血族
アーチーは浮かない顔であった。
「読書ですか?」
清澄な新緑の香りも優しい木漏れ日も彼のささくれだった心を和らげるには役者不足であった。
なみはずれた胆力の持ち主でもこれが普通である。
そもそも、必要に迫られるでもなく森にはいって、自然の息吹を五感で感じてリラックスするなどこちらの世界広しといえどひとりだけである。
「仕事ですよ」
十握は原稿から顔をあげる。
あずま屋にいる。
足元で亀が気持ちよさげに日向ぼっこをしている。十握がカメ丸と名づけた亀である。そう足繁くこれる場所ではないのだが、カメ丸は十握の顔をしっかり覚えていて鈍重なイメージからは想像もつかない早さでやってくる。試しにお手をおしえたらすんなりできたから驚きだ。元から利口なのか、十握の手製の餌にたっぷりふくまれる魔力で脳が活性化したかは判断が難しいところである。
「そりゃ、女心でしょう。相手が十握さんなんだから種の限界くらい乗り越えるわよ」
これはソフィーの言である。強盗に殺された幽霊や中天に浮かぶ月が味方するのだから説得力があった。
サボンの指摘でメスと判明した今もカメ丸のままなのは、正式はカメ丸子ということにして略してカメ丸と呼ぶことにしたからである。突然、今日からおまえはジョセフィーヌでは亀も混乱するだろうという配慮だ。
「アリアさんにホラーの推薦文を頼まれたのですが、これがどうして難しくて」
「そんなもんですかね」
アーチーは首を傾げる。
「怖かったと書けばいいんじゃないですか」
十握は魔法瓶の蓋を開けると、
「一杯いかがです?」
「いただきます」
カップを満たす琥珀色の液体に口をつけた次の刹那、アーチーは目を見開いた。
「冷たい。――その水筒の働きですか?」
「ええ、わたしが作った試作品です」
夏は冷たいものを、冬は温かいものを移動先でも飲みたくて、と十握はさらりというが、それがこちらではいかに贅沢なことか。
「こいつは凄い。売る予定は?」
「面倒ですよ」
「そうですか」
アーチーはあっさり引き下がる。十握に心酔する余り、正常な判断がつかなくなっている。真空断熱というオーパーツも――魔法の援用があるので文字通り魔法瓶である――ありとあらゆる女神の加護を一身に受けた十握なら発明してもおかしくない、千載一遇の商機を面倒のひと言で一蹴したのは凡夫には解しがたい深い理由があってのことと好意的に曲解している。
「推薦文を書こうにも肝心のホラーがまったく怖くないときてる」
「それは困りましたね」
「手伝ってもらってますからね。彼女の役に立ちたいという気持ちはあります。とはいえ、わたしを信じてくださったかたを落胆させるのは忍びない」
「あちらをたてればこちらがたたずですか」
「場末の酒場で管を巻く冒険者なら、そうたて続けにはできねえよって下卑たジョークを飛ばすところでしょうね」
「そういう科白は旦那を慕う女性陣の前では──」
「無論、いいませんよ」
「そうだ」
妙案が浮かんだとばかりにアーチーは握り拳で手のひらを叩いた。
「旦那が書けばいいんですよ」
元いた世界ならひと悶着おこる発言だが──ホラーを読んで怖くなかったという感想に、だったらおまえが書けは筋違いもはなはだしい──一の子分を自認するアーチーは十握なら手慰みで良作が書けると本気でおもっている。
「手直しが無理なら考えますよ」
手間を想起したらしく、端正な顔は浮かない。
十握は話題を変えた。
「で、こちらへはどんな用で?」
「仕事です」
当然とばかりにアーチーはいう。
「見つかりましたか?」
「ええ。雲隠れしてやがったんで見つけだすのに時間がかかりました」
「おや、抗争中でしたか?」
「そうは聞いてませんが、頭のネジがぶっとんでる連中のことです。月がおれを追いかけてくると不安になったんじゃないですかね」
「季節の変わり目ですしね」
十握は頷いた。
十握が推薦文を書いたホラーはベストセラーになった。
紙の節約などしったこっちゃないと、微にいり細を穿ち、襲われる側の心理描写を徹底したことが人々の心胆をより寒からしめる結果となった。
因果関係が薄いのも画期的であった。
こちらの作家は文化人である。
下級貴族や、三男四男などの元が多い。
それを鼻にかけているものだから、親の因果が子に報いじゃないが小うるさい教訓を持ちだして読者を白けさせる傾向がある。
教養と金が露骨に直結する世界である。
庶民はてにをはを習うだけである。元いた世界の名作に忌避感を植えつける国語の授業などない。
公共施設と名ばかりで図書館の門戸は堅く閉ざされている。
素養のない者に物語を書くのは荷が重い。
筆記用具の高さもネックになる。元いた世界のように、仕事や学業の片手間に挑戦してみるというわけにはいかなかった。
──売れすぎるとそれをやっかんで難癖つける輩はどこにでもいる。
役人が動いた。
風紀を乱すなということだが、例え娯楽要素の強いホラーでも庶民の啓蒙になる側面がある以上、捨て置けないと朝の小便のたびに過ぎ去った青春を懐古するうるさ型がせっついたらしく、形式的なことですと恐縮しながら貧乏くじを引かされた者が、毎月、ぶ厚い封筒をよこすゴドウィンに口頭注意した。
ゴドウィンはなぜか萌え絵調のあぶな絵を眺めて聞き流した。
一応、作者にもという役人を、おれから伝えておくとゴドウィンは小遣い銭を渡して追い払った。あっさりと従ったところを見るに、情報を金にする者の口の固さを熟知したうえに、よしんば、作家がやんごとなき人だった危険性を考慮したのであろう。長編である。書き損じの紙代だけでかなりのものだ。
かくして、ペンネームで書いたホラーを自画自賛するマッチポンプが効を奏した。腐女子にまで店にこられたら収拾がつかなくなると覆面作家を選んだわけだが、期せずしてむさ苦しい男避けにもなったのであった。
執筆のあいまに気分転換でまとめサイトを見ることがありますが、コメ欄で揉めているのを見かけるとかえってストレスが溜まりますね。
できが悪いから嘘松だ?
いやいや、フィクションを舐めすぎでしょう。
面白さが最優先、木の根っこが女性を襲うのもありなバーリトゥードがフィクションです。
本当かもと匂わして逃げを用意する凡作といっしょは心外です。
そもそも、まとめサイトに載る尻切れトンボに評論家気どりで辛口批評するのが野暮の極みです。多少の違和感は受け流しましょうよ。
では、次回にお会いしましょう。
甘口の感想お待ちしております。 カレー煮込みうどんを食べながら。
追伸 「隠れた人」を投稿しました。読んで「こいつ、どんだけ奇をてらおうとしてるんだ」とあきれつつ感心していただければ幸いです。




