返り血を浴びたサンタクロース
「ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る」
クリスマスソングが静かな往来に流れている。
歌っているのは、無論、十握である。
元いた世界だと冬にあちらこちらで流れるクリスマスソングに辟易していたのに、聞かなくなると寂しくなってつい口ずさんでしまうのだから男心も秋の空と同様に変わりやすいものである。
男の足首を掴んで歩いている。引きずられる男はやや華奢な体躯とはいえ、成人男子なのだから五十キロはくだるまい。なのに、買い物袋を片手に家路につくような身軽さであった。
当然、好奇の的である。
だが、物見高いラウドの住人は沈黙を決めこんでいる。
凄絶な美の前に陶然と見いる以外になにができよう。
いくらか見慣れてきた者も、久しぶりに見る黒髪には形無しであった。
雑貨屋からでてきた少女が土まみれの男と目があって顔色なからしめるが、悲鳴を漏らす前に引きずっているのが十握とわかり、相応の理由があるのだろうと得心して先達と同様に恍惚とたちつくす。
引きずられている男は有名人であった。
名をトマホンという。
大道芸人である。
異国風の歌や踊りでとりわけ女性人気が高い。トマホンの着る服や愛用品はトマホン好みと人々の購買欲を駆りたてている。ここまでは表の顔だ。裏の顔は女の敵である。ファンのなかから内向的な少女を――鬱屈がたまっているがそれを親にいえずにいるか、いったところで無駄だと諦観している少女を見つけると甘言を用いて家出をそそのかす。人気者に誘われたのである。教会の窓を叩かれた新婦のように喜び勇んで駆けつけると待ちうけていたのはトマホンとその手下たちである。結末はいわずもがなだ。麻薬の援用もある。刺青を彫ることもある。表の世界との決別を意識させるためだ。凌辱の限りに汚れてしまったと破れかぶれになった少女を――性行為などたいしたことではないとハードルが低くなる。そうおもわないと心が保たないからである――腹と反比例して足の細い中年男や、枯れ木のような痩身だが双眸は情欲の光を湛えている老人や、頻繁にチャリティーパーティーを催して収益の5パーセントを恵まれない人々のパンに替える篤志家にあてがって金を稼ぐ。元手がかかってないから濡れ手で粟の商売である。
そして、少女たちが親元にもどることはない。
ちなみに社交的な少女を避けるのは露見する可能性が高いからである。口の軽い彼女らのことである。有名人と交流があれば口止めしたところで吹聴するに決まっている。
まさに唾棄すべき人間である。
だから、十握が動いている。
歌い終わると、十握は別の曲に変えた。
こちらに十握を招いた存在でもいかんともしがたい魔物がたちはだかるのでここからは鼻歌である。
グダグダに終わったおとり捜査の時と打って変わって意気軒高なのは空いた手をポケットにいれて暖をとっているからである。
ポケットに温めた石がはいっている。これでもかと火の気――魔力もこめたので保温効果はただ焚火に突っこんだそれとは桁違いであった。
温めた石――懐石である。
懐石料理の由来である。熱した軽石や蛇紋岩などを布にくるんで懐中にいれて暖をとるのが禅寺の古くからの習慣である。寒さしのぎと同時に空腹をごまかすこともできたことから、客人をもてなしたくとも食料がなく、せめてもの気持ちに懐石を渡したのが始まりとある。もうひとつの説である老子の道徳教、第七十章「是以聖人被褐懐玉」はややこしいので省略する。
恰幅のいい男たちが十握をとり囲んだのは、ひとくさり定番を歌い終えて洋楽に移行した時であった。
銀髪の口髭を蓄えた男が前にでて一礼する。
「十握さんですね。主人がお会いしたいともうしております。ぜひ、ご同行願えませんか」
低い物腰に上等な衣服をまとっているが、荒んだ気が馬脚をあらわしている。
「強引ですね」
「非礼はお詫びします」
「見ての通り、忙しいのですが」
「はて、ゴミを引きずっているようにしか」
口髭を蓄えた男はトマホンを一瞥する。
「わたしの帽子を汚したぶんだけでも後五曲は歌わないと」
「わたくしめが愚考いたしますに、早々に役人に突きだしたほうが得策かと」
「なぜ役人に突きだすと?」
「殺る予定でしたら往来で目立つことはしないでしょう」
「お見通しですか」
知的なかたの行動は読みやすいので、と口髭を蓄えた男は微笑する。
「それに時間の無駄です。ゴミはこのていどの恥辱で反省などしません。玉の裏の脂を水で洗い落そうとするのと同じ徒労です」
「なるほど」
居合わせた男たちがいいえて妙な表現に深々と頷いた。
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