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家出王女シリーズ

言いなり聖女、ただひとつの選択

作者: 関谷 れい

その森には、逃げ惑う者の慌ただしい足音と、獲物を求める魔物の雄叫びと、断末魔の叫びと、その場には全く似つかわしくない、とびきり澄んだ歌声が響き渡っていた──。




***




「おい逃げろっ!!」

「俺達はただ、聖女をここに連れて来いって命令に従っただけなのに、何であんな化け物が……っ!!」

「ぎゃああああっっ!!助けてくれーーっっ!!」


私を森の奥深くに案内して下さった衛兵達が、一人、また一人と、空を飛ぶ鳥のような巨大な魔物に空高くまで攫われ、大地にそのまま落とされたり、頭を齧られたり、太い鉤爪で引き裂かれたりして、その尊い命を落としていく。


地面は真っ赤に染まるが、私はただ、心を込めて祈りを捧げ、歌い続けることしか出来なかった。


既に事切れた方々は助けることが出来ないが、まだ命を繋いでいる方々ならば、何とかこの歌声で体力を回復したり、もしくは足が繋がったりして、一人でもこの場から逃げることが出来るかもしれないから。


「助け……ぐふっ」


その魔物は、縄張りに侵入したらしい私以外の人間の命を全て断ったあと、ようやくその鋭い視線をこちらに向けた。


(ああ……誰も守ることが出来なかった……)

無力感と虚無感に襲われる。

私にはこの能力しかないというのに、ちっとも役に立てなかった。


その魔物は動く人間から片付ける習性があるのか、もしくは私が一番弱いとわかっていたのか、ともかく私を最後の獲物にすると決めていたらしい。


(お父様……聖女の務めを最後まで果たせず、申し訳ございません……お姉様……最後まで誤解を解けなかったのが心残りですが、今までご指導ありがとうございました……)


魔物があっという間に私との距離を詰め、その鋭い嘴を大きく開き私の視界を塞いだので、私は死を覚悟して瞳を閉じた。


次の瞬間、強烈な血の匂いが充満し、真っ赤な鮮血が顔に霧吹きで吹き掛けられたように舞ったのを感じる。


(死ぬ時は、痛みを感じないものなのですね……)

「おい」

(幻聴まで……)

「さっき歌ってたのはお前か?」


ドサッ、と何か大きなものが私の足元に倒れたのを感じて、私は肩をビクリと揺らした。


(あら……?)

そろ、と私は薄目を開ける。

目の前には、今度は魔物の口ではなく、強烈な赤がこちらをじっと見ていた。

ただし、赤と言っても血の色ではなく、燃えるような赤だ。


私がぱちくりと目を瞬くと、目の前の炎を宿したような瞳を真っ直ぐにこちらに向けた同じ年頃の男性は、口を大きく開けて豪快に笑った。

「お前のお陰で、こいつにやられた肩が治った。代わりに今助けたから、これでおあいこだ。怪我はないか?」


ニカッと笑ったその口から、鋭い犬歯が覗く。光を吸収したかのように輝く金色の髪に、浅黒い肌。


太陽のような方だ、と私はぼんやり思った。


そして悟った。

私と彼は、恐らく相容れない関係であることを。




***




今私のいるこの森は、自国と主張はしているが、隣国である魔族の国との国境付近である。

衛兵達十人に呼ばれた為にその後に続いたのだが、気付けば足を踏み込まないように言われていた場所まで案内されていた。



その特徴的な姿から、どう考えても男性は魔族の国の者だった。

そして、魔族の国と我が国は、ずっと長い間、敵対関係にある。


ただ、敵対関係とは言っても、それは非常に一方的なものであると、私は知っていた。

何故なら、我が国がいつも軍を定期的に派遣するのに対し、逆に魔族の国から軍隊が攻めて来たことは一度もないからである。


しかも、我が国は毎回それなりの兵の数を向けているにも関わらず、我が国よりずっと人口の数からすれば少ない筈の、魔族の国との国境を越えることすら出来ずにいた。


国民に対する説明としては、いつまで経っても侵略出来ない理由を地形の問題としている。

それも理解出来る。森の先には、空高くそびえ立つ凍った山脈が待ち構えているからだ。


しかし、本当の問題は地形だけではない。

魔族の国の者が、強すぎるのである。



何故私がそんなことを知っているのかと言えば、理由は簡単だ。

ひとつは、私が隣国との戦いに負傷した兵を癒やす聖女であること。

もう一つは、私がこの国の第二王女だからである。


「お前、何ていう名前なんだ?」

「私ですか?……チェルシーと申します」

一瞬偽名を使った方が良いかと思ったが、やめた。


仮に隣国の者だったとしても、私の命の恩人であることには変わりない。

それに力の差は歴然で、目の前の男の怒りを買うことがあれば、私は確実に生きてはいられない。

ならば、真っ直ぐな性格をしていそうな彼に偽名を使うのは、逆効果であるように思えた。


「そうか。俺はジュノだ、よろしくな!」

ジュノと名乗った男性は、またニカッと笑って「チェルシー、ここはさっきの魔物の縄張りだからしばらく強い魔物は出て来ないけど、他の魔物に出くわしたら危ないから送ってやるよ」と有り難い申し出をしてくれた。


スッと差し出された手を見て、自分が腰を抜かしていたことに初めて気付いた。

「……ありがとうございます」

引っ張り上げられ、「きゃ……っっ」思わず悲鳴を上げてしまった。


「おっと。悪い、力加減間違えた。お前軽すぎだ」

「す、すみません」

私は慌ててジュノから距離を取る。

立った彼を改めて見ると、私の国では見たことのない程背が高く、また筋肉質な身体つきをしていた。


その体格の良さに驚き思わずジロジロ見てしまったが、お姉様の声で『はしたないわね』と言われた気がして、私はお姉様にいつも注意されていることを意識しながら、淑女の礼をした。


「チェルシー、歩けるか?抱えて行こうか?」

「大丈夫です」

家族以外に名前を呼び捨てにされたことがない私は、友達がいたらこんな感じなのかと、そんな場合ではないのに少し心がそわそわしたのを感じた。


「聖女がいつもいる街までで良いんだろ?」

「……はい」

私が聖女であることがバレていないからこんなに親切にして下さるのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。


聖女は負傷兵を治す。

ここで私を殺せば、魔族の国にとって有利になる筈なのに、何故しないのだろう?と余計な疑問ばかりが胸を占めた。

殺さないでも、人質にするという選択を取られてもおかしくはないのに。



ジュノは帰途の最中とても気さくに私に話し掛けてくれて、私も我が国の不利にならないことならば、と警戒しながら受け答えしたけれども、彼の質問は終始私のことだけに一貫していた。


家族の話や、住んでいる街の話、好きな食べ物。

「何であんな危ないところにいたんだ?」とも聞かれ、私は正直に「あの辺りに負傷した方々がいると案内されたのです」と答えた。


彼らの最期の言葉で、どうやらそういう訳ではなかったらしいと気付いたが、誰の指示だったのか、今となっては知る由もない。

そして、知る必要もなかった。


『あなたは何も考えず、言われたことだけやればいいのよ』

お姉様の声が頭に響く。



気付けばジュノは、本当に街が目視出来るところまで私を導いてくれていた。


恐らく、ジュノとはもう二度と会うことはないだろう。胸に巣くう少しの寂しさに気付かないフリをして、私は改めて彼にお礼を言った。


「あのさー、余計なお世話だと思うけどさ」

「はい」

ジュノに話し掛けられ、私は首を傾げた。

「チェルシーは、生きてんのに何でそんなに死んだような目ぇしてんの?」

「……え?」

意味がわからず、少し困りながらも笑い掛ける。

「ほら、その顔。笑ってるのに、全然笑ってない」

「……そう、でしょうか?」

自分ではわからず、指先を頬にあてる。

そんなことは、言われたことがなかった。


『ほら、聖女様だよ。見なさい、あの神々しいお姿と、慈悲深い微笑みを』

『第二王女様よ。あの美貌に、聖女のお力まで宿されているなんて、素晴らしい』

『我が国の誇りだ、これからもずっと、我々を癒やし続けてくれるに違いない』

国民からの賛辞が、頭に響く。


「何がチェルシーをそうさせた?」

「……いえ、私は昔から……こんな感じです」


『あんたなんて、お飾りのようなもんだから』

『ちょっと可愛いってだけでお父様のお気に入りなんだから、毎日が楽で羨ましいわ』

『愚鈍なあんたには関係ないわ。邪魔だからあっち行ってて』

再び、お姉様の言葉が私の頭の中でぐるぐる回る。


泣けば怒られ、真顔でも愛想がないと怒られた。

笑っている時だけは怒られずに、笑ってるだけで良い第二王女は楽よね、と言ってくれるから、私はずっと笑顔でいるよう心掛けている。


そうしていれば、聖女巡回で訪れた先の国民も安心してくれるし、父である国王も満足してくれた。



そんな様子の私をジュノはじっと見て。

「んー、じゃあさ、チェルシーの国、滅ぼしてやろうか?」

「ええっ……!?」

とんでもないことを真っ直ぐにそう言われ、私は咄嗟に首を振る。


先程まで普通に話していた目の前の男性が、突然得体の知れないものに見えて仕方がない。

まるで、私が望めば本当に、国を滅ぼしてしまいそうで。

そんなこと出来る訳がないのに、本当に出来てしまいそうで、恐ろしくて震える。


「そ?チェルシーが嫌なら、やめとくか。まぁ、後始末とか面倒だしな。……でも、覚えといてよ」


ジュノは私の掌を上に向けるようにそっと手を取り、そこにひとつの笛を落とした。

牙で作られているような笛だ。


「もし、今の国に居場所を感じなくなったら、俺の国に来いよ。心から笑わせてやるし、怒らせてやる」

「えっ……」

私がジュノの国に行けば、よくて監禁、悪くて死ぬんじゃないかと思ったのだが、その気持ちはジュノには筒抜けだったようだ。


「俺の国に来たら、俺がチェルシーを守ってやるよ。約束する」

「……ありがとう、ございます」

私はその笛をギュッと握りしめた。




私が街に戻ると、消えた聖女を探していたらしい他の衛兵方々に、わらわらと出迎えられた。

そして直ぐに、本来の予定であった広場へとそのまま連れて行かれる。


「聖女様!」

「その血は如何がされましたか!?」

「お仕事の途中に、何処へ行かれたのですか?聖女様をお待ちの国民が列をなしております!」

「喉は大丈夫ですよね?お着替えを済まされたら、早速お仕事に取り掛かられて下さい」


私は色々指示を受けながらも、衛兵達が例の森で亡くなったことを伝えた。

「力及ばず申し訳ありません」

私が謝罪すれば、領主は首を振った。

「その者達は、そのうち回収致します。聖女様には神から頂いた力に慢心せず、精進せよというお告げなのかもしれませんね」

私はその通りだと頷いた。


もっと、私の聖女の力が強ければ、結果は違っていたのかもしれない。彼らは死なずに済んだのかもしれない。


この国には私の他に二人の聖女がいて、彼女達は歌声ではなく、その掌を負傷した箇所に当てて治すのだ。

私だけ、私の歌声が聞こえる範囲で全体治癒を行う能力になっている。

私が頑張れば彼女達の負担は減るし、病や怪我で苦しむ国民は助かるのだ。

聖女の力は、私のものではなく、神から授かりし力。

だから、国民の為に正しく使わなければならない。

今の力に慢心せず、もっともっと努力をしなければ。


「今日は、お時間が空いてしまった分、少しお休みの時間が短くなります」

「はい」

私はその日、日が変わるまで歌い続けた。




***




「……チェルシー」

「お姉様!わざわざ様子を見に、来て下さったのですか?」

翌日、私が朝から歌っていると、第一王女であるお姉様が訪れて下さった。


私がこの街へ派遣される直前、私とお姉様の婚約者が逢引をしたという誤解をされて頬を叩かれ、その誤解を解けないまま城を離れてしまったのでずっと気にしていたのだ。

思い掛けないお姉様の登場に、私は嬉しくなる。


「……ええ、まあ」

お姉様は、私の姿を見て表情を曇らせた。

何故だろう?わざわざ会いに来て下さったのに。

その時、お姉様の後ろに、二人の女性が控えていることに気付いた。


「お姉様、そちらの方々は?」

「ああ……他の地域に派遣されていた、聖女達よ」

「初めてお目にかかります、第二王女様」

「……初めまして、チェルシーと言います」

私が二人に挨拶をすると、その二人は私を見て何かこそこそと話していた。

二人に何か違和感を覚えて、失礼にならない程度に観察する。


違和感の原因は、宝飾品の数だった。


私は、聖女ならば質素でないと、とお姉様からずっと言われて育っていた。

『下々の者達と直接接するのだもの、宝飾品なんて身につけては危ないし、そんなものを身につけていては聖女というより王族として施していると、嫌味のように見えるわよ』


私が聖女の力を発現させたのは、まだ幼かった弟が病に倒れた時、入室が許されずに部屋の外から少しでも元気になって、と想いを込めて歌ったのがきっかけだ。


普段忙しくしているお父様は、私を可愛がってはくれるけれども、お姉様に私の教育を第一王女としてみるように、と言いつけていた為、私の世界はお姉様で構成されていた。


私はお姉様に嫌われないようにする為に、必死だった。

何をすれば喜んでくれるのかわからず、またお姉様は先程までニコニコしているかと思えば、二人きりになった途端烈火の如く怒るという側面もあり、自分の行動ひとつ、行動ひとつに気をつけなければならなかった。


それまでお姉様からは、『第二王女は楽で良いわよね』と言われる位ですんでいたのだが、聖女の力が発現してからは『何であんたばかり!』と何度も叩かれた。


だから、お姉様の言うことは絶対で。

「……あの、それらの宝飾品は、聖女は身につけない方が良いのでは?」

つい、教えて貰ったことを、胸に抱いた疑問を、そのまま聖女(かのじょ)達に漏らしてしまった。




***




「何あれ。何様なの?第二王女で聖女で、誰もが羨むような顔までしてさ、私達と違って何でも持ってる癖に!!」

「本当よね。私達が仕事した対価として手にした宝石をどうしようが、勝手じゃないの」


廊下を歩いている二人が話しているのは私のことだ、と直ぐに気付いた。


「お高くとまってさ。私達が平民だからって、確実に見下してるでしょ、あれ」

「自分は宝石なんてつける必要のない顔してますからって言いたかったんじゃないの?性格悪いわよね」


二人の聖女の気分を害してしまった自分が、心底嫌になる。

お姉様が注意をしないのに、私が出しゃばるような真似をしたからだ。

折角の聖女同士なのだから、仲良くしたかったのだけど。

お互い同じ立場として、愚痴や話を聞けたらどんなに楽しく幸せかと思っていたのだけど。


どうやら、私には無理なようだ。


(仕事の対価……?)

彼女達の言う、仕事の対価とはなんのことだろう?

聖女とは、聖女の力とは、国民の為に使ってこそと言われ続けて、休む間もなく働いたとしても何かを得られたことなんてなかったけれど。


いや、得られたものはあった。

人々からの感謝と賛辞だ。

(だめ……考えては、いけない)


ジュノから貰った牙を、ギュッと握りしめる。


「あらチェルシー。そんなところで立ち聞き?」

「お姉様」

「本当に、必要最低限のマナーも出来てないんだから」

「……申し訳、ありません……」


私が頭を垂れると、お姉様はツカツカと私に歩み寄り、そしてグッと顔を掴んで上を向かされた。


「悪運だけは強いわね」

「え?」

「あんたが、私の婚約者を誘惑したんだって?本人からそう聞いたわ」

「お姉様!それは違い──」

バシン、と再び頬を叩かれる。

聖女は傷を癒せるから、私が傷を作っても、誰からも心配されたことはない。ただ、歌えるのか?と聞かれるだけだ。


いや、一人だけ聞いてくれた人がいたな、と思い出す。ジュノだけは、怪我はないか?と、私が聖女と気付いていながら聞いてくれた。



「じゃあ、何?私の婚約者が、私に嘘をついているとでも?」

「……お姉様……」

私は、お姉様のことで相談があると聞いて、呼び出されただけだ。しかし、そう言ったところで、お姉様が傷付くだけだろうし、そもそも信じて貰えないだろう。


お姉様が、婚約者に恋していると知っているのに、そんなことをする訳がないのに。


「お姉様……お姉様は、私が……嫌いですか?」

ずっと聞きたくて、でも聞けなかった言葉が口からポロリと溢れる。


「……私がいない方が、幸せですか?」

森におびき寄せて、殺したいと思う程に。

そんな訳ない、と答えてくれたら。

私はまた、頑張れる。


お姉様は、フンと笑って言った。

「何を言ってるの?そんなの……当たり前じゃない」


私の中の、何かが壊れた。




***




「きゃあああっっ!!誰かっ!!魔族よ!!」

お姉様の悲鳴を遠くに聞きながら、私はジュノに抱き抱えられたまま、街から森へ考えられない速さで移動していた。


「見ろよ!聖女様が魔族に!!」

「殺せ!魔族を殺せ!!」

「止めろ!聖女様を取り返せ!!」


皆が私を、聖女様と呼ぶ。

でも、私でなくてもきっと、構わないのだろう。

聖女の力さえあれば、私でなくても。


「大丈夫か?チェルシー」

黙ったままの私を心配して、ジュノが頭を優しく撫でながら耳元で囁いた。

私は、こくりと頷く。



音が届く訳がない、と思いながらも、私は思い切りジュノから貰った笛を吹いた。


それは、聖女として、第二王女としてしか生きて来なかった私が、国の為でもなく、誰かの為でもなく、自分の為にした、ただ一つの選択だった。




「この先の山脈を越えれば、俺の国だ。……でも、その格好じゃ寒すぎるな。よし、ちょっと俺に捕まってろ」

「──きゃああああっっ!!」

ジュノは、私を抱き抱えたまま、とあるモンスターと戦った。

私をモンスターから守りながら、体験したことのない速さで、ジュノは木々の枝を足場にして空高く舞い上がる。


恐怖と混乱で気絶した私は、気付けばそのモンスターの毛皮を纏って、いくつもの穴で掘られた住居らしきものが点在する場所にいた。



「お、やっと気付いたか。チェルシーはヤワだなぁ」

「……」

ジュノが規格外なのだろうが、多分感覚が違い過ぎて恐らくわかって貰えない。

私は沢山言いたいことはあるものの、開きかけた口を結局閉じた。


その途端、ぎゅむ、と鼻を摘まれる。

生まれて初めてそんなことをされて、私は目を瞬いた。

「なぁ、チェルシー」

「ふぁい、何でしょうか?」

ジュノは少し困ったように笑い、私の鼻から手を離してからこつん、とおでこを軽くぶつける。


地味に痛い。

ジュノのおでこは岩のように固かった。

でも、何故か彼の全ての動作は優しく感じる。

「これからは言いたいこと言って良いんだぞ?国が違うからって言葉足らずですれ違いになりたくない。むしろ思うことがあるなら話してくれ」

「……では、一度下ろして頂けますか?」


いつも、口を開くなと言われていた私は戸惑う。

本当に、質問しても、意見を言っても、この人は怒らないのだろうか?

無知を晒しても、馬鹿だと思っても、傍にいてくれるのだろうか?


ジュノが私を地面に下ろしたタイミングで、私は彼に話し掛けた。勇気はいるが、笛を吹いた時程ではない。

「あの」

「何だ?」

私が口を開けば、身体の大きな彼は、嬉しそうに笑って私を覗き込むように見下ろしてくる。

獅子に懐かれたような気分になり、つい笑いが漏れた。


「可能でしたら、モンスターと戦う時は、私を置いて、戦って下さいませんか?」

「えっ?……俺が戦ってる時、チェルシーが他のモンスターに襲われる可能性もあるぞ?一緒にいるのが一番安全だと思うんだが」

「……そうなのですか?」

今度は私が驚いた。

まさか、他のモンスターからも守る為に私を抱き抱えたまま戦っていたというのか。


そもそも、森に足を踏み入れることは基本的にないので、そんなに危険な場所だなんて知らなかった。

そんな会話を繰り広げながら、私とジュノは手を繋いで歩く。


「では……もう少し、ゆっくり歩いて下さいますか?」

「うん?チェルシーにはこれでも速いのか」

人の足に付いて行けず、額に汗をかきながら歩くなんて初めてだ。

「やはり、抱いていこうか?チェルシーは何だか良い匂いがして、気分がよくなるんだ」

ストレートにそう言われ、少し恥ずかしくて俯きながら、私は答える。

「いいえ、私も自分の足で、この国を歩いてみたいのです」


けれども、そうした初めてのことが全て楽しい。

ジュノは私が何をしても、何を言っても、本当に怒ることがなかった。




***




ジュノに連れられて来た場所は、壁を掘ったり崖を掘ったりして出来たような場所だった。

魔族の国の人々は、洞窟や洞穴を住居にしているらしく、ジュノのような人間型の人から、一見して魔族とわかるような人まで、色んな人達が行き交っていた。



「──ジュノ様!!」

「おー、ただいま」

洞窟住居を見学しながら先に進むと、神殿のような場所から人がこちらへ駆け寄ってくる。


「一体どちらへ行かれていたのですか!?王がお探しですよ!!──おや、そちらは……隣国の人間ですかな?ジュノ様が捕らえた人質ですか?」

「いや、彼女は俺の……そうだな、嫁だ」

「……は?」

「え?」

ジュノの言葉に、声を掛けてきた魔族の人と私は目を丸くした。


「どうせまた、妃選びの話だろう?なら、俺は彼女を……チェルシーを伴侶にする。父にはそう伝えとけ」

「ジュノ様!そんな弱い人間を妃になど、本気ですか!?王が何と言うか……ジュノ様!ジュノ様!!」

焦ったような、悲鳴に近い声を後ろに聞きながら、私はジュノに手を引かれてその神殿のようなところの中へ入っていく。


「あの、ジュノ?」

「ん?」

「そ、その、今……」

父が王とはどういうことか、とか。

私を嫁や伴侶と言ったのは本気か、とか。

今話し掛けてきた人を素通りしていいのか、とか。

ここは何処なのか、とか。


聞きたいことが沢山頭の中でぐるぐるしているのに、私は言葉を続けることが出来なかった。


どうしよう。

出会ったばかりなのに、明確に文化の違いがあり過ぎるとわかりきっているのに、心浮き立つこの感じは、間違いなく喜び、だった。


ジュノが真っ直ぐに向かった先にあったのは、その広さに反してとても殺風景な部屋だった。

どうやらジュノ自身の部屋のようで、「これからチェルシーの服も揃えていこうな」とウキウキとした様子で語りだす。


部屋にあるいくつもの窓にはガラスもなにもなく、太い柱の向こうには、洞穴の中を……住民を一望出来るバルコニーが設置されていて、私はそのバルコニーからぼんやりと外を眺めながらジュノに聞いた。


「あの……何故私なのでしょうか?」

ジュノの国……魔族の国は、強さが全てだと聞いている。だから本来、出会った時、あのモンスターに食べられるだけだった弱い私に、ジュノが興味を示すことはない筈だった。


(私が聖女だから……?)


私が聖女の力を発現してから、お姉様の婚約者も私に強い関心を持ちだした。

だから、ジュノも聖女の力が欲しいと考えるのが自然だ。

であれば、やはり私でなくても良い筈で。


そもそも、聖女の力は遺伝ではないとされている。

今まで聖女の力を自分の家門のものにしようと、平民出身であっても王族や貴族に召し上げられた過去があるが、結果聖女が産まれたことはないという。


(ジュノは癒しの力が欲しいのかしら?……この国の為に……)


しかし、ジュノからの返事はやけにあっさりとした、私には想像出来ないものだった。

「ん?チェルシーが強くて綺麗だと思ったから」

「……え?」


私が強い……とは、ジュノが言っている意味がわからず、首を傾げる。


「初めて会った時。チェルシーだけが、モンスターから逃げずに他人の為だけに真っ直ぐ戦ってたろ?最初、助けるつもりなんてなかったんだけど。その意思の強さって言うか、瞳の奥の底力っつーの?それに目が離せない位に惹かれてさ。気付いたら、助けてた」

あはは、とジュノは笑って言う。


言っとくけど、この国で俺が惹かれた奴なんていないからな、とおどけて言う。


「その癖、他の奴等が死んだ途端、自分の為に足掻くことはしないでさ。俺からみたら、むしろまるで死に急いでるみたいに見えた。チェルシーはさぁ、自分のことは後回しで、他人のことを何よりも最優先にするだろ?他人なんかどうでもいいからさ、俺がチェルシーの最優先になりたいなと思って」


ジュノは、見上げる私の頬にそっと両手を添える。


「チェルシーの目に写るのは、俺だけで良い。俺だけを想って、俺だけ見て、俺だけに笑い掛けて、俺の傍で俺と幸せになって欲しいって思ったんだ。多分これが独占欲って言うんだろうな」


聖女である自分に、そんなことを言う人は初めてだった。


民の為に、皆の為に、聖女なんだから尽くすのは当たり前……自己犠牲程、美しいものなんてありませんよ。

ずっと、そう言われて生きてきた。


涙が滲んで視界がぼやける。


とんでもないことを言う人なのに……とんでもなく、傍にいたい。

逃げだとしても、誰かに憎まれ続けてあの国にいるより、私を見て、私を欲してくれる人の傍にいたい。


「だから、チェルシー。聖女でもなく、第二王女でもなく、俺の妻になれよ」

ジュノは、そう言って、ゆっくりと顔を近付ける。

私が逃げずに、ジュノの手に自分の手を添えると、優しく笑った。


瞼を閉じた私の唇に、ジュノは自分の唇を押し当てた。





翌日、ジュノはやはり魔族の国の王子だったらしく、彼はバルコニーで、魔族の国の人達の前で私に『忠誠』を誓ってくれた。


彼がそれを私に誓い、私がそれを受け入れれば結婚成立とのことで、私はそのまま単なるチェルシーとして彼の妻になった。


強さが全ての魔族の国では殺傷事件なんて当たり前にあり、私は彼の傍で、いやでも日に日に喜怒哀楽をしっかりハッキリ表現出来るようになっていった。


ジュノはその度に「チェルシーの新しい顔がまた見れた!」と喜び、私は怒っていたとしてもそんな彼に脱力するしかない。


ジュノの妻でいることは楽しくもあったが、大変でもあった。




「……ジュノ、最近ジュノ以外の方を見掛けませんが……」

「ああ、チェルシーを見られるのが嫌だから、ちょっと他に行って貰った」

「はい?」

「俺の嫁可愛すぎだからさ。結構俺牽制してんのに変なの寄ってくんだよね」

「……はぁ……」



「ジュノ!!簡単に人を殺してはいけないと思いますっ!!」

怒りながら、私は歌う。

「こいつら、断りもなくチェルシーに触ったんだよ?殺すでしょ、普通」



「ジュノ、息子と娘は何処へ?」

「今、森に遊びに行ってる」

「……あの、魔物だらけの森ですか?」

「うん。チェルシーは俺とデートに行こう」

「……」



──やはり、異なる文化で育ったジュノと私は、相容れない関係である。




それでも、何度時を遡ったとしても、私はあの時、同じ選択を繰り返すのだろうと、愛しい家族に囲まれながら思うのだった。










いつもブクマ、ご評価、大変励みになっております。

また、誤字脱字も助かっております。


数ある作品の中から発掘&お読み頂き、ありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
種族の違いや考え方の違いに戸惑いつつも、それでも貰ってる愛情を拒みもせず受け入れるチェルシーさんが強く、そして素敵な女性だと感じました。 普通なら卑屈になり闇に落ちるもんですが、ソレに耐えてるだけでも…
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