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初登庁

「肩透かしってこういうことをいうのでしょうね」

 拍子抜けした十握がつぶやく。

 蒼穹にたなびく雲が見上げずとも視界にはいる。

 ラウドの庁舎はこじんまりとしていた。

 中級貴族の邸宅に毛の生えたていどであった。

 元いた世界の感覚からするとハルコン王国一の商都の庁舎がこれで足りるのかはなはだ不安だが、封建社会は基本的に小さな政府である。そして、雑事は外部委託の支所がこなしている。これで充分な大きさであった。

 一般市民には縁のないところであった。

 口さがない連中は影で神輿と呼んでる。

 神輿は軽いほうが担ぎやすい。

 ラウドの顕官の奢侈しゃしな生活は有力商人たちが支えている。借りてきた猫のようにおとなしくしている条件である。刷新と称して自発的に仕事を増やして内職に励ぬ者はいまい。たまにあらわれる硬骨漢は人々の支持が得られず泡沫と消える。嘴を湿らせることに満足せず、役人が商売に口を挟むようになったら、増税と規制でたちどころに不景気になるのが目に見えているからだ。ラウドに別邸(出張所)を設けている諸侯もそれは望むまい。

「さ、行くわよ」

 ソフィーが急かす。

「今日は柄にもなく乗り気ですね」

「姉さんに頼まれたら苦手とかいってられないじゃない」

「エイリアさんは心配性ですね」

「失礼なことがあるといけないからだって」

「そんなことしませんよ」

 元いた世界で、悪辣にもブルーシートが電線に引っ掛かったという理由で足止めを強いる駅員に正義の鉄槌をくだすべく詰め寄る手合いを見ると胸がこみあがる十握は、病院で血圧をはかると看護師に心配される白衣性高血圧の持ち主である。

「逆、逆。向こうが役人風を吹かせて木で鼻をくくるような対応だったら、十握さんが怒ってなにするかわからないから宥めるようにって頼まれたの」

「たぶん、大丈夫だとおもいますよ」

 十握はポケットを軽く叩いた。

「名刺ジャンケンでまず負けることのないレア揃いですからね。目の前で破られたり、机の端に積んでお呼びがかかるまで待ってろ、ということはないでしょう」

 季節柄、嫌がらせ以外のなにものでもない大理石の廊下を歩いて通された先は会議室である。楕円形のテーブルを十三脚の椅子が囲んでいる。

「考えたわね」

 ソフィーが不敵な笑みを浮かべる。

 街一番の名物男とはいえ無位無官の者を応接間に招くわけにはいかず、さりとて他の陳情者同様に長椅子に座らせて窓口の業務を停滞させるなどもっての他、それで間をとって会議室を選んだに違いない。差配した者は微に入り細を穿つ性格のようだ。会議室の格としては二番手あたりか。副長官が列席する場であれば北側に玉座を簡素化したような椅子が置かれて、左右の壁側の席に部下が座る構図になっている。余談だが、腹心らが直立不動といかないのは寄せ集めの組織だからである。序列の差はあれど、でるところにでれば皆、王の直参であり、手駒のように粗略に扱うわけにはいかなかった。

「お待たせしてもうしわけありません」

 コーネリアスがあらわれたのは、気を利かせた職員が持ってきた茶菓子をソフィーがひとりですべて平らげて紅茶で人心地ついた時であった。

「こちらこそ事前連絡もなく押しかけて――」

「いえいえ、侯爵家に伯爵家、ラウドを代表する商人が三家にギルド長の紹介とあれば親の葬式の最中でも抜けだしてきますよ」

 優秀な秘書らしくそつのない対応である。虎の威を借る狐と侮る素振りは微塵もない。

「そうですか、多めに用意した甲斐があったというものです」

 十握は微笑んだ。

「では、失礼ついでに」

 飛燕の速度で迫るカップはコーネリアスの額を割る手前で失速した。

 カップを彩る大輪の花がふたつになった。

 コーネリアスは微動だにしない。小指の先も動かさずにどうやって?

「ソフィーさん、今のは?」

「能力は違うけど、わたしと同じ」

 ソフィーは転がってきたカップの片割れを拾うと断面をしげしげと眺める。

「神の寵愛ですか」

 別名を特殊スキルという。詠唱が不要で即座に人智を超えた技能を発動できる優れものだが、神の愛は重い、なにかと犠牲は多く、大半が絵本を卒業する前に命を落とすことになる。秘密にする者が多く、謎に包まれた能力である。十握は超能力の類いだろうと睨んでいる。

「これはどういうことですか?」

「ちょっとした確認ですよ」

「――?」

「やっと会えました、ブラ裂きジャックさん」

 キンと空気が凍った。

 悽愴な気が衝突した。

 凡夫なら肩を抱いて悪疫に罹患したかのように震えだすところであろう。だが、この場に臆する者はいない。ソフィーは芝居の殺陣を観劇しているかのように落ち着いている。

 コーネリアスの手が腰の物へ──いや、離れた。

 コーネリアスは肩をすくめた。

「なぜわたしがブラ裂きジャックだと?」

「おや、否定はしないのですか」

「これほどのお歴々の名をだす以上、憶測で動くことはないでしょう」

「論理的思考のできるかたは話が早くて助かります」

「あなたがたの身になにかあれば公表される手はずになっているのでしょう」

「それは億劫だったので──今からでも足掻いてみますか?」

「勝つとわかりきっているから手間を省いたのでは? それにここで荒事はできませんよ。たとえ正当防衛で落ちついたとしても物見高い人たちに痛い腹を探られて腹膜炎になってしまいます」

 目論見とおりにいって十握の口の端に薄い笑みが広がる。

 嫌な話題を振るときは相手が大事にしている場所に限る。

「捜査に煮詰まりましてね。それで逆張りしてみたのですよ。胸の大きい女性を好む男がパットでかさまししたブラに騙された憎しみで切り裂くようになったというのが港間とり沙汰される噂ですが、別の理由なんじゃないかと考えなおしてみたのです」

 ここで十握は一拍置くと、

「簡単にあなたの名が浮かびました。胸の大きさは気にしないというかたはそれなりにいますが、胸は小さいほうがいい、いや、小さくなくてはならない、小さな素晴らしい胸をパットでかさましするなど邪道である、と捲したてるは酔った勢いがあったとはいえ、貧乳という言葉を使った人に牙を剥くのはやりすぎです」

 後は、ブラを裂く方法ですが今ので立証されましたと十握はいう。

「仕方がないですね」

 コーネリアスは両手を突きだした。

「それにはおよびません」

「――?」

「依頼人の希望は充分な補償か、それがかなわない時は四肢の関節を増やしてほしいとのことです」

 特別な趣味でもない限り、決まりですね、と十握りはいう。

「それに、やってることはスカート捲りの延長です。こんなことで政情不安にしたらそれこそ損失ははかりしれない」

 コーネリアスは副長官の秘書である。長官は皇太子の名誉職でラウドにくることはまずない。副長官が事実上のトップである。そしてコーネリアスの役目はスケジュール調整をするだけではない。元いた世界の政治家の第一秘書に等しい。彼は副長官の家臣である。時に副長官の代理を勤める。そこらの下役など顎で指図することができる。その顕官が破廉恥な罪で捕まれば副長官も無傷ではすまない。この期を逃してなるものかと追い落としを謀る者があらわれる。

「寛大な処分に感謝します」

 いえいえ、とたおやかな手が謝辞を遮る。

「慰謝料にプラスおもだった商人たちと繁華街のテコ入れにパーッと騒ぐことになってますのでその協賛金であなたがラウドで蓄えた金額の半分ほど拠出していただくことになります」

 具体的な金額を告げると、動揺がコーネリアスの相貌に広がった。

「そんな大金は」

「ギルド長と大商人がこちらにいることをお忘れなく」

「すべてお見通しというわけですね」

 コーネリアスは慨嘆した。


 有力商人たちの遊びは豪気であった。

 老舗の料理屋を貸しきっている。

 色町の目と鼻の先にある。密談や接待、娼館に繰りだす景気づけ、はたまた、底意地の悪い者が足元の視界が悪い女性の元凶である双丘を揉みしだきながら、階下のなけなしの銭を握りしめて右往左往する庶民を見おろして奇矯な優越感に浸る――元いた世界でいうところの料亭に匹敵する高級店であった。

 金に糸目をつけずにとりよせた山海の珍味に舌鼓を打ち、各店のトップを張るきれいどころの酌を受ける。無論、酒もうさんくさい評論家が十年に一度のあたり年だのここ十年で一番だとかおべんちゃらをたてるのではなく本物の銘酒である。酔いのまわった者が音曲にあわせてひとくさり踊ると気分をよくして二階の窓から金をばらまく。待ってましたと通行人が群がる。餌に群がる鯉のような様相であった。

 この狂宴がかれこれ三日続いている。

 街のためという大義があるのでうるさがたは瞑目している。

 金が回れば景気は回復する。

 あぶく銭がはいった人々が散財に狂奔する。ありとあらゆる物が消費される。サービスもしかり。賭場は潤い、女性が横に座って酌をする店も潤い、娼館は客をさばききれずにてんてこまいである。個人営業の女性もそう。今回に限っては手数料は免除しろというのが上の命令である。

 ブラ裂きジャックが落とした影は完全に払拭された。

 その料理屋の末席に十握がいる。

 白磁のような滑らかな相貌がほのかに桜色に染まっている。

 ワインを飲んでいる。

 酌婦は、無論、奇貨おくべしと大商人が、お近づきになりたいその娘たちがひっきりなしに注ぐのでグラスが空になる暇はなかった。

 十握は右隅の人だかりに目をやる。

 酔った従者が腕相撲に興じている。

 腕に覚えのある者たちの勝負なので見応えがあった。そして、頂点に君臨したソフィーが十握に手を振る。

 十握は微笑した。

 紫色の液体を満たすグラスに口をつける。

「気兼ねせず飲める他人の酒が一番うまい」

 これはどこの世界でも通ずる真理であろう。 

次回はスピンオフの予定です。

ご期待ください。 カエルまんじゅうを食べながら。

追伸 感想やレビューをお待ちしております。お気軽にどうぞ。

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