強襲
「いいか、おまえら、気どった連中の頬をおおっぴらにひっぱたけるまたとない機会だ。日頃の恨みをおもうさまぶつけてやれ」
気が急く余り先頭をかけるゴドウィンが発破をかける。
こんな時でも笑顔だから職業病というのはげに恐ろしいものだ。
常夜灯が照らす薄闇のなかを二十人ばかりが一列にならんで進んでいる。
秋の日のつるべ落としとはよくいったもので先ほどまで西の空にあった夕陽はわずかに顔をだすのみである。
腕っこき連中だけあって皆一様にひと癖もふた癖もある人物である。
ものものしい行列に早々とできあがっている酔客は目を見開き、そして、最後尾に十握の姿を見つけて恍惚と目を細める。
ゴドウィンの事務所に押しかけて一時間と経っていない。
情報収集能力もさることながら、容疑者が少なかった。
ラウドは商都である。
貴族らしい貴族は王都か自領にいる。嫡統も同じで、王族のご学友にでも選ばれない限り自領にいる。貴族が王都の学校で机をならべて勉学に励むなど夢物語である。贅言だが、無礼講とは身分の低い者が高い者と同席できることを指す。対等に接していいという意味ではない。封建社会で座布団の差は重要である。権威の否定は王家の否定に繋がる。子どもはいいわけにならない。不用意な発言があるたびに謝罪や罰を課していたら学級崩壊である。学校に通うのはそこまで序列を気にかける必要のない臣下が多い。所属している家がどこであろうと、王家の前では等しく陪臣である。そして、王家は貴族の過度な横の繋がりを警戒する。反意ありと見なす。不幸な突然死を防ぐためもあって嫡統は自領で家庭教師に習うのが一般的であった。
これといった行事はないので、王都への往復の途中で身を寄せている貴族がちらほらといるだけである。
次男や三男などはそれなりにいるが無視していいだろう。
笛吹けども踊らず。
派手な格好をして街の金持ちのボンボンとくだらない意地のはりあいをするのが関の山だ。
労に報いることができない者の命で体を張る者は、元いた世界の紙コップのコーヒーショップで出涸らしのように香りの薄いアールグレイを注文する者より稀である。
ゴドウィンは平屋のくせにやたらと高さのある石造りの建物の前で足をとめた。
化け物の形をした雨どい――ガーゴイルが壁部に体を突きだした形で取りつけられている。
教会である。
ハルコン王国では弱小の部類の宗派だが、それでも金がうなっていることが見てとれる。
これは贅言だが、元いた世界でもカルト教団は信者が十万も超えれば大手企業なみの潤沢な資金を得ることができる。ここも、さぞや、あこぎにかき集めているに相違ない。
一仕事終えた金持ち連中が告解にくることがあるのでまだ営業している。
ゴドウィンは振り向いた。
「大半は辛気臭え面で説教垂れるだけの無能だが、借金の取りたてや他の宗派にかちこんだり、かちこまれた時用の腕のたつのがいるから、くれぐれも油断するんじゃねえぞ」
「おう」
と手下たちが小さく返事をする。
「あんたもひとことどうだ?」
ゴドウィンが傍観していた十握に振る。
「――別に」
「高慢ちきな女みてえな愛想のねえこといってねえで、なんかいえよ」
「そうですね」
たおやかな手が顎に添う。
「おのおのがた、ゆめゆめご油断めされるな」
なぜかはわかりかねるが正月に観た忠臣蔵が脳裏に浮かんでいたのである。
その時の感想は、
「現代だって家元に直で習う機会があれば相応のものを包むのにそれをケチって邪険にされたからって、よりにもよって将軍生母の贈位で京より勅使がくる日に刀を振りまわすわ、仇討ちと称して小禄の部下からなけなしの金を巻きあげて遊興に耽るわ、主君が主君なら家臣も家臣でフナ侍はどうしようもないな」
と炭小屋に隠れる老人と罪累の上杉家をいくらか憐れむものであった。
ずいぶんと時代がかったものいいである。ゴドウィンらが理解するには間があった。
ただ行進してるだけの谷間の回なので余談を多目にいれてみました。
それが邪魔だといわれたらどうしましょう。
次回は山場です。ご期待ください。できたらブックマークと評価をお願いします。
「例えばラストダンジョン前の少年が序盤の街で暮らすような物語」を観ながら。
追伸 ハリウッド映画の主人公が最後の悪党と戦うべくロスの街を車で疾走する、軽快なBGMが流れるシーンを意識したのですが、ゴドウィンの気負いが強すぎて重たくなってしまいましたね。




