけはある。
話がまとまりかけたところで、ティーレが思わぬ行動に出た。短剣を構えてカーラに突っ込んできたのだ。
これが初心者ならば簡単に避けられる。しかし、ティーレには連邦式のナイフ格闘術を教えている。このままではカーラに刃が届くだろう。
暗い未来にうんざりしながらも、カーラを突き飛ばした。
勢いを殺しきれないティーレが突っ込んでくる。
刃を素手で掴み、致命傷は避けられたのだが……。
「あなた様ッ! 申しわけありません」
血の滴る俺の手を見つめたまま、ティーレは泣き崩れてしまった。
「大丈夫。ほんのかすり傷さ」
鋭い一撃だったので指の腱まで断たれたが、ナノマシンで修復できる。動かなくなった指を庇いながら、無傷の左手で彼女の頭を撫でてあげた。
「大丈夫、精霊様が治してくれるよ」
「……でもこんなに血が」
「大丈夫だって、旅をしていたときに襲われた魔狼に比べれば、ちょっと引っかけたくらいさ。だから泣かないで」
ティーレを泣かせる結果になってしまったが、姉殺しは回避できた。こんな優しい娘に後ろめたい過去を引きずって生きてほしくはない。
ティーレを宥めたら、今度は問題の王女殿下様だ。
床に倒れ込んだまま呆けている彼女の手を引き、立たせる。
「お怪我はありませんか?」
「……ない」
「気が動転しているようですね。大きく息を吸ってから、もう一度怪我の確認をしてください」
「…………」
不機嫌そうに眉をひそめているものの、俺の指示に従ってくれた。
「失礼」
一言断ってから、血の付いている場所に指で触れる。
「もういいです。血がついていたので怪我をしていないか確認しました。どうやら俺の血だったようです。起こすときに汚してしまった。申し訳ありません」
カーラの左手を指さす。俺が指で触れた場所だ。
まるで絵筆で引いたような赤い尾が伸びている。彼女の怪我ではない。
「…………」
何か言いたげなようだ。
周囲を見渡すと、床にちらばった書類が目に入った。
「すみません、大切な書類を血で汚すところでした」
書類を拾い集めようとしてやめた。
ナノマシンで止血は終わっているが、血糊はこびりついたままだ。
拭う物を探す。
こういうときに限ってお目当ての物は出てこないもので、それに苛立ったのかカーラがハンカチを投げつけてきた。
「つかえ、書類が汚れてはかなわん」
「すみません」
「礼はいらん。それとティーレ、これを陛下に持っていってくれ」
カーラは手近なテーブルにちいさな紙を置くと、それに羽ペンを走らせた。その紙を畳んでからティーレに手渡す。
「内容は見るなよ」
「…………」
「安心しろ、この男をどうこうする気は失せた。ただし婚姻だけは認めない」
和解できたと思っていたようで、ティーレは一瞬明るい顔になったが、すぐに寂しそうに肩を落とした。
ついでなので、カインから聞いた情報をカーラに話す。
「なるほど、わかった。王都のことは知っていた。破滅の星については把握しているが、まさか朱の雫まで来ているとはな……有用な情報だ。ティーレ、さっき渡した紙を寄越せ」
「……はい」
カーラは再度、紙にペンを走らせて、それをまたティーレに手渡した。
「用件はすんだだろう。下がれ」
話が終わるや否や、カーラは犬を追い払うように手の甲を振った。
こうして俺とティーレは天幕を追い出された。
宇宙にも嫁姑問題はあるが、未来の義理の姉は姑よりも質が悪いらしい。
俺からしても苦手な女性だが、向こうも毛嫌いしているようだ。相性は最悪。極力、接触は避けたほうがいいだろう。
婚姻問題だけでも大変なのに、それ以上に家族問題が難解だとは……将来が不安でならない。
かつての上官が言っていた『結婚は墓場だ』というフレーズが蘇る。
「はぁ……」
「ため息なんてついてどうしたのですか、あなた様?」
天幕の外で待っていたルチャたちは、なかから聞こえた会話からなんとなく事情を察してくれたようで、肩に手を置いてきたり、同情の眼差しを向けてきたりして、俺のことを気遣ってくれる。気持ちは嬉しいが、その気遣いが逆に重い。
大人の事情を知らぬであろうマリンだけ腑に落ちないようで、周囲の空気に困惑している。
まあいい、命のやり取りをする戦場ではない。間違っても死ぬということはないだろう。……いや、ついさっき殺されかけたばかりだな。
俺は、未来の義姉問題をティーレとの結婚税と割りきることにした。
それにしても胃が痛い……。