6.過剰王子――悔やみ、得る
俺には持病があった。
それは極めて珍しいもので、またある種めでたいものとも言われているため、病名はつけられていない。
保有する魔力の量と質が貴きに直結するこの国において、ともすれば自身の肉体と精神をむしばむほどの魔力を授かったということは、次代の王である皇太子としての地位に相応しいものであった。
よく人々は言う。
天は乗り越えられるものにしか試練を与えない、と。
さらに、俺とは全く正反対の状態で、俺以上に苦しんでいる人を知っていた。
彼女からすれば俺の病は羨ましいものとしか映らないだろう。
魔力の許容量は才能と鍛錬で増やすことができると言われている。
ただ鍛錬というのは特定の方法があるというわけではなく、肉体と精神と頭脳の全体的な成熟が必要だという。
また、許容量だけでなく、魔力の量そのものも成熟とともに増えると言われているので、常に自分の状態を意識しなければならなかった。
一方、日頃においては魔力が満ち満ちている体というのは非常に便利なもので、それがあるというだけで自力が底上げされるような、自信の裏付けにできるようなものであった。
それが傲慢と過信になり、危ういバランスの上に成り立っていた状態を忘れてしまうことに繋がった。
俺は毎週末に野原にいきたまった魔力を魔法に変換して放出する時間を設けていた。
それは魔法の鍛錬にも繋がったが、本来の目的は漏れ溢れていた魔力を一度に外に出すことだった。
しかし、いつしか忙しさを理由に徐々に行かなくなる日が増えていった。
表面上は何週間か行かなくても問題なく、むしろ実感できる魔力量が増えることで、何か翼の生えたような万能感すら感じていた。
それを俺は自分が成長した証だと信じた。信じたことで一層、魔力放出の時間を減らすことになった。
その万能感こそが、魔力による精神汚染の第一段階であるということも知らずに。
自分の中の理性のたがが少しずつ外れていったた。
強くなる本能の衝動を抑えつけるのに多くのエネルギーが必要となり、その分、より魔力が漏れていくのを感じた
ある日の舞踏会において、俺は久しぶりに彼女を見た。ジャックスの横にいる彼女を。
衝撃だったのは、彼女の姿をみた際に溢れ出てきた何かを抑えるのが莫大な力が必要だったことだ。
そしてジャックスの彼女に対する扱いを、まるで彼女がいないものとするかのように他の令嬢と談笑し踊る振る舞いを見た時、その何かが暴れだして、舞踏会の途中で倒れた。
その日以来、俺は寝たきりになってしまった。
最後に婚約者にあったのはひと月ほど前か。
病状が悪化するばかりの俺はついに担当医に今年を超えれるかどうかの余命であると告げられた。
倒れてから二年が経過しており、その間に婚約者とは今後について十分に話し合っていた。
幸いなことに俺たちの関係はまだ婚約であり、実際に婚姻は結んでいなかったため、スムーズに話は進んだ。
俺たちを結び付けていたものは愛ではなく、外交である。
俺が皇太子であったから、王位継承者であったから、婚約する価値があったのだ。
それが王位を継承するどころか、死に向かっているとなると、話は全く異なってくる。
彼女はこの国を去った。
それは合意のことで俺も納得したことであったが、何のために自我を殺して婚約したのだろうと、徒労感と虚しさだけが残った。
俺から離れたのは彼女だけではない。
これまで俺の周りにいた多くの者たちが、病状の悪化とともに顔も見せず、手紙の返信すらしなくなっていった。
残ったのは幼いころから一緒に育ち、生涯の忠誠を誓った一人の従者だけであった。
死へと向かうだけの日々がしばらく経過した。
絶望の底なし沼へと少しずつ沈んでいく灰色の日々。沼に沈むごとに、体は衰弱し死んでゆく。
毎日の食事が粥と白湯ぐらいしか口に入らなくなったころ、一つの報が舞い込んできた。
それはキリヘナ・リキュウシスが、彼女が、婚約を破棄されたというものであった。
ジャックスが婚約の破棄に向けて動いているという噂が俺の耳にも届くようになったのは春も終わりかけのころであった。
耳を疑う事態である。
だが同時に、これまで見てきた弟と彼女の関係を見れば当然のことでもあるかも知れなかった。
気が付けば俺は力を振り絞って手紙を書いていた。
彼女ではなく、リキュウシス公爵家へ。
内容は耳にした婚約の噂のことと、それを慰めるものであった。
公爵からの返信はすぐにきた。
最初は気遣いへの感謝が述べられており、次に噂は本当であるということで、内々ではもう公表される日まで決まっているということが書かれていた。
そして最後に、俺が望むのであれば婚約破棄の後、改めて直接キリヘナと話してはどうかということが極めて婉曲的に提案されていた。
俺は悩んだ。鏡を見れば死相を宿した顔が見える。いまさらどんな顔で彼女に会えばよいのか。
しかし悩むだけ無駄であった。会って後悔するのと会わずに後悔するの。どちらを取るか、天秤にかけるまでもない。
そうして、久方ぶりに彼女と出会うことになった。
青い透き通った宝石、サファイヤ。
彼女を一目みて思い浮かんだ言葉がそれであった。
宝石よりもなお美しく、透明感がある。
その透明さは、彼女が心を閉ざしていることでより際立たせられているような気もする。
彼女は一目みて俺の容体を悟ったようで、気遣いの言葉をのべてくれる。
傷心しているのはむしろ彼女の方だというのに。
ああ、やはり弟は馬鹿だ。
いや、誰も彼も、この国の人間は、この世界の人間は、ただ魔力の有無だけで判断してしまい、本当の彼女の美しさに気づいていない。
彼女に見つめられた時、俺は自分の未来を覚悟することができた。
それは死という近い将来のことだ。
不謹慎であるが、彼女を最後にみて死ぬというのは、ある種の甘美を感じた。
だが、彼女は、文字通りの意味で、想像を絶する人であった。
「私が、おかしいようです」
そう言って立ち上がった彼女は一度目をつむると、決意したかのように強い瞳を見せた。
すると、私の中で私を破壊している魔力が、吸い取られるように瞬く間に体から抜けていくのを感じた。
魔力の奔流は彼女の左手の掌に集まっている。
あっけにとられている内に、体から魔力を吸い上げ切った彼女は、魔力が凝縮された玉のようなものを窓から投げた。
都をおおいこの国を抱くような、見たこともない巨大な虹が現れた。
彼女の美を体現したかのような、おぼろげで儚さがある一方で強い色彩が鮮やかに踊る虹であった。
他者の魔力を自分のものとして利用できる者など、聞いたことがない。
しかし仮にそんなことができるのならこの世界のバランスは――一気に崩れ去ってしまうだろう。
そのようなことを頭の隅では考えていたが、窓際に虹を見る彼女の横顔を見ると、そういう思考すらも彼方にいってしまい、ひたすらにみとれることしかできなかった。
こうして死の淵にいた俺は、無能とさげすまれ続けた女に救われたのである。