下準備
その晩、やむをえず外にでた者は重力に耐えかねたかのように俯いていた。
おのずと足早にになっている。無意識に気が急っていた。
夕闇である。
夜の制約が強いこちらでも、まだ、熟寝を貪るには早い時間である。
陽気に戯れ歌を口ずさむ者がいつもなら仕事終わりの解放感からあらわれるものだが皆無である。威勢のよさに反比例してぐだぐだの殴りあいに興じるマヌケも、その醜態に見てられないと顔をしかめる武芸者も、ちょうどいい余興とどこからか椅子を持ってきて腰を据えると酒ビン片手にやいのやいのと野次を飛ばす遊び人も室内に避難していた。
上を向くと月と目があってしまうからだ。
中天に浮かぶ丸い月は血を吸ったかのように緋に染まっている。
まるで、これからおこることを黙示しているかのようである。
こんな日は家でおとなしくしているべきであった。
だが、どこにも例外はいる。
すずらん横丁の住民はおかまいなしだ。
重苦しい雲が、常時、垂れこめる穢土にいれば、元いた世界の智恵子ならずとも人々は空を忘れる。
空を失念したのは住人だけなので、訪問客の姿は数えるほどである。
だから、傲然と胸を張って闊歩するキクルの姿は目だっていた。
「ここが、すずらん横丁か。なんとも、けったいなところよ」
昨日今日、ラウドにきた山出しのようにせわしなく周囲を見回す。
「こういう場所でそういう行動は――」
「おや、怖いのか?」
「浅葱裏と舐められるのが嫌なだけだ」
キクルは唇を尖らせる。
浅葱裏は、一時、ラウドでその裏地が流行り、ブームが廃れると流れて寒村の住民が着るようになったことから田舎者を揶揄する蔑称になっている。
「舐められたところでなにを怖れる?」
鼻で笑うと、
「おまえが山だしなのは紛れもない事実だ。そして、舐められたところでそれでどうなる? 増上慢の四肢の関節を増やしてやればいいだけのことではないか」
さぞ、いい調べとなるであろうよ、とつけ加える。
「浮かれすぎだぞ」
「目的は忘れとらんよ」
とある長屋の前で足がとまった。
木の香りが漂ってくる。
「邪魔するぞ」
許可を待たずにキクルははいった。仰々しい鍵は酷薄であった。場所柄、上等な物である。だが、物理と魔法の二重のセキュリティーは、冒険者らしい節くれだった手がドアノブを掴んだ次の刹那、カチリと音をたてて役割を放棄した。
「なんだ、てめえ」
坊主頭の男が光沢のある貝殻を削っていた刃物を向けて威嚇するがいかんせん声が震えている。切った張ったが子守唄も同然のふたりにその恫喝はそよ風に等しかった。
「仕事の依頼だ」
坊主頭の足元に転がった袋の口から山吹色の塊が顔を覗かせている。
「三十枚ある」
「なにを作ればいい」
まさしく現金なもので、坊主頭は金貨に釘づけだ。
「面を打ってほしい。街のダニを掃除したところで誰も気にもとめん、ヘタすると清々したと感謝する者まででるところだが、さすがに、カタギが相手となるとおおっぴらにはできん」
それに、本調子でない以上、補助は必要だ、とつけ加える。
「おれは細工職人だ。面など作ったことがない」
「案ずるな。流れる血を信じろ」
坊主頭の足が宙をバタつく。
首根っこを掴まれていた。
片手である。怪力であった。
地の底から湧いたかのような重苦しい音が室内に響きわたる。
キクルの唇が紡いだものだ。
人の声帯では、到底、不可能な音であった。
坊主頭の真下に緑のマス目があらわれた。
魔法陣である。マス目のなかに古代の文字が浮かんでいる。
「少々、苦しいが我慢してもらうぞ」
坊主頭は魔法陣が発する緑色の光に包まれた。
「ちょっと、いいか?」
「たてこんでるのが見てわからんのか?」
不機嫌そうに自問する。
「そうは見えないな」
揶揄するように自答する。
「いっしょにいるからわかるんだが、詠唱と魔法陣はパフォーマンスだろ。見え透いたことをする。薄々、おもってたことだが、あんた、悪ノリする癖がある」
「演出効果がないと飽きられるのでな」
「――飽きる? 誰に?」
「さて」
ベタは好むが、メタはそうでもないらしい。
キクルは完成した面をためつすがめつすると顔にあてた。
恥ずかしがりやの貴人がパーティーでつける精緻なそれの対極にある、鑿の削った跡が荒々しい原始的といってもさしつかえない面は、無作為の美とでもいうのか、なんとも蠱惑的な雰囲気を放散していた。
「さすがは当代一の面作りの末裔よ。太平の世の惰弱な身でよくここまで彫ったものだ」
賞賛は坊主頭に届いていない。
弱々しい笛の音のような音は彼の喉からでる悲鳴だ。
本職の職人が持てる力のすべてを傾注して、魂を削りながら鑿を駆使して彫りあげる理想形を、畑違いの者が、それも短時間で彫ったとなれば肉体と精神にかかる負担は尋常ではないはず。
キクルは坊主頭を一瞥する。
「死ぬのか?」
「死者にくれてやる金は小銭と相場が決まっておる。二十時間ほど寝れば治るだろう。われが殺めるのはわれを裏切った者どもの末裔だけだ。協力した者の子孫に害は加えぬ」
「だったら、もう少し、やさしくしてやれ」
キクルは長屋を後にする。
雲間から顔をだす月は緋色から寒々しさをおぼえる白へと変貌を遂げていた。
時々、こんな日がある。凶兆なのはいうまでもない。
馬車が待ち構えていた。
車を牽引する二馬は首なしであった。首切れ馬である。たいがいが個性の範疇でおさまるすずらん通りとはいえ、さすがに大型のアンデットをおおっぴらにするのは憚られるから人工的に創りだしたなにかであろう。
生気の乏しいメイドが恭しく礼をする。
「主がお会いしたいといっています。ご同乗をお願いします」
清澄だが、抑揚に乏しい声であった。
「断るといったら?」
「歩いて帰ることになりますが、十キロ、二十キロではすみませんよ」
「それはちと面倒だ」
――外観から想像がつかないほど内部は広々としていた。
灰色がかった通行人がすぐそばを通り抜ける。窓ガラスは色がはいっていた。善良な一般人に後ろ指をさされる大成者の常でガラスは五センチと厚い。暗くしないとゆがんだ景色に気分が悪くなるからだ。
馬車はさしたる揺れもなく進む。
キクルは琥珀色の液体を湛えたグラスを挟んで老婆と対峙する。
「上の者は下の者を呼びつけることで権力の行使を実感するそうだが――すずらん横丁の主はこの奇妙な場所に負けず劣らずの変わり者らしい」
「星や月がうるさくてね。おちおち、寝てもいられないのさ」
「して、われの用向きとは?」
「これから大人の話だから坊やには眠っといてもらおうかね」
「ほう、わかるか」
「わたしはすずらん横丁の毒王だよ」
「そのような肩書き、惰弱な者どものなかでいくらかマシということにすぎん」
キンと空気が凍った。
「試してみるかね」
「われは構わん」
と、いいたいところだが、とキクルは苦笑する。
「殺るのは裏切り者だけで充分といったばかりでな。舌の根も乾かぬうちに撤回は気が引ける。――それに、いい年をした男が人形遊びに興じるのもどうかと」
「全部、お見通しというわけかい」
「われを甘く見るな」
「すべてを失ったあんたはただの寝ぼすけさ」
「救済のない消滅を与えてやってもいいんだぞ」
「死のうは一定。気が向いたらお願いしようかね」
老婆――毒王は息を吐いた。
「あんたがこの街でなにをしようとしているのかはわかっている」
「誰かにしゃべった覚えはないのだが」
「天にましますお月さまはすべてお見とおしだよ」
老婆は琥珀色の液体で喉を湿らすと、
「老婆心からの忠告さね。復讐は虚しいだけだからやめろなんて低俗小説みたいなことはいわない。殺るならこの街の流儀に従ってもらう。対象は一族郎党飼い犬までにしておくれ。あんたがどれだけの男かしらないけど、今は坊やに間借りする身だ。無辜の民を巻きこんで派手に暴れたらわたしや街の有力者を敵にまわすことになる。惰弱な人の身で抗しきれるとおもうのは甘い了見だよ」
「親切なことで」
「似た境遇だからね。屈辱、怒り、哀惜――虐げられたあんたの気持ちはわかる。あんたがしようとすることを、わたしもこの街の流儀でしたからね。ただ、わたしの場合は過失はなきにしもあらずだけど」
老婆の笑みは寂しげであった。
馬車は静かに停止した。
夏のホラーに短編を投稿しました。大言壮語しちゃいましょう。出来は段違いです。頭ひとつ飛び抜けていると自負しています。一読すればみなさんも同じ感想になるとおもいます。と、いうか、推敲に推敲を重ねた作品ですのでそうであってほしい。いや、本当に。
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