表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

96/158

時間の砂

 その場をひと言でいいあらわすならそれは狂乱であった。

 館に詰めていたのは荒事のプロである。その人の生き死にを金に兌換する――感受性が麻痺した者たちが子どものように泣き叫び、逃げまどう姿ははたから見るに滑稽であった。

 童心に帰るのもむべなるかな。

 退屈しのぎになぜか萌え絵調のあぶな絵に目を落としていた角刈りの頭が熟柿のように潰れて緋液を撒き散らしたのを嚆矢に、茶髪のロン毛が首をねじ切られ、眼窩は落ち窪み頬は痩せこけた白髪が四肢の関節を増やしたのである。神の見えざる手に凡夫が怖れおののく以外になにができよう。

 めったやたらと剣を振り回して自傷する者がいる。

 頬に引き攣れのある大男があられもなくお母さんと叫ぶ。

 神仏の加護にすがる者がいる。

 空虚な瞳で壁の奥を覗き、力なく笑う者は新参者か。

 前衛芸術家がペンキをぶちまけたみたいに壁が緋色に染まる。

 命の溶けでる臭いが室内を席巻していた。

 生存者はひとりいた。

 机の影で産まれたての豚のように震えているのは雇い主のペップである。

 なに者かにむんずと首根っこを掴まれた次の瞬間には中央の寂しくなった頭は天井に叩きつけられていた。

 着地点は角刈りである。膝でしたたかに背中を蹴られた格好だ。これは痛い。

「しりあいを手にかけるのは、少しばかり心苦しいものがあるな」

 仮面をはずしてそう呟く男にペップは目を見開いた。

「てめえ、キクルか。恩を仇で返す気か。金がねえってピーピー喚いてたから――」

 脂肪の層を貫いて肺腑に達した靴先が悪罵の続きを苦鳴に変える。

「もうちょい利口な男とおもったんだがな」

 キクルはあらかじめ避難させてあった酒瓶を掴むとラッパ飲みする。

 手の甲で口元を拭うと、

「この状況下で昔の力関係が通用するとはおめでたい野郎だ」

 ペップは詐欺師である。言葉巧みに不安を煽って金を巻きあげている。やりがいを謳ってタダ働きをさせている。実態はカルト宗教だが、そこは剣と魔法のファンタジー世界、こういう時だけは一致団結する宗教勢力のカチこみを怖れて表向きは経営コンサルタントや自己啓発セミナーなどの看板を掲げている。

 当然だが、揉め事は多い。

 博打ですっからかんの時に手っとりばやい金稼ぎとキクルはなんどか詐欺師の用心棒を務めたことがあった。

「あれか、報酬をケチったことを根に持ってるんだろう。だったら、倍の金を払う、だから――」

「見当違いもはなはだしい」

「しらずしらずに、おまえの女を寝とってた……とか?」

「腹に反比例して足の細い、無精ひげがむさ苦しい小男のどこに人を惹きつける魅力があるのか疑問だったが――まさか、血のなせる業だったとはな」

「――おまえが、おまえが、そうなのか?」

 ペップは息を飲んだ。

「ほう、恨まれる覚えがわかって隠れていたのか」

「ワスプの野郎は家業柄、誰に殺られてもおかしかねえが、ヨハンが殺られたとなると別だ。たんなる押しこみ強盗の類じゃねえことは状況の凄惨さが物語っている。となれば、おれも他人事にはできねえ」

「それにしては用心棒代をケチったな」

 死体を一瞥するキクルの双眸は冷ややかであった。

「近頃は商売がやりにくくてな」

「だろうな」

 脳裏に窈窕たる美丈夫を浮かべたふたりの頬がたちまち上気する。

 そっちの気がない男でこの体たらくである。

 年若い女性の注意散漫からのすり傷が増えたのはこれが原因といわれている。

 その代わり、心の病は減った。

 造形の女神が全精力を傾注してこしらえた美はなによりの目の保養である。

 恋人に裏切られ、両親を事故で失い、職場は倒産と負の三重奏に見舞われた者が、真下を歩く豆粒大の十握を目撃して恍惚とたちつくし、自殺をおもいとどまったほどである。余談だが、その女性は後日、エイリアのパン屋に駆けこんだ。不義理を重ねた男は報いをうけた。股間に宿る熱量グンダリーニがダイエットコーラも同然となってしまえば未来の犠牲者は見いだせまい。

 キクルは痩せ浪人然の白髪の剣を拾った。

「せめて、じまえで殺れよ」

 最後の愚痴をこぼした次の刹那、ペップは床を見ていた。

 一応は、強者であったらしい。

 自覚のないワスプ、おぼろげながら解していたヨハンと異なり、血の力を十全に熟知していた差は大きかったということだ。

 首はよく飛んだ。

「われも手元不如意でな」

 キクルの声は低い。

 ペップの紙入れを漁ると舌打ちした。

「本当に金欠だったらしい」

 金額の少なさにブツブツ文句をいいながらも用心棒たちからも回収する。

 鍵のかかった引き出しをこじ開けて、持参人じさんにん払いの手形を見つけて気分をよくしたまさにその時――。

 部屋に充満した血臭が、突如、消失した。

 新緑のような清澄な香りは……さすがに幻臭であろう。

 窓から射しこむ陽射しが強さを増した。

 太陽が注視している。

「先客がいましたか」

 男のそれでありながら、金鈴のような女性の声より色気があった。

 噂をすればなんとやらだ。

 十握である。

 凄惨な現場を目撃してもなお微笑は変わらずだ。

「仕方がないですね。別口をあたるとしますか」

 そうひとりごちると踵を返した。

「待て」

「早まるな」

 獅子吼するキクルを諫めたのは同じくキクルである。

 十握は振り向いた。

「クズ同士どうなろうとわたしのしったことではありません。死体をうまく処分するなり、観念して出頭するなり、逐電するなり、ご自由にどうぞ」

 と、いっても、人の好意を踏みにじって金に換えてきた猜疑心の塊に信じろというのは酷な話ですね、と十握は辛辣だ。

「お相手しますよ」

 キンと空気が凍った。

 キクルは肩を振るわせている。

 怖じ気づいたのではなかった。

 元いた世界の夜のコンビニの駐車場で無為に時間をすごす連中なら腰が抜けるプレッシャーを前に、ああ、歓喜に身を震わせているではないか。

 下卑た笑い声が室内を席巻した。

「いいぜ、そうこなくちゃな。その澄ました面を切り刻んでから、腹に穴をあけておれのものを突っこんでやる」

「威勢のいいのは結構だが、契約がすんでおらん。われの力は使えんぞ」

「かまわねえ、おれにはこれがある」

 キクルは仮面をつけた。

 歩みが遅いのはおちょくっているのか。

 剣は残像を切り裂いた。

 キクルはたたらを踏んだ。

 狭い視界をたおやかな手が占める。

 はたから見ればやさしく撫でたようであったが、当事者には熊のひと振りに等しい重い一撃であった。

 仮面がまっぷたつに割れた。

 キクルは二メートル後方の壁に衝突した。

 振動に埃が落ちる。

 無論、十握を避けてだ。

 喀血するキクルの相貌が翳った。

 十握が見おろしている。

「――なぜだ?」

「なるほど、そういうことでしたか」

 あまりに雑で不思議だったのですよ、十握が合点する。

「どうもわたしは魔法の効きが悪いみたいです。すずらん横丁の主にいわせると極度の鈍感ということになりますが、失礼な話です、わたしの蔵した魔力が精神に働きかける魔法を無効化する――ATフィールドやヴォイド効果の類といえば丸くおさまるのに、やはり、腰とともに性格も歪むのでしょうかね」

 と変なところに突っかかる。

 それからキクルを凝視する。

「憑かれてますね」

 十握は手首を返した。

 キクルの右目に生えた銀毛が陽光をうけて鈍く光る。

 十握の針である。それはひとりでに潜った。

 小舅のように口うるさかった相方が消失するのをキクルは感じた。

 反応が薄いのは痛みがないからである。

 白昼夢でも見ている気分であった。

「とりあえず封印しておきました。十年も経てば朽ちることでしょう。念のため、噴水広場近くの穢土などは避けてください」

「なぜ、助ける?」

 当然の疑問をキクルは口にした。

 普通は見殺しにする。

 街の害虫でしかないチンピラなど忌まわしいものに憑かれて身を滅ぼしたところで自業自得、むしろ、未来の犠牲者が減って慶賀である。

「ただの気まぐれです。このていどのことで治療費は請求しませんのでご安心を。それでは、よい週末をおすごしください」

「待て」

「まだ、なにか?」

「おれが誰かわかっていっているのか?」

「すいません。こちらの顔と名前を覚えるのは苦手でして」

 十握は肩をすくめた。

 ――空気に命の溶けだす臭いが戻る。

「覚えるほどのことでもなかったということか」

 キクルの頬を涙が伝った。

  

ホラー第四作目の「頭隠して尻隠さず」もよろしくお願いします。

五作目の「雨の穴からさしこむ光」を投稿しました。

わかる人はわかるとおもいますが、とあるかたをちょっぴり意識しています。

ま、内容はまったく違いますが。

ブックマーク、高評価、感想、レビューをお待ちしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ