2-3 『自分との対話』って、どういうこと!?
「あ、がっ……!?」
横腹を貫いた凄まじい衝撃に、全身が震えた。
今度は掌底打ちではなく、こちらの打拳を捌きながらの肘打ち。
アバラの骨が軋み、肉がよじれて痙攣した。
肺腑が濁った空気を吐き出し、つられて胃液を吐き出した。
ダイヤは余裕たっぷりに、まるで服の裾を汚されるのを嫌ったように、音もなく後退していく――
為す術なく小屋の床に倒れ、叩きつけられる。
苦痛にうめいた。あるいは、純粋な恐怖で。
内臓を別のベクトルから震わされ、釘を打たれたように痛みが倍増していた。
立ち上がれない。
痛い。怖い。
地面にうずくまって、ルナは痛みをこらえるためだけに身体を丸めた。
腹が裂けるような一瞬を乗り越え、呑み込み、どうにかゆっくりと息を吸う――
「――あなたは訓練を上がりたての『2時』。対して、私は何度も修羅場をくぐった『5時』。段位自慢ってわけじゃないけど、まああなたは頑張ったほうでしょうよ、ルナ」
ダイヤは追撃こそしてこなかったが、代わりにからかうような声を投げかけてきた。
返事をする酸素も惜しい。
ガン、と拳を地に打ちつけて気付けした。
「ぐ……う、ぅぅぅ……!」
歯を食いしばって立ち上がる。
おぼつかない足で地面に食いつき、ふらふらと手にした短剣を持ち上げる。
「……頑固ねえ。ほんとに死んじゃうわよ、あなた」
呆れたようなダイヤの声。
責めるでも、挑発するでもない言葉。
ルナの心はそれでも折れなかった。立ち向かおうと身構える。
けれど、もう手足がそれについてこなかった。
よろよろと後ずさりして小屋の壁に背中をついていた。
絶望としか言えない心地の中に、どうしようもない自分の声が暗く響いた。
(勝てない……)
ダイヤの言葉通り、段違いだった。強さの桁が違う。
ルナの攻撃はかすりもせず、逆にダイヤの攻撃はほぼ素通しだ。
ダイヤの一撃は鋭く、重く、ルナの意識を激しい地鳴りのように揺らしていた。
ここまで数合打ち合っただけだが、せいぜい、5回が20回に増えても結果は変わるまい。
それ以上はやり合えない。
ルナは造作もなく死ぬ。
勝負にすらなっていない。
赤子の手をひねるように容易くいなされ、あしらわれただけだった。
勝てないまでもこれほど差があるとは思わなかった。
(勝てない。ダイヤ……姉さん、には……)
…………
(ビアン、カ……)
視界がくらむ。
暗闇に堕ちる。
重心の定まらない頭が、混濁する意識を手放すギリギリ寸前まで断線しかける――
「――だったら逃げなさいよ! 馬鹿なの!?」
声が弾けた。頭の中で。
ぎょっとする。
はっと気がつく。
そこはあの馬小屋ではなかった。
ダイヤはいない。
代わりにそこに立っていたのは……誰、だ?
見慣れない格好で、けれど、よく見知った顔のような。
光と影、白と黒の、チェス盤めいた彩模様の空間。
時が止まったような――不意に悟る――精神世界の、その中心で。
子供の姿の『ルナ』の前にいたのは、前世の姿の『私』だった。
自分自身がそこにいた。
視界が低い。背が縮んでいるのだから、当たり前――と、考えかけて、それがなにひとつ当たり前でないことにまた気づく。
そうしている間に『私』が動いた。
小さな『ルナ』にのしのし歩み寄り、かがみ込んで目の高さを合わせ、なにかを語りかけるように口を開き――
「――いや違う。やっぱこっちだ」
と思ったら歯を食いしばり、ぐいんと頭を振り子のように後ろに仰け反らせ、
ガツンっ
と額に額をぶつけた。
衝撃と痛みに『ルナ』の頭が揺れた。
なにがなんだか分からない。なんで精神の中なのにこんなに痛いんだ!?
そして『私』は(こっちと同じようにひとしきり痛みで悶え苦しんでから)、あらん限りの大声を張り上げて、怒鳴りつけてきた。
「こぉ、ンの馬鹿――イキりたって出てきたから任せてみれば、なによなんなのよこの体たらく! ボコボコにやられっぱなしの言われ放題の嬲られ放題! 馬っ鹿じゃないの馬鹿じゃないの、あげくイジけてんじゃないわよこのお馬鹿!」
『私』が『ルナ』に吠えた。
その迫力に、気迫に押されてビクリと身をすくませると『私』はさらに勢いづく。
「なにがしたいのよ、あんたは、私は! 殺すとか殺さないとか、死ぬとか死なないとか死なせないとか! 命はどこから来てどこへ行くの、とか! 宇宙に果てはあるの? とか言い出すわよ、そのうちきっと!」
「な、あ、あなた、なにいってるの……?」
「知るか馬鹿! ちったぁ自分で考えろ馬鹿! 状況に流れに流されまくって、自分の意志なんかブレっブレ! なにが殺し屋、なにが暗殺者よ、格好悪いったらありゃしない!」
いや、でも、それを言ったらあなたがなりゆきであの時ビアンカを助けたから事態がややこしくなったんじゃ――
「それはそれ、これはこれ! 言い訳すんな格好悪い! 人のせいにするんじゃないわよ!」
そんな、そんなつもりじゃないけど、でも。だけど。
「問答無用っ! とにかく! 悪度胸を決め込んだんなら最後まで貫きなさいっての、こんな序盤も序盤でいきなりやられて諦めるぅ? 冗談じゃないわ、こっちは二度目の命かかってるのよ!? もっと真剣にやれっていう話よ!」
『私』が叫ぶ。
ビスビスビスビスと『ルナ』の小さな額を指で小突き、ドツキ回しながら。
さすがに理不尽に耐えかねて、『ルナ』は言い返した。
「そんな、真剣って……私は真面目にやったよ! 頑張ってお姉ちゃんに逆らって、反抗して! 勝てるわけない、って、そんなの最初から分かってたけど頑張ったんだもん! 頼んでもないのに勝手に私の心に入り込んで、なのに結局なんにもしてない『あなた』に文句言われたくない!」
「シリアスと真剣を履き違えてんのよ! 殺し屋ごっこで格好つけときゃ真剣かよ、刃物振り回して強いつもりかよ! ええい、だからつまり――『あなた』はどうしたいのよ!?」
「そのくせ今もいきなり出てきて、偉そうにお説教して空気壊して――え?」
ほとんど不意打ちを食らったようなものだった。
再びおでこをぶつけてきて、けれど今度は頭突きじゃなく、『私』は言葉を突きつけた。
鋭くはないけれど、深く突き刺さる言葉だった。
「……それを教えてくれなきゃ、『私』は手伝えないのよ。名無しじゃなくなったなら、私たちって何者なのよ? あなたが真剣に、自分で決めて、ゲロ吐くほど意地になって、心の底から願ってることってなんなのよ。言え!」
「それは――」
それは。そんなの。そんなのは。
そんなことって。
……わかんないよ。
「じゃあ教えてやるわよ。簡単じゃない。あなたはただ単純に、“ビアンカを守りたい”って――それだけ言いたいだけでしょうが」
「――――」
息を呑んだ。
反射的に否定しそうになって。
否定できないことに、気がついた。
……なんで、そんなこと『あなた』に分かるの。
『ルナ』はぽかんと口を開けた。
自分自身にだって分からなかった本心を、どうして、他人より遠い異世界から来た『私』なんかが。
答えはあっさり、呆れたように、嘆息しながら。
「見てりゃモロバレなのよ。分かりやすいチョロインムーブしといて、なにすっとぼけてんだ天然か。まあ天然よね。まあつらい生い立ちには同情だってするけどね」
そして『私』は言った。
名無しの暗殺者が、『ルナ・ダイヤル』になった時のことを。
「最初は『死にたくない』って、それで私たち意気投合したじゃない。でも、それだけじゃ生きる動機にはならない。ただ受け身じゃなく能動的な、私は生きる目的が欲しい。頑張る理由、頑張って結果を出して、誰かに誇れるような原動力が」
「――――」
「あの子、ビアンカはいい子じゃない? ゲームの頃からそうだけど、なんとか助けてあげたいって思うじゃない。私だって思ったのよ? だったら『ルナ』がそう思うのなんて、当たり前じゃない」
『私』は『ルナ』なんだから。逆も然りで当然で、なによ、それが不満だなんて一言でも言った?
いいじゃない。殺し屋モドキが主人公を助けたからって、どこのどいつが文句言うのよ? ゲームのプレイヤー、ファンとかアンチとか原作厨とか?
うっさい馬ー鹿。ここは『私たち』の現実だ。やりたいようにやるだけよ。
クレームはゲームのメーカーにどうぞ。きっとネットで晒されて、頭おかしいって大炎上して不名誉なトレンド入りすること間違いなしだわね――
言いながら、なんか迷走してることに気づいてか、最後は『私』は黙ってそっぽ向いてしまったけれども。
けれど、それは、その言葉は確かに『ルナ』の心に届いていた。
心の鍵がカチリとハマって、中にあったものがあふれ出してきた。
――生まれてはじめて優しくされた。
望まれぬ子でみなし子で、忌み子で価値のなかった私なんかを。
ビアンカはなんの見返りもなくても助けてくれた。
それはただの気まぐれかもしれない。
けど、だけど、そのなんの裏表もない彼女の優しさに救われて。
あの時、本当の本当は、泣きたくなるほど感動してた私だって、間違いなく本当に、本物で――
「だったら、たかが殺し屋なんかに命を賭ける理由がどこにあんのよ。逃げりゃいいのよ。あんな『でしょうよ』が口癖のウヨウヨうるさい右●女なんか無視よ、無視」
……結構めちゃくちゃ言うんだね、あなた……
「あなたもいきなり『ビアンカは殺させない』とか、キメ顔で無茶を言い出したからね。おあいこよ。でもそういうノリ、『私』だって嫌いじゃないわ。見捨てる気になれないのよね、なんでかしら」
……おひとよし。
――お互い様だわ。
……手伝ってくれるの?
――水臭いこと言わないの、一心同体の運命共同体でしょ。
……なにか考えが?
――そうそう。まあ聞きなさいよ、作戦があるのよ。あんたら姉妹のやりとりを見ててかなり不思議だったんだけどね――
「――どうして姉さんが依頼主の名前を知ってるの」
白昼夢のような一瞬。
その刹那を乗り越えて、ルナは告げていた。
ダイヤが驚いて目を見開く。
「なんで私が知らされているの――オルニティア公爵家を破滅させかねない致命的な醜聞を、末端の殺し屋の、私たちが」
『ルナ』の目で、ダイヤの視線を受け止めて。
『私』の言葉を、投げかけた。
「この事件は本当に、公爵令嬢、ネーロ・オルニティアが仕組んだものなの……?」
――『月時計』が、音を立てて、カチリとまたひとつ歯車を回した。