表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/69

49.老英雄――超えられない聖

 夜間。月と星の輝きが厚い雲に覆われる中。

 バクフート・ヌンはテントの椅子を外に出し、顔を天に向けてそのまま動かなかった。

 このような姿勢はミセビカとの戦を起こしてからよく見られていた。

 

 けれど以前は空を睨むように見ていた瞳は、いまは閉じられている。

 

 バクフートはまるで寝ているように目を閉じたまま、何時間もそうやって過ごした。

 内省を深めるために――あの出来事を、己の中で消化するために。

 

 切り裂かれた、喉を。

 一方的に自己紹介をされ、ミセビカを去れと言われた。

 

 前軍と中軍の兵から情報を集めると、同じ幻覚を聞いた全ての兵が見ていたことが分かった。

 

 そして幻覚を見た殆どの兵は実際にミセビカから逃げ出してしまっている。

 これまで命とあればどんな死地にも飛び込んでいった精強な者たちが……。

 

 バクフートは現在後軍の陣地に滞在していた。

 キリヘナ・リキュウシスに前軍と中軍が潰滅させられた後、後軍に合流し、軍をガーリオルに裏切ったミセビカの貴族領まで後退させていた。

 

 元々後軍は最悪の事態を想定した予備の軍としての役割を持たせていた。

 結果的にはその判断のおかげでまだ大規模の軍――およそ十万の軍を保有できている。

 

 だが、もはやこれ以上戦をすることはできないだろう。

 

 ――我らは、戦うことすらできなかったのだ。

 敵を一人も殺さず、敵から一人も殺されず、それどころか剣を一振りもできずに、自軍は崩壊した。

 

 そして敵は背を向け逃げる我らを見ても追撃もしてこなかった。

 慈悲すら、かけられたのだ。

 

 決戦の前に、キリヘナ・リキュウシスに対して持った得も言えぬ違和感は正解であった。

 だが、あれほどまでとは、、、誰が想像できるだろうか。

 

 軍の中の、特に魔術に特化した者たちは怯えて口も聞けない状態で、中には発狂した者までいるという。

 

 あの女は我が軍の全ての兵から魔力を奪った。

 それも意識を失わないぐらいのぎりぎりまでという手心を加える形で。

 

 そしてその魔力を使ってあの聞いたこともないような幻覚を見せる魔法を、全ての兵にかけた。

 

 思わず手で喉を触る。

 幻覚の中で切り裂かれた首を。

 

 その顔その瞳その髪その体、その在り方。

 

 これまで東から西へ多くの土地を訪れあらゆる文化のあらゆる階級の人間に出会い、従わせてきた。

 だが、あの女ほどに神的なものには会ったことがなかった。

 

 果たしてそれは美しいというべきなのか。

 あれは邪な考えすら浮かばない聖なる者のようにすら思える。

 

 兵たちの中にはあの奇跡とも言うべき魔法を経験してキリヘナを聖女と呼ぶ者たちもいる。

 それらは決して少数ではない。

 また高位の将官たちの中にもいる。

 

 噂は広がり、後軍の中にも戦闘を拒否する者たちが出てきているという。

 

「……所詮は英雄、人の域。聖なるものには勝てぬか。。。」

 

 老いた英雄はそう呟くと、目を開けた。

 

「カロンギス、いるか?」

 

 目は天を見つめたまま声を出す。

 すると後ろから声がかえってきた。

 

「お傍に」

 

 バクフートが振り向くと、カロンギスはいつもに増して神妙な顔でそこにいた。

 

「のう、若き宰相よ。この状況をどう思う?」

「これ以上は、もはや無理かと」

「敗けたか、儂は」

「……勝負の場にすら、立たせて貰えなかったように思います」

「まったくじゃ」

「陛下が打たれている手もございますが、キリヘナ・リキュウシスの力がこれほどとなると……

 一度引くのがよろしいかと」

 

 一度引く、そうなればどうなるのか、宰相もよく分かった上でのことだろう。

 

 二度目はない。

 ミセビカに手を出せる国はなくなる。

 

 あの女が成したことは噂となって国々に広がり続けている。

 

 間もなくガーリオルの覇権はミセビカに移るだろう。

 

 ガーリオルの影響力は著しく減り、国中で不満が増加する。

 多くの征服地で反乱が起きるかもしれない。

 

 だがそれでも、バクフートは己がいれば、そうなった状態でも国を纏め上げ、他国に対して強く出られる自信があった。

 己が居さえすれば……。

 

「儚き夢と散るか……」

 

 己の命がそれほど長くないことは知っている。

 あと十年――まともな判断ができるのは五年もないかもしれない。

 

 だが、今からでもやれることはある。

 

「――ミセビカと和平をする必要があるな」


「はい、早急に行う必要がございます。

 幸い、陛下が作られた例の部隊もこちらにいますし、国からも援軍が徐々に来ています。

 交渉の武器にはなるかと」

 

「木の棒程度のな。

 だが、丸腰よりかは遥かに良い。

 そして、さらにしなければならないことがある――」

 

 バクフートの言葉にカロンギスは頷いた。

 

「交渉の材料を作る必要があるということですね。

 少なくとも、ミセビカが最も望むものについて差し出す用意する必要がございます」

「そうだ。任せてよいな?」

「お任せください」

「分かっていると思うが、暴れられて逃げられては困るぞ。

 魔術師たちに聞いたが、あれもかなりの力を持っていると聞く」

「はい。けれど――キリヘナ・リキュウシスに再度挑むことと天秤にかければ容易いことです」

 

 その言葉に二人は自嘲の色を含んだ笑みを浮かべた。

 

 そしてカロンギスは改めて真剣な顔で言った。

 

「ミセビカに引き渡すため、ジャックス・K・ミセビカとアシュシュミ・ガイドフォールを捕縛します」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ