54.青男――責任の取り方
底冷えするような冷たい風が、幾度も頭をすり抜けていった。
あるいは芯から冷えたそれは、私の中で何十にも重なっていた織を剥がしていたのかもしれない。
精神を汚染されていたのか、現実から逃れていたのか。
おぼろげな、靄がかかった視界の中で繰り広げられていたことは、正気であれば到底耐えられることがなかっただろう。
誰が母を殺したのか。
誰が国を裏切ったのか。
その挙句、誰が捕囚となったのか。
時が一刻と近づく。
何に近づくのか、――それは分かっている。
その時までにしなければならないことは何か。
できることは何か。
耐えること。
この現実を受け入れ、絶望を枕にして、耐え続けること。
正気に戻った目で周りを見渡すと、冷え冷えとした石壁に覆われていた。
正面には鉄格子のドアがあった。
右手を伸ばして格子に触れようとして、手錠をつけられていることに気づいた。
また、首には首輪があるようだった。
両手を伸ばして触れた。
冷たい。
だが逆説的に自分は温かいということが分かって何故か安堵した。
右奥にはベッドが置かれている。
古いが素材の木や羽毛は良いものが使われているようで、清潔感もあった。
着ている服は簡素な灰色の囚人服だが、これも新品のような香りがした。
囚われの身。
だが、同時に王族としての配慮もされていると感じた。
ベッドの横に置かれていた小さな椅子に座り、突っ伏すように膝に置いた両手の上に頭をつける。
すると過去が噛みついて離さないように次々と脳裏に飛び込んできて、その状態から動けなくなった。
どれほどそうしていただろうか。
牢には窓がなく時間の経過が分からない。
昼か夜かも不明だ。
様々な思いが胸に去来してきて、私を殺そうとしてくる。
シュシュはどうしているのか。
時々その疑問が頭をもたげたが、そう思うことすら許されないと思い、思うたびに頭から引きはがした。
そうしていると、コツコツと上から降りてくる複数の足音が聞こえてきた。
ばっと顔を上げて、誰が来たのかを見た。
それは鎧を来た看守。
そして、その後ろから――
「――まさか、ジャックス、意識が戻り……正気も戻ったのか?」
驚いた顔をした、兄がいた。
「あ、兄上……」
自分での酷い弱弱しい声だったと思う。
兄はその声を聞いて、辛そうに一度首を振った。
「なんてことだ……。こうなるくらいであれば、戻らない方がよかったものの」
その言葉が意味するところは分かった。
「違いますよ、兄上。
正気に戻ることが大切なのです。
正気で受けることが、必要なのです」
口をあまり動かさない私の小さな声は、しかししっかりと兄に届いたようだ。
「……そうだな。
王族としての、最後の責務は果たせそうだな……」
兄が看守に命じて鉄格子の扉を開けさせた。
看守が中に入ってきて、腰縄をきつく巻かれた。
「ちょうど、今日がその時だった」
兄の言葉に頷いた。
看守は腰縄を使って、私を外に連れ出した。
そのまま兄を先頭にして、階段を上った。
階段の先には扉があり、そこには二人の看守が立っていた。
看守は兄に気づくと扉を開けた。
私も兄に続いて、首輪と手錠で縛られ腰縄を持たれ状態で扉の先に出た。
「――!」
晴天だった。
雲一つない。
まるで青の一色だけで描いたような空で、いささかの黒も汚れもなかった。
兄は歩を進める。
看守に連れられて私も歩く。
周囲からざわめきが起こった。
見渡すと、多くの群衆が詰めかけていた。
後ろでドアが再度開く音がした。
そこから私と同じように手錠をした女が出てきた。
しかし、女の拘束は私よりも遥かに酷い。
首輪も手錠も男の手首ほどの太さで、それに加えて、両ももと両足首にも鉄の輪がつけられている。
さらに腰には腰縄ではなく鉄のベルトのようなものがつけられ、そこから鎖が伸びて看守が持っている。
そして口では鉄の猿ぐつわを噛ませられていた。
「シュシュ……!」
私はすぐにそれが誰であるか分かった。
すぐに彼女のところに飛んで行きたかった。
彼女も私の存在に気づいたようで、うーうーと猿ぐつわ越しに叫んだ。
だが、ぐいと腰縄を持つ看守が無表情で私を引っ張り、その後ろでは兄も私の行動を見ていた。
私はシュシュに諦めるように口を結んで首を振った。
そのまま彼女の方は見ずに看守に従って歩んだ。
目の前には死神が大きな口を開けているかのように、鋭い歯を持ったギロチンがしんとして起立していた。