同胞を想う
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金等級冒険者『踊る影の』のヌラの本質は逃避である。それは責任からの逃避であったり、期待からの逃避であったり。彼がエルファルリの一党を抜けて冒険者を辞める切っ掛けとなったのは、一党への新入りを死なせてしまった事が直接的な原因だ。エルファルリも他の者も“あれは事故だ”と言い、事実として事故でしかなかった。青年の死は彼自身の若さゆえの無謀が招いたものだ。だがヌラは抱えきれない程の重みを感じてしまった。責任感が強すぎて逃避癖がついたタイプの者で、その責任感の強さは育ちに起因する。
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ヌラは育ちがいい。三十代半ば、鼻が大きく全体的にずんぐりとしている外見はお世辞にも容色優れたるとは言えないが、これで居て騎士家の出だ。彼の父も母も騎士家の嫡男としてヌラが大成する事を期待していた。剣を振ればそこそこに振れるし、術を使わせればそこそこに使えた。ヌラの長所は欠点がない事であった。
小さかった期待は次第に大きくなり、応えられない事も増え、それが彼の精神に小さい傷を少しずつ与えていく。ヌラは少し真面目が過ぎた。親の期待はとかく大きくなりがちで、どこから受け流すかは生きていれば自然と感得するものだが、ヌラにはそれが出来なかった。何でもそつなくこなせる程度の器用さで、何でもかんでも抱えようとする不器用さ。いつか心がその矛盾に耐えられなくなるのは自明であった。
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ある日ヌラは逃げた。家から、騎士家の嫡男としての責任も何もかも放り出して逃げ出したのだ。ヌラは日々の稼ぎを得る為に冒険者となる。斥候の道を選び、才ある冒険者の成り上がりと比しても早すぎる速度で頭角を現した。有形無形からの逃避という経験が奇妙な嗅覚を齎したのだろう。
やがて名を成した彼はエルファルリと出会い、その一党に加わった。過去放り捨てた責任を拾い上げ、抱え直すためだ。逃げ出したのは怠惰ゆえではなく、容量を超えて満たされていく期待という名の不可視の液体に溺れそうになったからである。冒険者の仕事を通じて器が深くなった事を感得したヌラは、このまま長じれば胸を張って家に帰れると思っていた。両親を厭うて逃げたわけではなく、寧ろ愛していたのだ。
結果何があったか。ヌラは三十を過ぎて、冒険者を引退し、そして貴族家の冴えない門番に身を窶している。
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自分が情けなくなければ、周囲の期待を力へ転換できるほどに器が大きければ。自分が自分の様な存在でなければ。仮に全く別の人生を歩む事になったならば、上手く歩む事が出来るだろうか。
──やり直したい、やり直す事が出来れば
そんな思いがヌラに些細な、それでいて特殊な能力を齎す。それは自分自身ではない、他者の人生への羨望。もし自身が自分ではない別の者であったなら、という仄かな願いが形を為したモノ。
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──ここさ
背後に確かな気配を感じたヒルダは後背に剣を振るい、しかし手応えはない。だがヌラの囁きが耳の後ろから聞こえ、同時に雪原に蒼血が舞った。ヌラが短剣で斬り付けたのだ。肩口を切り裂かれたヒルダは険しい視線でヌラを睨みつける。魔力で満ちたヒルダの皮膚は薄い鉄板ほどの強度を持つ。短刀で難なく切り裂いたヌラへの警戒心は否応無しに高まった。
(だが、問題は私の守りを抜いた事ではない。確かに背後に気配を感じた。勘違いではない)
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ヌラは自身の気配、存在感を他者の影に投影する。余程鈍い者であっても、“なんだか近くに誰かが居る気がする”という気持ち悪さを拭えない。鋭い者なら尚更だ。ヌラを知覚している者になら投影できる数に制限は無い。極論になるが、もし世界中の全ての生物がヌラを知覚したならば、ヌラは世界中の全ての生物に業を仕掛ける事が出来る。これは尋常な事ではなく、尋常ではない事が出来るからこその金等級であった。この違和感は戦場と言う場では致命的な隙を作る為の起点となりうる。
ヌラの全身からぬるりとした気配が漏れ出し、大気に滲む。この時ヒルダはヌラの足元の影が妖しく揺らめくのを見た。
「奇襲だ! 内に入り込まれたぞ……!?」
──何かを仕掛けられた
ヒルダがそう思うと同時に、彼女が率いていた尖兵、“犬”らが動揺・困惑する。彼等もまた自身のすぐ傍に誰かが居る気がしたのだ。ヌラと対峙する者は自分の影が踊り、そして害そうとするのではないかという不穏な気配に神経をかき乱される。
その隙を調査隊の者達、特にエルファルリの一党の、特に業前優れた者達が見逃さず切り込む。銀等級と一口に言っても竜殺しも居れば数頭の野犬相手に手傷を負う者も居るが、エルファルリの一党は上澄みばかりだ。とは言え人と魔族の戦力が真に拮抗する事はまずなく、善戦はそう長くは続かないだろう。戦場は三つの勢力が入り乱れる乱戦となった。
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ポーはゆっくりと歩を進めていった。この光景を目に焼き付ける事は、正しく術を使う為の必要な手順であった。眼前で煌く命の大部分が戦いの後には消えるのだろうと思うと、ポーは少し悲しくなった。だが命の煌きを自身で燃やし続ける分には良いのだ。
「でも」
ポーの視線が骨で引き裂かれた魔軍の者達を捉えると、彼はまるで心の表面を爪で引っかかれたかのような痛みを覚えた。だがそれよりなにより、ポーを悲しませるのは二人の連盟術師の無念の波動である。理不尽に生を奪われ、拠り所を簒奪され、道具と成り下がってしまった家族の事を思うと、ポーの胸を一人の少女の姿が過ぎった。




