清算
流星が群となって天を翔けている。
もし、こちらの世界も流れ星に願いをいえばかなうという迷信があるのだとしたら、蒼ざめた月は無粋な酔っ払いの排除を早口でまくしたてたに違いない。
銅間声が夜の静寂を打ち破る。
戯れ歌である。
歌っているのは諧謔を解しているとはいいがたい無骨な男であった。
半袖という軽装である。日中はそれでいいとして秋口である。日付が変わる頃となれば冷えこむ。今日は特段に寒い。吐く息に白いものが混じっているというのにその男は傲然と胸を張っている。
戯れ歌は覚えたばかりであろう。
全身から白粉の匂いを漂わせている。
馴染みの敵娼と肌を重ねた帰りであった。
最後の逢瀬であった。
男は空を見る。
望月におのれの気持ちを重ねて笑み崩れる。
もう、少しばかり姿形の似た婢女で代用する必要はない。さいちゅうに瞑目することも、背後を陣取ることもない。紫煙を吐きながら喚く蓮っ葉な口調に辟易することもない。なにより金がかからない。
長いことおもい描いた願望が間もなくかなう。
リスクを払った価値があるというものだ。
ぐだぐだ躊躇せずに、もっと早く実行に移していればという悔恨が湧く。
彼は幸せを噛みしめていた。
下卑た笑みが真顔にもどったのは背後からのかけ声であった。
「月がきれいですね」
清澄な声であった。
無骨な男――ゴードンは振り向いた。
視認する前から誰か理解していた。
清澄でありながら、蠱惑的である声。男のゴードンでさえ昂揚を禁じえない。
女であれば年端のいかぬ少女でも――その感情を理解できぬままに――頬を緋に染めてたちつくすことであろう。もう少し年を経た者なら硬直がとけるやいなや、しなやかな指を秘めやかな場所に這わせたかもしれない。ベッドに横たわり弱々しい呼吸でその時を待つ未亡人がもしこれを耳にしたら生きる活力をとりもどして列席する相続人を歯噛みさせるだろう。
すべての女人を蕩かす甘美な声。
このような芸当、神や悪魔でなければできるのはひとりだ。
ゴードンはまばゆさに目を細めた。
淡い月明かりが唯一の光源でありながら。
美がそう錯覚させたのである。
「と、いっても、告白ではないので誤解なさらず」
十握である。
裸眼であった。人気のない夜道でまでサングラスをする趣味はない。
「なにしにきた? と訊くのは野暮だったな」
冒険者の繋がりはない。パン屋もしかり。ならば別のしのぎ――トラブルシューターであらわれたことになる。実力行使にきたのだ。
「だが、街一番の色男におでまし願うほどのもめごととなると、さて」
「エドガーさん」
「――?」
「恋と戦争においてはあらゆる戦術が許されるといいますが、それも限度はあります」
「なにをいってる?」
「アンデッドのたまり場近くで殺ったのはお粗末でした」
ゴードンは舌打ちした。
「おとなしくあの世に行ってりゃいいのに執念深い野郎だ」
「死のストレスは精神に暗い影を落とすのですよ」
死者は死をしらぬ生者を妬む。とりわけ不遇の死を遂げた者は。
あたるを幸いと誰彼かまわず祟る霊がいるのはこれが理由である。
よかれとおもって長ったらしい経を写したら、呪詛がこめられているかもしれないという理屈にもならない理屈で――呪詛を祓うのが経ではないのか? ――送り返されたら崇徳院ならずとも、
「民をもって王となし、王をもって民となす」
と喚き散らしたくもなる。
ま、裏返って正気にもどった館の主というケースもあるが。
「そういうことでお覚悟を」
「待て」
ゴードンは叫んだ。
「リンダの生活は誰が面倒をみる。幼い子どもを抱えて仕事にもありつくのは難しい。おれなら幸せにできる。くたばった奴の恨みなんざより、生きてる者の幸せを優先するのが筋ってもんだろ」
「わたしが面倒をみてさしあげてもいいですよ」
意外な返答にゴードンは面食らう。
「捨て扶持をあてがって囲うのも一興です」
「きさま」
「冗談ですよ。彼女は仕出し屋で働くことになりました。ですので、あなたの援助は不要です」
「クソったれ」
ゴードンは唸った。
「こんなことでおれの幸せを台無しにされてたまるか。きさまが強いのは百も承知だが、こちとら長いこと冒険者やってるんだ。昨日今日のひよっこに引けをとるものか」
十握の口の端に冷笑が浮かんだ。
「わたしは介添えですよ」
「――?」
「もっとふさわしいかたがいます」
十握の合図で物陰からあらわれたやや太り肉の女にゴードンは声を失った。
「よくもうちの人を」
憤怒の視線がゴードンを射る。
ゴードンが旧友のエドガーを手にかけてまで希求した女――リンダである。
化粧っ気がなく、眼窩は落ち窪み、頬が痩せこけていたが、それでもふたりの男に求められるだけあって心惹かれるものがあった。
「わたしはいないものとおもってどうぞご自由に」
仲人じみたことをいうと十握り後ずさる。
カラカラと乾いた笑い声が虚空に吸いこまれる
「あと少しで手にはいりそうだったのにとりこぼしてしまったか」
ゴードンはリンダのネックレスを一瞥する。
指輪がついている。左手の薬指に嵌めているのと同じデザインである。十握が肖像画の前でたちくらみする原因となったエドガーのものであった。
双眸が炯々と光った。
「おれのものにならないのなら――」
禍鳥のような咆哮。
ゴードンは跳躍した。
凶刃が存在を声高に叫ぶ双丘へ。
リンダの視界が黒く染まる。
夫の仇をとりに勢い勇んできたがそこは素人。気迫に飲まれて目を瞑ってしまったのだ。
苦鳴が洩れた。
それは野太い声であった。
生暖かい感触にリンダは目を開いた。
小さく悲鳴をあげると尻もちをついた。
両手は緋に染まっている。
咄嗟に前にだした短剣がゴードンの腹に刺さっている。
「クソ野郎」
喀血するゴードンを十握は冷ややかな目で見る。
「わたしは介添えといいました。立会人ではありません」
毛深い右手の甲に針が刺さっている。そこから脳に伝わる電気信号が四肢を絡めとっていた。
「後はお任せします」
十握は地面に刺した針を回収するとーー結界を解くと本物の立会人に声をかけた。
ゆるやかにウェーブした銀髪が風になびいている。
闇が剥がれてクレアがあらわれた。
気配を絶っていたのである。
側にいる十握でさえややもすると存在を失念する隠形の術であった。
冒険者同士のトラブルなのでギルドが処理することとなった。
こちらの世界は蓋然性が高ければ死人の残留思念は有力な憑拠になる。
殺人の被害者が犯人を声高に主張する。
メタもいいところだが、笑い飛ばす者はいない。
上にたつ者ほど怪力乱神を語る世界である。
本来、ギルドに殺人事件を裁く権限はないが、そこは巨大組織の強みで融通が利く、定時に帰りたいラウドの役人は不承不承という体で仕事を明け渡した。
形式上は敵討ちである。
定番の不慮の事故は十握が嫌った。
十年後あたり、風采のあがらない男が卑しい笑みを浮かべながらおしかけて、
「奥さんも偉くなったもんですねえ。ちょっと金を融通してもらえませんか。おっと、警備を呼ぶのは感心しませんぜ。十年前、そう、あの時にあっしは見てたんですよ。奥さんがゴードンを始末するところを」
と第二の殺人を連想する十握は、社会派の巨匠の八面六臂の活躍で実用性皆無の館や事務所でオレンジの皮を剥く探偵が激減した暗黒期を経験せずにすんだことを神に感謝する、因習深い村でわらべ歌の通りに人がわらわらと死ぬ二時間サスペンスに目がない本格派(?)である。
夫の仇を討った貞淑な妻となれば誉である。封建社会は武勇を尊ぶ。
人々の好意が追い風になる。
子どもの養育にいい。寡婦向けの支援が通りやすい。両親が揃っていることだけが取り柄の手合いは口を閉ざす。無論、無聊をかこつ者を慰撫する引き換えに尻の毛まで毟りとろうとたくらむスケコマシもそうだ。もっとも、介添え人が十握という時点で最恵国待遇になるのだが。
十握はリンダを一瞥した。
虚ろな目で血に染まった両手を凝視している。
かさついた唇は声にならない言葉を紡いでいる。
憂悶が白皙の美貌に翳を落とした。
かける言葉がなかった。
「たまには突っこむ側にまわるのもいいもんだろ?」
あえて憎まれ口を叩いて奮起をうながす手法は十握の柄ではない。
時薬が解決するだろう。こちらの世界の住人はしたたかだ。加えて彼女には子がいる。
「用もすんだことですし、そろそろ、お暇しますか」
「あの、できれば後処理を手伝っていただければ」
「まだ手を繋いだこともないのに、いきなり夜をともにするのは早すぎるかと」
美しい者は得だ。元いた世界ならセクハラである。
十握は踵を返した。
読了ありがとうございます。
当初は十握が殺る予定でしたが、幽霊の後で少し腕がたつくらいの冒険者がメインイベントは物足りないとカードを変更しました。
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また次回にお会いしましょう。「スーサイドスクワット」を見返しながら。
追伸 パソコンをずっと見てると疲れますね。目がショボショボするのはまだしも、顔が痒くなるのは困りものです。みなさんもお気をつけて。
あの、読みにくかったりします?




