第105話 subroutine カーラ_王女殿下の憂鬱
◇◇◇ カーラ視点 ◇◇◇
聖王カウェンクス率いる親征軍を退けたのに、弟は追撃しなかった。
完膚なきまでに敵を叩きのめすチャンスを逃したのだ。
理由は二つ。義勇軍や農兵への食糧配給により兵站に狂いが生じ始めている。一度、足並みを揃えないといけない。
もう一つ、戦没者の弔いだ。
あとでもできることだが、弟はそれに強く拘った。
本来ならば敵味方の慰霊碑を建てるのが通例である。しかし、あえて我が国ベルーガの民にだけ絞って慰霊碑を建てた。これで民心を掴もうというのだろう。
こういった政治的演出は大切だ。立ちあがった義勇兵や農兵も、弟が新たな王だと認めてくれるだろう。
ここまではいい。
問題はここからだ。
面倒臭い貴族どもが、包帯だらけの姿になって互いに傷を自慢している。幸いなことにオレは無傷だったのだが、それが批判の的になったりするのだから、たまったものではない。
この軍を興すのに、オレがどれだけ尽力したことかッ!
その苦労たるや、日夜、胃痛と闘うほどだ。そのことを知らない貴族どもは、
「卿の腕の傷もなかなかですな。しかし、私の背中の傷には敵いますまい。なんせ陛下を庇っての傷ですからなッ!」
「いやいや、ワシのほうが凄いぞ。陛下の横から飛んでくる矢の雨を剣で叩き落とし、その際に三本も食らってしまいましたからなッ!」
そんな自慢をしながら、無傷のオレをチラチラ見てくる。
不快だ! 王族に対して蔑むような目を向けてくるとはッ!
普段ならば揚げ足をとってなんらかの処罰を与えているところだが、今回は誰もが功労者。なので嫌がらせはできない。もどかしい……権力を振るえぬことが、ここまでストレスの溜まるものだったとは。
その辺に転がっている木箱を蹴りたくなったが、ぐっと堪える。
いずれ炸裂するであろう怒りを腹に溜めていると、包帯だらけのリッシュ・ラモンドがやってきた。
この男もか……。
オレの落胆は良い意味で裏切られた。
「おお、これはラモンド卿」
「此度は見事な活躍だったとか」
貴族たちがリッシュに群がる。
「卿ら、少し浮かれすぎではないか? 気を抜くのはまだはやい、戦はまだ終わっておらぬぞッ!」
群がる貴族を、リッシュは一喝した。そこにカヴァロで見た無能の姿はなかった。
「御言葉ですがリッシュ殿、先の会戦のおり、敵の多くを葬りましたぞ。敗残の兵など恐るるに足らず」
「聞いた話ですと、敵は糧秣の集積基地を奪われて食うにも困る状況だとか」
「然り、マキナの兵は今日の食事もままならないと聞いておりますぞ」
貴族たちの言う通りだ。聖王国軍の糧秣はすでにエレナが奪っている。しかし、敵は多くの兵を失った。それはどういうことか……。
「カウェンクスの軍は大いに数を減らした。その分、糧秣の消費量も減っているはず。存分に戦えるほどではないとしても、伏兵を置く余裕くらいはあるであろうな。そこへ卿らのような浮き足だった貴族たちが手柄ほしさに抜け駆けすれば……これ以上は語るまい」
なんということだ。あの無能がオレと同じことを考えていたなんてッ!
「おおっ、そこにおられるのはカリンドゥラ王女殿下ではございませぬか」
リッシュが近づいて来る。
「なんだ」
「お怪我が無くてなにより。実は折り入って頼みがあります」
「この場でもよいか」
「はい。頼みというのは……」
リッシュ・ラモンドはオレが想像していたよりも優秀に生まれ変わっていた。
これより南――マロッツェまでの斥候を自ら名乗り出たのだ。おまけに、エレナが糧秣を奪った集積基地を再度、掠め取ろうと考えていたのだ。
「敵が本国へ逃げ帰るのであれば、追撃に備えているはず。マロッツェの集積基地に兵を置いているでしょう。これでは迂闊に追撃戦に移れませんぞ。しかし、裏を返せば、あの集積基地を押さえれば南に睨みを利かせられるます」
「オレも似たようなことを考えていた。いま行動せずとも良いのではないか?」
「下見をしておきたいので……。不確かな記憶ではありますが、集積基地の南にある川は広いですが浅瀬で、いざというときは南下――西部へ向かうという手がとれるはず。確認だけでもしておきたいのですが、よろしいでしょうか」
西部と連絡がつくということだな。口下手だが、魅力的な提案だ。乗ろう。
「かまわん、許可する」
「それでは騎馬と軽装の歩兵をいくばくか……」
「歩兵?」
退却した敵の偵察ならば騎兵だけで事は足りるはずだ。この男、案外いつも通りでは?
「街道から近い森に伏兵を置いているやもしれません。用心に越したことはありませんので、確認だけでも」
はっ! オレとしたことが二度までも……。コイツの能力を再評価しなければならないな。
「ならばオレの兵をつかえ。訓練が行き届いている」
「よ、よろしいのですかッ!」
「名誉元帥直々の提案だ、これくらいは融通しよう。遺憾なく才能を発揮するがいい」
「はっ、このリッシュ・ラモンド、必ずや朗報を」
生まれ変わった無能は、いままでに見たことのない華麗な所作で礼を述べると、颯爽とこの場をあとにした。
オレの手柄にしようと考えていたのだが、まあいい。王族へ敬意を払っていたので水に流すことにした。
功労者にケチっていては王族の威厳が霞むというもの。大盤振る舞いな気もしたが、あえて五千の兵を貸した。それだけのことなのに、一週間後、リッシュから集積基地を攻め落としたと朗報が届いた。
どうやら〝世界〟とは魔法よりも複雑怪奇なものらしい。
リッシュ・ラモンドについて深く考えるのをやめた。