男は五時から元気になる
街は夜の装いに変わりつつあった。
ノックもせずに押しかけてきた部下が足拭きマットとなったのは、ひと仕事終えたゴドウィンがこのところ熱をあげているホステスから届いた手紙を読み返して笑み崩れていた時であった。
「あんたは有名税と我慢してくれるタイプかとおもったんだがな」
今度は違った意味の蕩けた面で不意の訪問者を見る。
その男は美しかった。
それ以外の感想がおもい浮かばなかった。
双眸は黒い夾雑物に覆われているからわからないが、鼻や唇といった個々のパーツがすべて美しく、それらが一ミクロンのずれもなく完璧に配置されているなど、造形の女神が全精力を傾注したとしか考えられない。その美の結晶に凡夫の身で綾をつけるなど――。
現実離れした美を前に安易な嫉妬や憧憬など雲散霧消する。
「せっかく街一番の色男にお越しいただいたのだから一席設けるべきなんだろうが、これでもあんたには劣るがそれなりに艶福家でな、女から誘われてるんだ。要件は手短にしてくれ」
「ただの営業ですよ」
そういったのは十握である。
「冬支度はいろいろとかかりますからね」
ギルドでは質いれした冬用の衣類や布団を買いもどさんと下位ランクが日頃は見向きもしない雑用仕事のぶんどり合戦に明け暮れている。
「夢くらい見させてくれ」
身も蓋もない指摘にゴドウィンが子どものようにすねる。その仕草が似あっていた。
一見するとどこかの若旦那然とした風貌である。笑顔がはりついていた。葬式でも目尻はさがったままだともっぱらの噂だ。現に足拭きマットに堕ちた部下を見ても福々しい恵比須顔を維持しているではないか。
結婚詐欺師が臆面もなく歯の浮く科白がいえるのと同じである。
悪党だからとしかめっ面していたら表の社会の顔役に敬遠される。
急ぎ働きではなくて彼らの財布をあてにするなら――つり合いがとれるかどうかは別として、金銭の介在するなんらかの取り引きを恒常的にするのなら愛嬌は必然であった。
ゴドウィンは情報屋である。元いた世界の通信社とゴシップ雑誌を兼ねた存在である。
とるにたらない小ネタは提携先の飲食店に卸し、価値のあるネタはしかるべき相手に耳打ちして利を得ている。十握は小ネタの代表格である。アーチーの賭場の前にいたパパラッチは彼の部下であった。
「情報を買いにきました」
「金はあるのか?」
「わたしが受けた精神的苦痛の慰謝料と相殺ということで」
ゴドウィンは肩をすくめた。
「とある女性を探しています。家出する理由はないとのことですから、おそらくはなに者かに誘拐されたのかと。年の頃は……ええと、妙齢ということで」
「ろくでもないポン引きや娼館はあたってきたのか?」
ゴドウィンの眼前で小指の雨が降った。
デスクに散らばるなかの一本――緋色のマニュキアが鮮やかなのを摘まむとしげしげと眺めて、
「ローズだな」
とひとりごちる。
「前から疑問におもってたんだが、その指を切り落とす趣味はなんなんだ?」
「人道的だとおもいませんか?」
「そりゃ、ま、首を切られるところを指ですんでるんだからそういえなくもねえけどよ」
不承不承、ゴドウィンは認める。
「初めての色街でこんな無粋なことをするとはおもってもみませんでしたよ」
その時のやりとりを想起したのであろう。十握は嗟嘆した。
「尻の穴が排泄専門と信じて疑わねえガキ以下の低能揃いのことだから舐めた口でも訊いてきたか?」
「それもありますが、商品の女性たちの扱いが目に余るものでしたので」
「ほう、存外に人情味があるって噂は事実だったか」
揶揄する口調を十握は無視した。
「その女性は兎人族です」
「おい」
笑顔のままだが、声音が一段と低くなる。
「役者で、名前をメリリンといいます。昨日から消息がわかりません」
「本当か?」
「わたしが冗談をいうためにここまできたと?」
キンと空気が凍った。
「たしかに、金をよこせなんていってる場合じゃねえな」
「なにか情報はありますか?」
「掴んでたらさっさとおれがとっ掴まえてる。街の敵だ。八つ裂きにしても飽きたらねえ」
「では、有益な情報を得たら使いをよこしてください」
とりにくるでしょうから指は保管しておいてくださいと十握はいう。
「なにかあてがあるのか?」
「別件がありまして」
「メリリンの誘拐より優先しなきゃならんことがあるのか?」
「今朝、殺し屋に襲われたのでそちらも片づけないと」
「ちょっと、待てよ」
キザな口調で十握を呼びとめるとゴドウィンはたちあがる。
勢い余って膝が机にぶつかって指が転がり落ちる。
「おやおや、人さまの体の一部なんですから大事に扱っていただかないと」
「殺し屋の特徴は?」
「魔法なんでしょうね、性別も違う相手にうまく化けていましたよ」
「――イェイトマンだな」
「おや、ご存じで」
「名前だけだ。一流の殺し屋だ。このクラスは金を用意したくらいじゃ雇えない。仲介者と接するにもそれなりのステータスが必要だ」
なるほど、とゴドウィンはつぶやいた。
「なにかわかりましたか?」
「合わせ技だ。ラウドで人気役者を攫う、街一番の色男に殺し屋を仕向ける――どちらも大莫迦野郎のすることだ。この街に莫迦なことをする奴は腐るほどいるが、大それたことができる莫迦ってのは存外に少ないもんだ。力がねえとできねえからな。たて続けにふたりの大莫迦野郎があらわれたってのは低い確率だ。メリリンを攫った大莫迦野郎が、理由はわからねえが街一番の色男が邪魔になると先走って殺し屋をさし向けたと考えるのが自然だ。あんたは副業でトラブルシューターをしてるからな」
こいつは絞れてきたぜゴドウィンはいう。
「芝居にとんと興味がなくて、街一番の色男にちょっかいをだすことがどんなにリスクのあることかわかってねえ世間しらず。おそらく生まれてこのかたじぶんでドアを開けたこともねえ、服を着るのも他人任せのうらやましいご身分なんだろうよ」
柔和な顔だちと反比例して節くれだった指が空をしめす。
「その大莫迦野郎は長ったらしい名前の持ち主だ」
「貴族と?」
たしかに彼らなら――驕り高ぶった貴族ならラウドが築いた平民の文化に価値は見いだすまい。
「雲の上の存在ってことさ」
ゴドウィンは足拭きマットを蹴り飛ばした。
「腕のたつ奴をかき集めてこい」
かわいそうに、元足拭きマットは這う這うの体で部屋を飛びだした。




