人間はタンパク質の固まりというと中二病で意識高い系は水からできているという
その建物はふたつの匂いからなっていた。
消毒用アルコールとそれでは隠しきれなかった死臭である。
病院である。
元いた世界の、朝に流れる細切れのドラマにでてくる診療所のような木造の建物だが、こちらでは大きい部類にはいる。
風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)などという不動産屋が親の仇のように嫌う法律はないのでカジノの五十メートル以内に存在する。――と、いうか、十握がカジノに先だって誘致した。こちらの世界ではめずらしいことだが、平均BMIが二十五を超えた客がサイコロの目や絞ったトランプの数字に一喜一憂するのである。勝っても負けても酒を飲む。徹夜も辞さない。保険は必要であった。利便性を高めて地域住民との軋轢を避ける意図もある。
手前の病棟が一般向けで奥がVIP専用である。露骨な階級差を間近で見せつけられることになるが、こちらの住民は耐性ができている。むしろ、金持ちに割りこまれることがないと差別化は好評であった。
十握に気づいた奥の病棟の看護師が一礼する。
「看護師が板についてきましたね」
「そんな、まだまだです」
抑揚に乏しい声であった。
「求められる知識は似てますからすぐに慣れますよ」
必要はないのだが、なあなあは規律の緩む元と記帳する。防犯対策である。身分証の提示を求めるわけではないのでただの形式だが、帳面の裏に魔方陣が描かれているとなると、熊野牛王符に署名する時以上の緊張感が伴うというものだ。
病室にはアーチーがいた。
「容体は?」
「命に別状はないです」
アーチーはベッドで眠るサボンを見る。
「刺されたにしては幸せそうですね」
だらしなく笑み崩れている。十握は元いた世界の、赤の他人の幸せを願って休日を犠牲に薄い本を配る篤志家を想起した。
「鎮静剤が効きすぎたのですかね」
「笑う門には福きたるです」
少々、鼻につく下卑た笑みであったが、寝顔にまで責任を持てというのは酷な話と十握は軽く流す。
「犯人の目星は?」
アーチーは首を横に振る。
「顔は見てないそうです」
「手がかりなしは厳しいですね」
「ええ、商売のバッティングは少ないとはいえ、旦那のおかげで青息吐息だったうちが羽振りがいいのを妬む者はそれこそ星の数ほどいます」
「目だちすぎましたか」
「若い女が恋人からもらった指輪をこれ見よがしに職場の行き遅れに披露するくらいには」
十握は肩をすくめる。
「雲を掴むような話でも犯人を見つけだしてください」
「もちろんです」
幹部が襲われて手をこまねいていたら舐められて商売がやりにくくなりますからね、とアーチーはいう。
「で、サボンさんの全治の目処は?」
「急所はうまく避けたので二週間ほどかと」
「念のため、今日は入院させてください。夢と現の区別がつかずに看護師のお尻を触ったら治療が台無しになるのでよくいいきかせておくように」
それなんですがね、とアーチーは眉間に皺を寄せて、
「罠みたいなもんですぜ、あれは」
と診察室のほうに目をやる。
VIP病棟ということもあり看護師は容色に恵まれている。
元は十握を狙った暗殺者である。
運がよかった。
十握と出会わなければ、魂をすり減らして潰れていたであろう。暗殺者は消耗品である。退職代行をもってしても円満退職は険しい。
物心つく前から、人を殺すことだけを叩きこまれた彼女を杓子定規に処分するのが心苦しく、リハビリがてらにここで働かせている。
ペナルティで給料は安い。浮いたぶんを犯罪被害者の支援に回している。――もっとも、目減りしたとはいえ、衣食住が用意されているのでその出費を考慮したら安月給というよりもらっている部類にはいるのだが。
所属した組織と依頼人が旧約聖書のヨブも根をあげる災禍に見舞われたことはいうまでもない。
余談だが、煩雑な一般向けの病棟は本職の看護師が勤めている。
水を得た魚のように動いている。
元はラウドの外れも外れ、壁なし(山側のほう)の病院に勤めていたが、誘致した側と反対派の勢力争いに巻きこまれて苦労が絶えなかったそうだ。
「せめて衣装を変えませんか。なんか、そそるのですよ」
「機能性で選んだだけです」
十握はそっけない。
病院で気休めにしかならない治療を延々と受けてきた十握にとってコスプレの王道は食指が動くどころか、トラウマを刺激するもので、FBIの警告から始まる動画にそのシーンがあるとスキップしていた。
とはいえ、不快感を少しでも和らげようと現実にはあまり見かけないピンクのナース服を選んだのは十握である。
治療はすんだが顔を腫らして退院する者が続出している。
手加減を学ぶいい訓練になっていた。
病院は嫌いになってもナースは嫌いにならないでください。
どこかのグループアイドルの頂点みたいな科白はさておき、同じ痛い発言なのに名詞ひとつで随分と印象が変わることってありますよね。十握の穿った意見として本文にねじこむ余地がなく、かといって没にするのももったいなくてサブタイトルに載せました。
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それでは、また、次回にお会いしましょう。 「お耳に合いましたら」を見ながら。
追伸 夏のホラーはなんども加筆訂正しましたのでお時間があれば読み返してはどうでしょうか。面白いですよ。




