山井課長は少しおかしい
軽く行きます。
「ありゃま」
外回りの途中、俺はラブホテルの前で一組のカップルに出くわした。
スッキリした顔しやがって、そう思っただけだった。
しかし俺の顔を見た女の方それだけでは無かったようだ。
「え...和真」
名前を呼ぶな!
コイツは西島紗央莉、ついこの前まで俺の彼女だった女。
男は誰だか知らない。
「誰だよコイツ?」
男が忌々しそうに俺を見た。
そりゃ知らないだろう、俺もお前を知らないし。
「いや~失礼しました」
とにかくこの場を離れよう。
ラブホテルから出て来て、人と出くわすのは気分の良いものじゃ無いのは分かる。
「待って!」
「待たない」
後から聞こえる紗央莉の声、誰が待つかよ。
「どうした川島君?」
社用車に戻ると上司の山井課長が訝しげな顔で俺を見た。
さっきまで一緒に居た筈なのに、一体いつ戻ったんだ?
「元カノが男とラブホテルから出てきました」
「はあ?」
ありのままを報告する。
山井課長に誤魔化しは通用しない。
この人はなぜか俺の事をいつも根掘り葉掘り聞くのが好きなのだ。
部下だから?
違う。他の部下には興味が無く、なぜか俺にだけ。
社内で俺が唯一の年下社員だからだろう。
「それだけです」
話を簡潔に終わらせる。
詮索は無用に願いたい。
「なんとまあ...例の半年前に別れた彼女か?」
ダメか。
山井課長は嬉しそうに後髪を解き、伊達眼鏡を外した。
何の意味があるんだ?
山井課長は美人である事は認めるが。
「はい、例の人です」
心中を読まれては堪らない。
出きるだけ、伏し目がちに車のダッシュボードを見つめた。
今日の社用車ナンバーは1919か。
どうでも良いが。
「一旦会社に戻るか?」
「ですね」
何が一旦なのか、もう外回りは今のが最後だった筈だ。
俺達の仕事は企業で着る制服のセールス。
さっきのラブホテルも、従業員の新しい制服を一新するので提案しに行っただけだ。
「うわ...」
携帯に次々と入るライン。
それは全て俺と紗央莉、共通の知り合いからだった。
「返信は止めとけ」
ハンドルを握る課長が呟いた。
「でも...」
それで無くても紗央莉と別れた原因は俺の浮気じゃないかと周りから邪推されているんだ。
今来ているラインも俺がラブホテルから女性と出て来たのを紗央莉が偶然見たに刷り変わっていた。
「傍観者は面白がってるだけだ、君が無視してれば興味を無くすさ」
「そういうもんですかね」
説得力がある課長の言葉に従い、無視をか決め込むと、いつの間にか着信は収まっていった。
「本当だ」
「そういうもんさ、次は反撃が必要...かな」
「反撃?」
反撃って何をするつもりだ?
正直、煩らわしい。
コイツ等と縁を切るのが一番だと思うが。
「これ以上一方的に悪口を触れ回されては君も不快だろ?」
「そうですが...」
確かにそうだけど、外面の良い紗央莉は俺より人気がある。
付き合っていた頃から俺は紗央莉の彼氏に相応しく無いと散々言われた。
冗談じゃない、あんなワガママで人を振り回す女はコリゴリだ。
大学時代、深夜の呼び出しや、プレゼントをせがまれ、どれだけ大変だったか。
バイトを入れすぎて留年のピンチもあった位だ。
「ほれ」
「これは?」
課長は胸のポケットからスマホを取り出し、俺に差し出した。
意外と課長って豊満な胸...いや、そんな事はどうでもいい。
「さっきのを撮影しといた」
「さっきの?」
スマホの画面には先程の紗央莉と男がラブホテルを出てくる映像が映っていた。
「いつの間に!」
「秘密だ」
「えーと...」
どうやって撮影を?
課長は先に車へ戻ってましたよね?
「それをラインにするんだ、後はこんなのもあるが」
運転しながら課長はスマホ画面を横にスワイプさせる。
すると紗央莉がさっきの男と熱烈なキスをしている場面が映し出された。
俺が紗央莉と会う直前だろうか?
なんで課長はこれを、どうやって撮影したんだ?
いや、それよりも...
「...ゲエエ」
込み上げる吐き気。
別れたの原因も紗央莉が勤める会社で撮った慰安旅行の写真に誰か知らない奴とキスをする紗央莉が写っているのを偶然見たからだ。
隠せよ、もしくは捨てろ、そんな写真。
「スマン、刺激が強すぎたな」
えづく俺に課長は携帯をポケットにしまった。
本当、勘弁して欲しい。
トラウマなんだから。
あの時、紗央莉は謝っていたが、もう信用出来なかった。
大学時代から付き合って3年、20から23歳まで無駄にした。
酒を飲むと、だらしなくなる紗央莉の癖は結局治らなかった。
「これは奥の手に使えば良い」
「どうも」
これは使う気なんか無い。
最初のホテルから出る紗央莉と男の写真だけ拝借し、これが事実です。の一文も添えてラインに送信した。
もう後は知らない、携帯の電源を落とす。
そんな事をしている内に車は会社へ到着した。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
1日の業務が終わり、席を立つ。
憂鬱な1日だった、旨い物でも食べて帰ろう。
「おい待て」
「はい?」
会社を出ようとする俺を課長が呼び止める。
今度は何だろう?
「どこへ帰る気だ?」
「そりゃ自分のアパートです」
「アホ」
「アホですか?」
何がアホなんだ、他に選択肢があるのか?
「アレが待ち構えているぞ」
「アレ?」
アレってなんだ?
「元カノだ」
「なんで?」
そりゃ紗央莉は俺のアパートを知ってる。
いや、知ってるどころじゃない、半同棲状態だったから。
「見なさい」
課長はパソコンの画面を俺に見せた。
そこには見慣れた俺の住むアパートの玄関と、前に佇む紗央莉が映されていた。
「嘘だろ...って何で俺のアパートが映ってるんですか!!」
「社員の安全を考えてだ、備えあれば憂い無し」
「それって今使う言葉ですか?
まさか大家に無断で...」
「心配するな、このアパートは私の実家が買い取った」
「...もう何も言いません」
突っ込む気力も失せた。
確かに課長の実家は結構な資産家で、不動産も多数所有しているが、俺の住むアパートは築50年で家賃4万8000円のボロ家だ。
価値なんか無いだろ?
「...そうしてくれ」
課長の顔が少し赤い、気のせいか。
それより、
「仕方ないです」
「で、どこに行く?」
「カプセルホテルかネカフェに行きますよ、会社には泊まれませんし」
会社に泊まるのは原則禁止されている。
元カノが家にいるから帰れませんは通用しないだろう。
「確かにな、なら残業しろ」
「何で?」
「時間潰しだ、あと残業代もつく」
「...分かりました」
「助かるよ」
課長だけに仕事を押し付けるのは気の毒だ。
なんだかんだ言っても、課長はとても仕事が出来て責任感も強いので、つい沢山の仕事を引き受けてしまう。
「さあ終わりだ」
「ですね」
なんとか仕事が終わった。
時刻は11時、今日は金曜日だから明日は休み。
めぼしい食べ物屋は終わってるから、ファミレスか、牛丼屋だな。
「それじゃ行くか」
「何処に?」
「黙って来い」
「いや、もう勘弁です」
これ以上は本当に許して欲しい。
さっきから課長がチラチラ俺を見るのだ、それは熱い目で。
妙齢の女性と二人切り。
認めます。山井課長は凄く綺麗です。
俺より1つ年上で(24歳)課長なんて、凄いです。
「...お願い来て...」
「分かりましたよ!!」
今度は甘えた目!
あとその口調は止めて!
キツイ口調だった紗央莉の反動か、いや本当は甘え口調に弱いのだ。
「ここは?」
山井課長が用意したタクシーに乗る事20分。
タクシーを降りると、目の前には高級そうなマンションが建っていた。
「私の自宅」
「だから何で課長の自宅なんですか?」
「セキュリティが万全だからだ」
いや、セキュリティって...俺が一番危ないよ。
嘘です、チキン野郎だから。
「早く入れ、目立つだろ」
「帰ります」
入れる筈が無い。
そこまでして貰う義理も無い。
好意は嬉しい、本当は小躍りしたい程に。
「...だからお願い、和真」
「なんで名前呼びなんですか?」
それから袖を摘ままないで。
「し、習慣だ」
「どんな習慣ですか?」
「あの、静かに願えませんか?」
「「すみません!」」
騒いでいたら、常駐しているらしいセキュリティ会社の人に叱られてしまった。
慌てて俺は課長に続いてマンションに入ってしまった。
これは仕方ない、やむを得ない流れだ。
「その辺に荷物を置いて」
「ありがとうございます」
山井課長の部屋は15階建てマンションの最上階、しかも角部屋。
こんなマンションに一人暮らしだと?
「ふ...風呂に入るかい?」
「いえ結構です山井さん、着替えも無いし」
突っ込み所満載な山井さんの言葉を受け流す。
って、課長から、いつの間にか山井さんって言ちゃってるよ!
山井さんの口調もなんだか会社と違ってきてるし。
「これを使って」
「何ですかこれ?」
山井さんは小さな籠を差し出した。
中にはタオルと、まさかパジャマ?
「お...男の、が...外泊セット」
「いや、中身が違うでしょ」
スキンケアの類いなら分かるが、これはおかしい。
Tシャツやパンツまで入ってるじゃないか。
「いいから、もうお風呂は沸いてるわ」
「いつの間に!」
「リモートだから」
「へ?」
リモートってそんな事まで出来るのか?
風呂無しアパートの俺には分からん。
「良いから入って!」
「分かりましたよ」
山井さんに押され風呂場に向かう。
ヤバイ、山井さんの化粧品が沢山並んでいるでは無いか。
...落ち着け、チェリーボーイじゃあるまいし。
深呼吸を繰り返すが、逆に心拍数が上がってしまった。
だって、いい匂いがするんだもん。
「何で俺のシャンプーやボディソープまで並んでるんだよ」
風呂場に並んだ高級そうな沢山のシャンプーやリンス、その他諸々。
何故か俺の愛用するメーカーのシャンプー類があった。
いかにも高級そうな中に、安っすい俺の愛用品。
...何故か全部使ったあとがあった。
「上がりました」
服のサイズがピッタリなのは職業柄だろう。
多分そうだ、自信無いが。
「...山井さん?」
反応が無い。
なんで俺を見て固まっているんだ?
顔も茹でダコみたいだし。
「な...何でもない...私も入って来る」
ふらつきながら山井さんは風呂場に向かう。
大丈夫かな?
「くれぐれも箪笥を開けるな!
因みに下から2番目には下着が入ってるからな」
「開けませんよ」
「あとパソコンも、ロックが掛かってるからな」
「触りません!」
さっきからなんなんだ?そんな事考えもしない。
「ロック番号は03120905だ!
因みに0905は私の誕生日だから!」
「聞いてません!」
0312って俺の誕生日じゃんか。
気持ちを落ち着けようとソファに座り、携帯を取り出す。
紗央莉は別れた時に着信拒否にしたから大丈夫だろ...
「うわ...」
甘かった。
まさか他人の携帯を使ってラインを送るなんて。
[誤解よ]から始まり、[もうお酒は飲んで無い]が続いて、[待ってる]、最後は[死にたい...]か。
「これヤバイのかな?」
さすがに死なれては目覚めが悪い。
しかし、死にたい人間がラブホテルに行くか?
混乱した頭では理解が追い付かない。
「くだらん、狂言も大概にしろ...」
「わ!!」
後ろからの声に振り返ると山井さんは俺の携帯を覗きこんでいた。
その冷えた目と声に思わず縮み上がってしまう。
「上がったわよ」
俺の様子に山井さんは一瞬で態度を変え、優しい笑みを浮かべながら俺の隣に腰を降ろし...いや待て!
「上がったじゃないです!
何ですかその扇情的な服は」
「こ...これはネグリジェと言う」
「見りゃ分かります」
問題はその生地だ、スケスケで中が見えてるじゃないか!
「本当は下着も脱ぎたかった...でも恥ずかしくて」
「いや充分です」
見事なプロポーション。
恥ずかしげに俯く山井さんの魅力を改めてしった。
「さあ食事にしよう」
「え?」
山井さんはガウンを羽織り立ち上がる。
それなら最初から着れば良いのに。
もう少し見てたかった...
いや、落ち着け、なんか変だ。
なんで俺まで赤くなってるの?
因みにご飯は山井さんが作った。
簡単にと言って作ったパスタはペペロンチーノ。
ニンニクが凄く効いてて...
「...さあ召し上がれ」
...後が大変だった。