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4.クライン男爵のよいところ?

 アリー王妃主催のお茶会は、こじんまりとひっそりと開かれる予定だったが、気がつけば王城に出仕を許された貴族のほとんどが参加する、非常に大規模なものとなった。


「あっちを立てればこっちが立たず、ですわ。あの方を招待するのにこの方を招待しないとなると角が立ちます。……いえ、アイリッシュ様がむしろ角を立てて、特定の方たちと派閥を作りたいのならば別ですが」


 アリーの指導係の貴婦人、マルタ夫人の言葉は確かにその通りだったが、こっちが話したいのはエミリア・クラインただひとりである。急なお茶会の開催である、人数を限ってと提案した。彼女だけを招いてお茶会をしたら警戒されてしまうので、彼女と仲がいい数人だけを招いてお茶会を、と言ったのだが、少人数をご希望ならば、次のお茶会には別の貴婦人たちを、次の次のお茶会にはまた別の貴婦人たちを招かないといけませんね、と眼鏡をくいっとされた。


 こんな面倒くさいことを何度もやるのはごめんだと思ったアリーが、おぬしを信頼してすべてを任せる、と丸投げにした結果、王城の中庭を貸し切りにして、城にいる料理人が総動員され、また城にいる侍従たちが駆り出された。


「急なことに大騒ぎになってしまったのぅ。使用人たちの仕事を増やしてしまって申し訳ないぞ」


 アリーがそうつぶやくと、マルタ夫人は大きく目を見開いた。


「ワガママ大王の名をほしいままにするアリー様がそのような心遣いができるとは思っておりませんでした!」

「妾はワガママではないぞ」


「ワガママです」

「そうかのぅ……」


 はっきりと言い切られると弱いアリーであった。


「陛下にレモンクリームパイをお土産に買ってくるように言ったですとか」

「おおっ! それが名物だと聞いたのでのぅ。頬が落ちるほどの美味しさだと聞いたぞ」


 前世では体調不良などのせいであまり食べることができなかった甘いお菓子が、アリーは大好物だ。


「そんな生菓子を持って帰ってこられるはずがないでしょう? そうやって陛下を困らせて……」

「あ……そうじゃったな」


 ミカエルが出向いた地から王都までは三日はかかる距離である。特に国王などという身分では優雅に馬車に乗り、ゆっくりとした旅になるから到着するまでに五日はかかるだろうと言われた。


 この世界には便利な宅配便サービスも保冷剤もないのだ。加えて繊細な生菓子など馬車に揺られてぐしゃぐしゃになるだろう。

 生クリームがたっぷりのったレモンパイを持って帰ってこられるはずがなかった。


「うぅむ、ではこのお茶会で準備してもらえるかのぅ? レシピはあるじゃろう」

「ああっ、またアリー様のワガママが……。しかし、軽いものです。料理長に申しつけておきましょう」


 そうして庭の木々はリボンやレースで飾り付けがされ、庭のあちこちに配置された丸テーブルには白いテーブルクロスが敷かれ、そこには焼き菓子と果物とティーカップが並べられ、これは結婚式か、というお茶会会場ができあがった。


「……これでアリー様を第三王妃だからといって侮っていた者たちを見返すことができます」


 お茶会会場の真ん中、少し高い台の上に立ち、マルタ夫人は庭を見渡しながら満足そうに頷いた。


(ん……、妾は侮られていたのか? 誰に?)


 それは後々問い詰めることに決めた。

 そして、会場のど真ん中に座らされた主催のアリーの元には次から次へと招待客が挨拶に来た。せっかくのお菓子も果物も食べられず、もちろんレモンクリームパイも食べられず、紅茶も飲めないような状況である。


(こ……これではお茶会を開いた意味などないではないか! うぬぬぬぬぬ)


 しかしアリーの隣にはぴったりとマルタ夫人が立ち、アリーが変なことをしないようにと瞳を輝かせていて、下手なことはできなかった。

 半ば意識を飛ばしながら、次々と挨拶に来る者達に応対していく。


「アイリッシュ様、本日はこのような素晴らしいお茶会にお招きいただき誠にありがとうございます。アイリッシュ様が国王陛下に嫁いでからこの半年、ずっとアイリッシュ様が主催されてお茶会か晩餐会か、舞踏会がないかと待ち望んでおりました。やっとこのようにしてアイリッシュ様とお話できて光栄です」


「うむ、くるしゅうない」


「アイリッシュ様、こうしてお目にかかれるなんて夢のようです。アイリッシュ様はなかなか面倒くさがって……いえいえ、まだお城での慣れていないからか、公式の場に姿を現すことがなかなかございませんでしたから。私、アイリッシュ様のことをずっと気にしていたのですよ? 私たち年も近いことですし、仲良くなれるような気がいたします。あの、アリー様とおよびしてもよろしいでしょうか?」


「うむ、くるしゅうない」


 そんなやりとりを延々と繰り返していたら、ようやくクライン夫妻が挨拶する番になり、アリーは思わず腰掛けていた猫足の椅子から立ち上がりそうになってしまった。彼女たちより前の招待客がまだ挨拶しているというのに、ほとんどそちらには注意を向けていなかった。


「アイリッシュ様」


 なにかを促すように、とがめるように、マルタ夫人がこほんと咳払いをしてきたが、それどころではなかった。


 エミリア・クラインとヨーゼフ・クラインが結婚したのは今から一年ほど前のことだという。エミリアは由緒正しき侯爵家の二女であり、一方ヨーゼフは男爵家の長男で、家柄としてはあまり釣り合っていない。由緒ばかり正しくて金銭的に困窮している侯爵家が、裕福な男爵家から援助を受ける目的で婚姻関係が結ばれるということなら納得がいくが、どちらかといえば困窮しているのはクライン男爵家の方である。かわいい娘が嫁いだのだからと、エミリアの父親がクライン男爵家に援助しているという話もあった。


(ブ男……確かに)


 アリーは大きく頷いてしまう。

 確かにヨーゼフ・クライン男爵はお世辞にも美男とは言えない男であった。立派なビール腹で顎がしゃくれて、肌はニキビだらけで、目つきが悪く、彼の笑顔を音にするとすると、ヘラヘラ、である。その上、上着からシャツがはみ出している。王妃主催のお茶会なのだから、もっと身なりを整えるべきでは、と思ってしまう。


 アリーはこんな男と結婚しろと言われたら裸足で逃げすだろうが、しかし、エミリアは逆に彼との結婚を強烈に望んだのだという、彼と結婚できないならば高い塔のてっぺんから身を投げるとまで言ったそうだ。

 だからこんな男でも、エミリアが惚れ込むなにかがあるのだろうと思うのだが……どうやらエミリアは彼のことを愛しているようには見えないのだ。


 エミリアはヨーゼフのことを時折軽蔑したような瞳で見ているような気がする。それはとても愛する夫を見るような目つきではない。


「ヨーゼフ・クライン男爵です。このたびはお招きいただきありがとうございます」


 ヨーゼフがアリーの前に来て頭を下げ、エミリアはその斜め後ろに立って頭を垂れていた。


「……臭いのぅ」


 思わず本音が漏れてしまった。

 それを聞いたヨーゼフは一瞬顔を歪めたが、王妃の手前ということか、すぐに作り笑みを浮かべた。


 アリーはなにが臭いのかとヨーゼフを観察していた。恐らくは口臭である。彼は歯並びが悪く、歯が茶色がかっていた。口内が虫歯だらけなのではないかと思える。この世界では歯の治療がそんなに進んでおらず、痛んだ歯は抜いてしまうしかない。彼の虫歯を抜いたらきっと歯が二・三本残るのみになり、ブ男……もとい、美の神様に見放された顔の造形がますます見放され、遠い彼方の星になりそうだ。


「ときにふたりは、周囲の反対を押し切って夫婦になっただとか」


 アリーが言うと、ヨーゼフは顔を輝かせ、エミリアはなぜか苦しげに瞳を伏せた。


「そうなんだ……いえ、そうなのです。この女がどうしても俺と結婚したいって言って」


 いやー、モテる男は辛いな、とばかりに後頭部に手をやるのが腹立たしくて仕方がない。


「きっとエミリアにしか分からない、クライン男爵の魅力があるのじゃろ。のぅ、それを聞かせてくれないかのう?」


 アリーはエミリアに水を向けるが、エミリアは気まずげに瞳を伏せて話そうとしない。これは、この男のことなんて口に出したら口が腐るとでも思っているような様子である、考えすぎだろうか。


「そうですわね、我が夫のよいところを言い連ねるなど、まるで自慢話のようで、恐れ多くもアリー王妃様に申し上げるのはお耳汚しかもしれませんが……」


 そう前置きしつつ、ヨーゼフの顔色を窺いつつ続ける。


「我が夫のよいところはたくさん……ありますが、そのうちのひとつは、いくら婚活しても相手に恵まれなかったというのに、それでもめげずにいろいろな方に求婚をする、諦めが悪い……いえ、粘い強いところです」


 クライン男爵が方々の女性にしつこく求婚を迫り、断れても断られてもめげずに求婚を続け、かなり迷惑な人物として噂になっていたとは、侍女のミアからも聞いていた話だ。


「その、なんとしても結婚して家庭を持ちたいという熱に打たれまして……」

「うぅむ、あまり納得できぬ理由だ。他になにか……」


「アイリッシュ様、そのようなことをこのような口臭の……いえ、公衆の面前で聞くのは失礼ですよ。後ろもつかえていることですし、ほどほどになさっては?」


 マルタ夫人の口調は穏やかだが、目つきは今にも人を殺しそうである。マルタ夫人は前世のときに鬼ばばあと言われた看護師長に似ていて、苦手なのだ。


「そうじゃな、悪かった。くるしゅうない、もう下がってよいぞ」

「はい」


 ヨーゼフは身体を翻し、不服そうな顔でエミリアを見てからさっさと自分の席へと戻っていってしまった。それを追うエミリアは、横柄な夫に振り回されている妻というような様子で、周囲がなぜあんな男と結婚したのかと心配する気持ちがアリーにも分かった。

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