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看板男



 そのパン屋は武具屋から三ブロックほど離れた場所にあった。

 瀟洒な洋館である。元いた世界の郊外にあるパン屋を想起してもらえればわかりやすい。

 内装も品があった。

 なにげなく活けられた黄色い花の一輪挿しが店主の趣味のよさを物語っている。

 だが、それを指摘する者は少ないだろう。

 店主を前に他に目移りするなど。

 エイリアは美しかった。

 気品があった。

 神々しいという言葉も彼女なら大げさのそしりを免れる。

 涼しげな目元。

 肩まで伸びる金色の髪から尖った耳が顔をのぞかせている。

 やや短いからハーフエルフか。

 エルフ族は総じて容姿端麗だというがこれほどの者はそうはいまい。大通りで見かけたエルフは、無論、美しかったが、どこか無機質な感じで心躍らすほどではなかった。やはり、人の血がはいったことで親しみやすくなったのであろう。

 彼女の背に隠れて相貌を薄桃色に染めているのは従業員のソフィーである。近所の喫茶店の子で、店の手伝いよりこちらで働いたほうが家計の助けになるというけなげな理由で勤めている。

 赤毛のかわいらしい子である。

 普通の店なら看板娘になれる器量よしである。

 年の頃は十七歳前後か。

 だいぶ上の可能性もある。ファンタジー世界の住人は年齢が判断しづらいところがある。

 十握が冷静に周囲を観察できるのは水面にうつったおのれの姿を見た後だからである。

 即採用となった。

 武具屋の主人――バッカスが推すわけだ。

 十握が店にでた翌日から状況が好転する。

 筋のよろしくない男はよりつかなくなり――初日に暴れた者は十握の手で裏の路地に捨て置かれた――エイリアとソフィーが安心してパンを売ることができる本来の客層である主婦が増えた。

 いや、増えすぎた。

 開店前から列をなし、一時間としないうちに商品がなくなる盛況ぶりである。

 意外や十握に積極的なアプローチをする者は少なかった。どこにでもじぶんを過大に評価する者はいるが、さすがにエイリアとの仲を裂く自信までは湧かなかったらしい。噂とは無責任なものだ。遠縁で冒険者になるべく居候しているという設定だったのに、いつの間にか結婚を約束した許嫁ということにされている。エイリアの名誉のために否定すべくバッカスに相談すると、よからぬ虫がエイリアに近づくのを防げるから放っておけととめられた。からかうような口調から察するにこれが目的だったようである。

 十握の仕事は店番である。

 接客業はストレスがたまると耳にするが、聞きわけのいい客ばかりでやりやすかった。

 元々、ひとり暮らしが長くて料理が好きなのもあって空いた時間にパン作りを習う。

 一週間ほどしてソフィーと日常会話ができる仲になると十握は新メニューを提案した。

 揚げパンである。

 こちらの世界では初の取り組みである。

 元いた世界でも油で麺を揚げる即席麺が発明されたのは昭和になってようやくである。

 中国でラーメンが発明されてから三千年以上が経過している。

 気づけばどうってことのない発想が盲点になるのはよくあることである。

 こちらの世界で食用油といえば炒めるかサラダにかけるドレッシングが主な用途である。

 高価な油を使うことに当初、エイリアは難色をしめしたが、日持ちがして大量に作れることで価格を抑えられることと、とりあえず食べてみたいというソフィーの擁護で許可がおりた。

 そして客はさらに増えた。

「なにこれ、甘くておいしい」

 ソフィーが欣喜したようにこちらの世界の女性は甘味に飢えている。魔法のおかげで元いた世界の中世より生活水準は上だが、砂糖の生産量を増やすまでにはいたってない。ケーキは高価である。十握が提案した粉末大豆と砂糖をまぶしたきな粉揚げパンは手ごろな価格で――砂糖は表面を覆ってるだけなのでポテトチップスの塩と同等に少量ですむ――堪能できる甘味と瞬く間に女性を虜にした。

 それともうひと品ある。

 パンを買うという大義をふりかざして男に会いに行く妻を快く送る亭主は絶滅危惧種である。

 その解消に総菜パンを作った。

 初手から飛ばすのもよくないと普通に屋台で売られているひき肉の炒め物をハーブと胡椒で臭みを減らした上でパンに詰めて油で揚げたのである。

 これによりパン屋なんかどこでもいいだろうという愚痴は減った。

 手軽な軽食は、無論、パン生地をやや薄く、胡椒を利かせてあるのが功を奏して安くて美味しいと酒の肴にする者まであらわれる。

 結果に十握は満足した。

 これで少しは恩返しができた。

 一時間の店番で寝食と一般的な額の給料はもらいすぎの気がして心苦しかったのである。

 当座はこれでいいだろう。

 模倣する店が増えてきたら新商品を考える。なんでもそうだが急な変化はおもわぬ副作用を生む。欲に駆られて同業者をダース単位で路頭に迷わせた結果が神の不興では元も子もない。ゆっくりと、しかし、着実に歩んでいく。その青写真のなかには孝行娘のいる喫茶店に卸す品もふくまれていた。

説明の多い回です。冗長にならないように気をつけました。

男と女なので較べるものでもないですが、美のレベルは十握のほうがはるかに上です。

十握のことです、恩返しできた喜びと同時に異世界ファンタジーのベタな展開に忸怩たるものがあったでしょうね。

それではまた次回にお会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら。

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