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堕ちた虚像

 もし、こちらの世界にも三万六千キロの高みから下々を覗き見するゼロと一の出歯亀がいたら、昼と見紛うラウドのまばゆい輝きに目を細めたに違いない。

 その大衆飲み屋は珍しく閑古鳥が鳴いていた。

 昨日の盛況が嘘のようである。

 義理がたく顔をだした常連客は、まるで元いた世界のサラリーマンが電車の待ち時間に駅前のチェーン店の天ぷら屋や回転寿司で一杯引っかけるように、安い酒とつまみをかっこむように胃の腑に納めるとそそくさと立ち去る。

 酔いが浅くてはトラブルはおこりにくい。気が大きくなるから些末なメンツの張りあいで剣を振りまわすことになる。

 手持ち無沙汰の用心棒バウンサーはボタンのほつれを直している。

 例外はいた。

「もう、一杯くれ」

 ニキビ痕の残る雑な造作は緋に染まっていた。

 その男はむさ苦しい姿であった。

 髪はボサボサで無精髭を生やしている。

 着ている服は皺だらけ。鼻を近づければすえた臭いがしたであろう。

 双眸はどぶ泥のように濁っている。

 キクルである。

「やめときな、酒は無理して飲んじゃいけないよ」 

 店主が諌める。

「酒くらい無理させてくれ。こんなもん、まだ、序の口だ」

「男気は別のことで見せるもんさ」

 空のグラスにぶたれたカウンターが抗議の声をあげる。

「金なら払う」

 あたりまえのことで威張るんじゃないよ。うちはツケはお断りさね、と酔っぱらいの扱いに慣れている店主は軽くいなすと、

「もう、店じまいする時間でね」

「――早いな」

「忘れたのかい? 今日は寝ずの番だよ」

 反応の鈍いキクルに店主は肩をすくめる。

「ま、冒険者用の宿やアパートに住んでるあんたらには関係のない話さ。今晩は役人やら自警団やら裏社会の連中やらがうろちょろしている。面倒なことになるといけないからまっすぐ帰るんだね」

 ――キクルは店をでた。

 千鳥足である。

 立ちあがった瞬間におもいのほか酔っていたことに気づくのはままある。

 調子のはずれた声で戯れ歌を口ずさんでいる。

 火照った体に夜気が心地よかった。

 だが、しかし、心は乾いたままだ。

 酒に溺れるようになったが、酒の神はキクルが嫌いらしい。飲まずにはいられないのに、飲めば沸々と屈辱が、怒りが、こみあがってくる。

 キクルは空を見る。

 燦然と輝く星々がささくれた心を刺激する。

 執拗に追いすがる月が忌まわしかった。

 彼はこの世のすべてを憎んでいた。

 通りの向こうに同業者の姿を見かけると裏通りに避難した。

 舌打ちした。

 以前であれば、堂々と歩いて避けるのは向こうであったのに。

 若手の有望株であった彼が落魄したのは十握が原因である。

 十握とは冒険者の昇段試験用のダンジョンで遭った。

 無謀にもちょっかいをかけたのである。そこは初心者が中級者になるための登竜門である。ニキビ面に紛れていた十握をうだつのあがらないロートルと軽んじたのである。

 ああ、もし、十握がひと目でわかる格好であったなら――若手を委縮させたくはないというクレアの意向でそれとわからぬ格好をしていた――元いた世界の遠足前夜の子どものように無駄に興奮して寝つけず、喉の調子が悪くなかったら。わかっていたらこんなことにはならなかった。

 ダンジョン内で彼が手に負えなかったイレギュラーのモンスターを眉ひとつ動かさず、見たことのない奇妙な剣で切り伏せるとおべんちゃらをたれたポウルだけ連れて十握は悠然と去る。

 ほうほうの体で逃げ帰った彼を待ちうけていたのは失笑であった。

 嘴の黄色い雛鳥が双頭鷲に喰ってかかるようなものだと武芸者は蛮勇にあきれ、山出しがいい気味だと彼と関わったことのある者は鼻で笑った。そして、女性陣は――ただ、ただ、キクルを嫌った。

 尊大な態度が仇となって反動は大きかった。

 なんのことはない。ポウルというサンドバッグを失ったらじぶんが代わりになっただけのことである。元いた世界の年下相手に息巻いていたクズが、その増上慢が露見して街の人々に蛇蠍のごとく嫌われるのと似た構図である。

 人の噂も七十五日という。ラウドは生き馬の目を抜く街である。些末な事件はすぐに忘れ去られる。下級冒険者のしくじりなど埋め草である。だが、相手が常に人々の口の端にのぼる十握では風化せずにいつまでもくすぶり続ける。

 キクルは壁に手をついた。

 指を突っこんで喉の奥からせりあがる不快感をぶちまける。

 キクルは口許を拭う。

 酒に溺れるようになって覚えたテクニックである。

 吐瀉物が靴にかかっているのに気づいて低く唸る。

 みじめであった。

 潮時かもしれない。仲間のピグムは見切りをつけて、薄い本を捨てて街を飛びだした。もっとも、噂は郷里にまでついて回っているようだが……。

 風にのってどこからか子どものはしゃぐ声が聞こえる。

 めったにできない夜更かしに浮かれているようだ。

 悪酔いしている者にその声はやすりと化してざらついた心を刺激する。

「くそったれ」

 キクルは手近にあった消火用の水桶を蹴飛ばした。

今さらなのですが、後書きを書く人って少数派みたいですね。

頭から尻尾まで楽しんでいただきたくて書いてきましたが、主流の毎日投稿するかたがたにしたら大変でそれどころじゃないのかも。

なくてあたりまえですから、邪魔くさいなとおもわれてたら残念ですね。

それでは、また、次回にお会いしましょう。  麻雀動画(AMリーグ)を見ながら。

追伸 スコップしてくださるすべてのかたに最大の謝辞をもうしあげます。

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