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美はつまるところやせ我慢

 近所の家の竈から煮込みのいい匂いが漂ってくる。

 間もなく昼になろうかという時間である。

 今日が休みの日で幸いだ。館長以下門下生一同は武芸大会で出払っている。演武を披露するとのこと。もし、庭で木剣を振るっていたら、洩れ伝わる声に集中力を欠いて怪我人が続出したであろう。

 剣禅一如は理想論である。

 第三道場に場違いな声が響いている。

 それは優雅さとかけ離れた代物でヨガと呼ぶには抵抗があった。

 女の白い顔が苦悶に満ちている。

 十握とは異なる白さであった。陽に背いての生活が長い結果だ。こちらの世界の化粧品は優秀だ。鉛害の兆候はなかった。魔法の援用があるので有害物質に頼るまでもないのであろう。

 水商売の女である。

 それが勤まるだけあって容色はいい。モデルのようなすらっとした体型である。美人は得だ。野暮ったい部屋着を着ているのにそうと感じさせない色香があった。

 名をキャサリンという。おそらく、源氏名であろう。チラ見せして客の歓心を得るための撒き餌のブラを裂かれた被害者だ。

 鳩のポーズに挑戦している。

 足先と肘がくっつかなくて苦戦している。

「無理をなさらず、できる範囲でいいのですよ」

「美容のためなら甘いことはいってられないわ」

 キャサリンは猫の伸びのポーズをとる。

 これは難易度が低いのでリラックスしている。

 ゆっくりと鼻で呼吸している。

 女性の曲線美が強調される艶かしい姿。それでいて健全な雰囲気なのは曲線美の横でソフィーが腕たて伏せをしているからである。立った姿勢から素早く手をついてノーマルの腕立て伏せ、右足を曲げた腕立て伏せ、続けて左足を曲げた腕立て伏せと、もう一度、ノーマルの腕たて伏せをしてたちあがる。この一連の運動をかれこれ二十レップはこなしていようか。凡夫ならとっくに限界だが、表情にまだ余裕があった。さすがは神に愛された女性だ。

「なにかおもいだしましたか?」

十握は訊く。

事情聴取である。彼女は昼夜逆転の生活をしている。貴重な睡眠時勘を割いてもらうとなると聞き手としては相応のもてなしをする必要があった。もしかしたら開くことになるかもしれないヨガ教室のプレレッスンの後はレストランで食事を奢る手筈だ。余談だが、協力費ということで店で高い発砲酒を開けるという案は、十握と接した後に脂ぎった年寄り連中の下ネタを聞くのは堪えると拒否された。

「おもいだしたわけじゃないんだけど」

 針の糸通しのポーズに移ったキャサリンがいい淀む。

「感想でもいい?」

 ええ、と十握は頷いた。

「どんな些細なことでも当事者の口からでた言葉は一考に値する情報です」

「そんなに買いかぶられても困るな」

「今さら空回りのひとつやふたつ増えたところで気にもしませんよ」

 ブラ裂きジャック探しは暗礁にのりあげている。

「とりあえず、おもったことをいってみたら」

 ソフィーが助け船をだす。腕立て伏せは継続中だ。

「最初から話して終わりになったらやめればいいんだから、ね」

 キャサリンは息を吐いた。

「じゃ、いうけど――ブラ裂きジャックってそんなに悪いひとじゃないのかもしれない」

「それは初耳です」

 続きをお願いしますと十握は先を促す。

「買って三日と経ってないブラを裂かれたんだから腹はたってるけど、冷静に考えたらそれってイガグリ頭の坊やが気になる女の子のスカートをめくるのと大差ないのよね。どうなることでもないし。やったことは桁違いの難易度だけど。――これが、よくいる力ずくの強姦魔や虐げられたストレス発散にじぶんより弱い者にあたる臆病者だったら服とブラとパットだけを狙うなんて面倒なことをせずに、人気のないところで待ち構えて」

 キャサリンは手刀を首にあてる。

「ですね」

 十握は同意した。

 この手の連中は七面倒なことはしない。強姦魔は脳に回る栄養を体に奪われている。恒常的にストレスにさらされている者は思考が千路ちじに乱れている。だから、理性的な判断ができない。いくつかある選択肢のなかで下から数えたほうが早いものを選ぶ。元いた世界で例えると、上司や同級生の難癖を真にうけて罪悪感を抱く。そこに幸せはないとわかりきっていながら会社や学校に通う。そして受忍限度を超えると夢遊病患者のようにビルの屋上や踏切を目指す。

 彼らなら堂々と顔だしするであろう。背後から襲うことはありそうだが。身動きをとれなくしてから凌辱の限りをつくす。そして、後日、指輪や髪の毛などの戦利品を眺めて外気温と同化した女性たちを追憶して利き手を動かして、次に実行に移すその日まで無聊を慰めるのだ。

「つまり、女性を傷つけてはならないというモラルは持ちあわせていたと?」

「そう。あくまでわたしの感想だけど」

「ブラは裂きたいけど女性の肌は傷つけたくない、変なところで意識の高い変質者か」

 ソフィーが舌の上で転がすようにいう。

「ちょっと長いわね。――十握さんだったらどうまとめる?」

「その手は桑名の焼き蛤です」

 ブラ裂きジャックでさえ後悔しているのである。

 変態紳士などと名づけたばかりに、パンティーを頭からかぶったのや、素肌にコート一枚という究極の見栄っ張り連中の世話焼き係になど任命されたら季節の変わり目は寝ずの番をする羽目になりかねない。

「――桑名の焼き蛤?」

「忘れてください」

 十握は額に吹いた大粒の汗を手の甲で拭った。

アニメ化してる雲の上の存在に嫉妬はしませんが、「美しすぎる」と検索してでてくる作品には対抗心を燃やしますね。なんとかしてPVで勝ちたい。なにせ、こちらの主人公はお月さまが贔屓する十握ですから。ちょっとやそっと社交界で注目を浴びるご子息ご令嬢に負けてはいられませんよ。

では、また次回にお会いしましょう。 しるこサンドを頬張りながら。

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