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5.過剰王子――思い返し

 ラーリシカ・カクカ・ミセガミ。

 

 この世界に生まれ自我を持ち、初めてその言葉の連なりが俺そのものを示すものだと知ったとき、何か腑に落ちたような、自分という存在の意味を知ったような気がした。

 

 ミセガミ王国の王家の嫡子。

 生まれながらに他人とは違う身分。

 

 周囲の者たちは俺を敬いながら、敬ってはいない。

 俺にかしずきながら、かしずいていない

 

 彼らはこの国の皇太子に仕えているのであり、その中身は俺でなくても関係がないだろう。

 

 王妃であった母は俺が産まれるとすぐに病に倒れ他界したという。

 国王である父は母の亡き後、すぐ新たな王妃を迎えたが、母を強く愛していた故に、俺から嫡子の地位を外すことはなかった。

 

 私人としての父は余生を母の影と共に過ごしたかったのではないかと思う。

 しかし国王としての身分においては王妃の席を空白にする理由はなかった。


 幼いころの俺は嫡子の地位と母の残影のようなものに守られて育った。

 

 別にそれに対してどうこう思うことはない。

 

 母を恋しく思う日がなかったといえば嘘になるが、この世界には俺よりも遥かに不幸な境遇にいる者がいることを知って、見てきた。

 そして、自分の実力で勝ち取ったものではない地位に驕ることもなかった。

 

 外部の者が思う以上に皇太子という地位はかなり脆いもので、周囲の者たちにその地位に相応しくないと思われてしまえば瞬く間にはく奪だされるだろうし、俺以上に能力が高い子供が生まれても同様だろう。

 また新たな王妃は自分の子供をなんとか嫡子にできないかと画策していることも知っていた。

 

 だから俺は常に皇太子らしくある必要があった。

 ラーリシカとしての意識を持ったときにまず感じたことがそれである。

 

 皇太子らしくあるというのは、つまり、あらゆる観点において完璧であることだ。

 勉学においても軍事においても格闘においても人格においても、魔法においても。

 

 幸いなことに、俺の頭脳と肉体と精神は、ある程度の期待には応えられるような力が備わっていた。

 

 俺は少なくとも見せかけにおいては、周囲の理想の皇太子像に沿うように演技しながら成長することができた。

 

 ――ただ彼女の前以外では。

 

 リキュウシス公爵家の二歳下の公女。キリヘナ・リキュウシス。

 

 彼女はいつもまんまるな目をして、俺みたいな見せかけではない本心からの感情を全身で表現していた。

 

 初めて出会った時はどこの貴族の庭で土いじりをしていた。あれは俺が七歳か、八歳の時か。

 彼女は何が楽しいのか、土を持ったり潰したりしてにこにこ笑っていた。

 

 リキュウシス公爵が丹精込めて用意しただろう瑠璃色のドレスが泥に塗れるのか構わずに楽しそうに泥だんごを作っていた彼女は、俺が唖然として見ているのに気が付くと、何を思ったのかにっこりと笑って、泥を差し出してきたのである。

 

 思い返せば、俺が子供らしい遊びをしたのはそれが初めてだった。

 彼女の自然の笑顔を見て俺の中の何かが弛緩したかと思うと、気づけば泥まみれになりながら土をいじっていた。

 

 その後周囲の大人たちは泥まみれの俺たちを見て驚いていたが、ただ一人、笑って見ている人がいた。

 彼女の父親であるリキュウシス公爵その人であった。

 

 その時以来、異母弟のジャックスも連れて彼女はよく遊ぶようになった。

 公爵の計らいで気軽に互いの屋敷を訪問できるようになり、俺たちは泥遊びだけでなく広い屋敷の中の探検や追いかけっこなどをして遊んだ。

 

 彼女があの時に差し出した泥に今となっては感謝しかない。

 

 彼女と出会わなければ、俺はどういう人間になっていっただろうか。

 

 人に共感するためには、まず自分の心の声を聞かなければならない。

 人を笑顔にするには、まず自分で楽しまなければならない。

 人の痛みを理解するには、まず自分の痛みを知らなければならない。

 人と心を通わせるためには、まず自分と語らなければならない。

 

 そんな当たり前のことを、俺は表面上の優秀な皇太子であるために、切り捨てていた。

 取り繕った優秀さで王となった者は、他者を理解することも、理解しようともせず、ただ亡国への道を突き進んでいくだろう。

 

 彼女も俺も共に実の母親がいなかったということもどこかひかれあうものがあったのかもしれない。

 

 彼女との距離感は難しかった。遠すぎれば寂しく、近すぎれば恥ずかしかった。

 彼女はよく理由もなく俺の手をとって笑っていた。それがどうしようもなく可愛らしかった。

 

 だが、そんな日々は徐々に、しかし確実に変容していった。

 

 初めは気づけなかった。

 しかし、少しずつ、彼女の顔には暗い影が宿るようになっていった。

 

 出会って二年も立つと、俺は本格的に様々な勉強をする必要が出てきて、あまり彼女と遊べなくなった。

 それでも時折会っていたが、会う度に彼女の表情は暗くなっていった。

 

 俺も彼女の抱える問題を理解し初めていた。

 

 高貴の証が魔法の才能に求められる国にて、彼女は存在してはならない者であった。

 ミセガミ王家の次に位の高いリキュウシス公爵家の令嬢にも関わらず、彼女に内在する魔力は空っぽであった。

 

 本来は家名を取り上げられ放逐されてしかるべき者が、公爵の慈悲にて不相応な地位にいる無能な娘。

 産まれたという記録すらも抹消されるにふさわしい忌み子。

  

 彼女に親しい俺の耳にすらそういった類いの陰口が入ってくるようになった。

 

 できるだけ彼女と会う時間を増やした。

 自惚れではないが、この時には俺はあらゆる面においての非凡な才を周囲に見せ続け、俺個人に追従する者たちも増えており、それによって皇太子としての影響力も日々強くなっていることの実感があった。

 

 次代の王である俺と昵懇の中にあるということは、些かでも彼女の辛い立場の助けになるのではないかと考えていたのだ。

 

 だが、俺が14歳で彼女が12歳の時に、そんな悠長で甘ったるい考えを吹き飛ばすような事件が起きてしまった。

 

 公爵家の屋敷にて彼女の身の回りの世話をしていた者たちが一斉に辞めたのである。

 

 使用人たちは辞める際にこう抗議したという。

 自分たちは公爵家に仕えているのであって、無能に仕えているわけではない、と。

 その中には彼女が生まれた時から世話をしていた乳母も含まれていたという。

 

 そこからいざこざはあったようだが、結局、リキュウシス公爵は彼らが辞めるのを認めた。

 

 この事件で繊細な彼女の心がどれほどの傷つけられたか、想像することもできなかった。

 

 努力でどうにもならない先天性の問題を、皆は彼女一人の責任として押しつけていた。

 

 事件の後に彼女に会った時、その表情からは暗さは消えていた。

 その代わり、まるで人形のような無表情さがそこにあった。

 何十にも仮面を被り、完全に感情を内側に閉じ込めた姿があった。

 

 この事件を契機にして、彼女は大きく変わってしまった。

 

 以前の無垢で好奇心に溢れた彼女は心の奥底に封じられてしまい、表には感情の持たない人形があらわれた。

 

 彼女の変貌に、しかしどうすることもできなかった。

 それは、俺は将来を期待されているとはいえ、所詮は子供としての限界が露呈したということでもあった。

 しかしより大きなものとして、俺と隣国の王女との間で縁談が進んでいたということがある。

 

 俺と彼女は近しい仲ではあるが、男と女だ。

 年を経るごとに俺たちはただの友人として会うのは難しくなっていった。

 

 国際情勢としてはある北方の国が覇を唱えて次々と隣国を征服していっているとの情報が入っており、その対策として早急に他の国と同盟を組む必要があった。

 

 故に俺と隣国の王女の縁談は時世にあったものであり、その婚姻は最も優秀な外交官が生涯を費やして成し遂げる業績を遥かに凌ぐ影響があるとされていた。

 

 そして皇太子として生まれたからには、自分の感情ではなく公の利益を優先することが当然の責務としてあった。

 例え互いに顔すらも見たことがない者どうしであったとしても。

 

 縁談は進み、俺が十四歳の時に正式に婚約が決まった。

 

 俺の婚約が決まった数か月後に、突如キリヘナの婚約も発表された。

 まるで俺の選択を見た上で発表されたかのようなタイミングであった。

 何かを公爵から告げられているような気がした。

 

 彼女の婚姻の相手は弟のジャックスだという。

 

 正直に言って、俺はその発表が成された瞬間に、本当の自分の思いに気づいた。

 これまで目を逸らし続けたものが、手遅れになった瞬間に。

 大きな敗北感と喪失感を伴う気づきだった。

 

 俺は間違ってはいない。皇太子として正しい選択をした。

 その日以来、毎夜そう自分に言い聞かせることが日課になった。

 

 さらにその数か月後、ミセガミに俺の婚約者はやってきた。

 彼女は鮮やかな赤い髪をして、深紅の唇をしていた。

 

 事前に激しい性格であると聞いていたが、その通りで、何人にも臆することなく率直に意見を述べる人であった。

 だがその言葉は筋が通っており、人々は聞けば聞くほど彼女の豊かな教養と理知的な考えに感銘を受けた。

 

 俺としてもそういうのは好きなタイプであったので、俺と婚約者はすぐに打ち解けることができた。

 

 だがそれ故に賢い婚約者はすぐに分かっただろう。俺の思いが彼女ではなく、別の人に向いているということを。

 

 けれどそれは何の問題もなかった。

 この婚約は国家間の親交の象徴であり、当事者たちの思いはどうでもよく、その点を俺も婚約者もよく理解していた。

 俺たちは少なくとも公式の場においては親密な関係を装うことができていて、両国の民はそれを祝福していた。

 

 そうして表向きは極めて順調に日々が過ぎていった。

 一年が立ち、二年が経った。

 

 だが、年を経るごとに公爵家令嬢の、彼女への思いは薄くなるどころか、強くなっていった。

 

 時折パーティーなどで見かける彼女は、年々女性としての美しさが増していて、意識して目を背けなければならなかった。

 人形然とした無表情の彼女の顔は、歳月とともに氷像のような透き通った美しさに変わっていった。

 

 俺は表に出してはならない思いを、別の何か、勉学や剣の鍛錬に切り替えて発散していた。

 お陰で学園では常に優秀な成績を得て、表彰などもされたことがあるが、問題の本質はいっこうに解決しなかった。

 

 さらにもう一つ。やっかいな問題が体の内側にあった。

 

 彼女からすればなんと贅沢な、となるだろう。

 高貴な病と言われる、過剰な魔力に苦しめられるようになったのである。

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