ゲームの達人
ラウドの生ける伝説は決断が早かった。
飛来するペーパーナイフをキクルが避けるまでもないと腕のひと振りで払った次の瞬間には、机を蹴って跳躍したヨハンが眼前に迫っていた。
ゴウゴウと風が唸る。
ジャブが顔面にはいった。
ヨハンは畳みかける。
クロスの次はフックが脳を揺らす。
右のミドルキックが脇腹にはいった。
肋骨が悲鳴をあげる。
重い一撃であった。
伊達に腰は鍛えていない。すべては女性のためと、チーズと赤身肉と野菜を摂り、嫌われては元も子もないので酒と匂いの強い香辛料はほどほどに、毎日、敷地内を四キロほど走り、西に腕のたつスケコマシがいれば行って教えを請い、東におしゃれな店があれば行って女性向けのファッションを覚え、いつも笑顔を絶やさず、ひと晩で三人を喰らい、それでものたりなければみずからを慰め、情交の疲労を情交で癒やし、みんなに伝説と呼ばれ、慕われる者に彼はなっている。
ヨハンはキクルの背後に回った。
腕を回して顔の下部を締める。フェイスロックである。
ヨハンに殺すつもりがなかったのでこうなった。正確を期すと、背後関係がはっきりするまでは生かす予定である。刺客同様に、いや、それに倍するもてなしを雇い主にする必要がある。舐められたら商売がやりにくくなるのは表稼業も同じである。裏稼業と違うのは喧嘩に勝っても金が涌くわけじゃない、下手すると恐怖イメージは客を遠ざけることになりかねないので隠密裏に片づけるということだ。おおっぴらに戦争となると危険手当てという名目で尻の毛まで毟らんとするギルドを嫌って、暗殺で穏便にことを選ぶ貴族と同じである。贅言だが、王家もそれを推奨している。担ぐ神輿が変わるだけなら社会的混乱は最小限ですむ。ギルドの危険手当ては抑止効果を狙った懲罰的な費用である。実態は足下を見たたかりであるのは青っぱな垂らして茫洋と空を見る坊やでもしっている。
凄絶な痛みは四肢の自由を奪う。
――凡夫が相手であればそうだ。
冒険者らしい太い人指し指がフェイスロックの隙間にもぐった。
ああ、まさか、たった一本の指に体重をかけた腕が押しもどされようとは。
さすがになにがおきたか理解できずに棒立ちのヨハンは襟首を掴まれた。足が宙を浮く。キクルは無造作に投げた。ヨハンは顔面から窓ガラスを突き破った。
「色に溺れた柔弱者とおもいきや、なかなかやる」
親指と人指し指で曲がった鼻を摘まむと元にもどす。
「なんで、避けられたものをわざわざ受けた?」
キクルは唇を尖らせる。
「快楽の次は痛覚を確認しようとおもってな」
「おれの体で遊ぶな」
「このていどの負傷、五時間もすれば完治する」
「だと、いいがな」
声に諦観があった。
キクルは部屋をでた。
壁に掛かった肖像画に小首を傾げたり、壷や甲冑に感心したり、鼻唄まじりで階段を降りると、堂々と正面玄関から外へでる。
もし、十握がこれを見たらカフカのグレゴールを想起したであろう。
ヨハンが蠢いている。
白いものが太ももの皮膚を突き破って顔をだしている。
顔から着地という最悪の事態は免れたが、これでは万事休すだ。
「よかった。まだ、意識はあるな」
「なぜ、こんなことを?」
「太陽が黄色かったからだ」
「ふざけるな」
ヨハンは睨む。
「ほう、この状況で凄む気力が残っているとは」
キクルは感嘆を洩らす。
「無論、冗談だ。そのような些末なことで人を殺めていたら百万を擁する街でもひと月後にはゴーストタウンだ。理由は先祖の不始末にある」
ヨハンの顔色が変わった。
「その様子だとしってるな」
「夢を見た」
ヨハンはうわ言のようにつぶやく。
「酒宴を張っていた。戦勝を祝ってのことだ。宴もたけなわで、女たちが際どい衣装で躍り、男たちが口笛を吹く。座の中心にいる見るからに勇猛な男がそれを肴に杯を重ねる。三十回ほど繰り返しただろうか。杯が地を転がった。酒に毒が仕こんであった。われらは剣を抜いた。体が麻痺している男を滅多刺しにする。男が叫ぶ。『われを出し抜いたことは誉めてやる。せいぜい、人生を謳歌するがよい。きさまらの腹のうちはわかっている。あれとともに埋めて転生を妨げるつもりであろう。だが、われは必ず復活する。きさまらの子孫に罪を償ってもらうとしよう。無惨にくびり殺される姿を地獄の獄卒とともに眺めるがいい』いまわの際とはおもえぬ大音響であった」
「血は罪の意識に苛まれていたか」
「頼みがある」
「さて、辞世の句を考える時間はあったはずだが」
「妻と子どもは見逃してほしい」
「よかろう。メインディッシュの後に前菜などいらん」
「感謝する」
「それは不要だ。残された時間を苦しめ」
キクルは仮面をつけると背を向ける。
敷地をでたところで、
「少しだけ心が痛むな」
「意外だな」
「ヨハンはやり手の商人だけあってじぶんの立ち位置がよくわかっている。私財を投じて性病対策に取りくんでいた。安い娼婦にただ同然で配る薬がなければ、ラウドの下位ランクの冒険者は激減している」
「盗人にも三分の理とはよくいったものだ」
しばらく歩くと、再び口をついた。
「あんたも人が悪いな」
「そうか?」
「屋敷にいたガキどもは真っ先に片づけた癖に」
「末の娘が出払っていると執事はいった。それと妻が生き残ったのであれば嘘にはなるまい」
「いいのか?」
こちらの世界にも源頼朝と義経の兄弟のような逸話はある。
「好色漢はどうでもいいが尻をさしだした者の懇願は耳を傾ける価値はある。隣にならぶ愛人の助勢があればなおさらだ」
「豚は肥え太らせてから食うというし、女になるまで待つ腹か?」
「悪い奴だ」
「気があうな。ひと仕事終えた祝いに飲みに行くか?」
くぐもった笑い声が重なった。
ラウドの生ける伝説の葬儀はしめやかに営まれた。
本来なら、大がかりなものになるところだが、事情が事情である。
葬儀に参列できなかった者たちは胸のうちで手をあわせた。
当主が死に嫡統が死んだ。家宰も亡くなった。残されたのは妻と娘である。凄めば金を毟れると勢い勇んで葬儀会場に乗りこんだ遠い親戚は、列席する十握に顔色をなからしめると泡食って退散した。
十握は重要な顧客のひとりである。
発言力は大きい。彼の発言は街の半分の総意でもある。
十握の意向でギルドから優秀な者が出向して油問屋を支えることとなった。
十握とギルドの二枚看板に異議を唱える者は絶滅危惧種である。しかも、ラウドの有力商人五家のトップであるグレッグが追随している状態となれば、いかに面の厚い連中も偽の借用書や手形を持ちこむ愚は避ける。
隠し子はいるかもしれない。その時は金を渡せばいい。剣と魔法のファンタジー世界である。DNA鑑定に頼らずともたかりを見抜く方法はある。
安泰は確約されたも同然。
故人の意志を継いで性病対策を続けるとあれば、ラウドの住人のなかには未亡人を聖女と崇める者があらわれる。十握の入れ知恵である。
後は末の娘が選ぶ婿養子次第である。
もしかすると、血が騒ぐヨハンはこの日を見越して、ビジネスパートナー以上の関係を構築したのかもしれない
元いた世界の感覚が色濃く残る相手に、夏と冬に届ける山海の珍味は歓心を買うに充分な効果を発揮した。
夏のホラーを読んでて気づいたのですが、あらすじが短い物語のほうが当たりの確率が高い気がします。
ホラーは出し惜しみが大事でその加減がわかってるのでしょうかね。




