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深い愛

 困惑がふたりの相貌に広がる。

 館の主があらわれるとは聞いていない。幽霊はでても人魂ていどのもので怖るるにたりないというのがギルドの説明であった。

 イレギュラー中のイレギュラーであった。

 ポウルが十握を見る。

 言外にどうするか訊いている。

 どうするもこうするもない。戦うか戦略的一時撤退のどちらかである。

 オニキスを嵌めこんだような黒瞳の隅に映るニキビ痕の残る幼い顔は再生紙のようにくすんでいる。

 双眼に怯えがあった。パーティーメンバーがあのふたりである。このような危機的局面で囮にさせられた苦い記憶がフラッシュバックしたとみえる。

 窮鳥も懐にいれば猟師はこれを撃たずという。

 生気のとぼしい相貌が不意に翳る。

 さりげなく十握はポウルの前にたっていた。

「すぐにたち去りますのでお構いなく……とはいかないようですね」

 穴の開いた壁はいつの間にか元通りになっている。

 向かって右にあったドアは壁になっている。

 八方塞がりであった。

「例えばですが、ダンジョンの主を退治したことでここが崩落するということは?」

 主の死と共に砂塵に帰すは漫画や映画のありがちな設定である。

「可能性は低いとおもいますが」

 ポウルは言葉を濁す。

「ゼロではないと」

 白皙の美貌に翳りはなかった。ただの確認である。

 悪い予感が当たったところでさほど困らない。不可抗力である。

 大きな荷物をひとつ抱えて脱出するくらい十握にかかれば造作もない。

 後日、花と酒とあぶな絵をそなえて手をあわせれば寝つきはもどる。

 冒険者は命をベッドしてダンジョンを探索するのである。

 不慮の事故は甘受する。

 遺族は沈黙を選ぶ。再三再四スピーカーから流れる避難勧告を無視して中州に取り残されておきながら、救助が遅かったとのたまうような手合いをこちらの世界は容赦しない。

「ご用件は? ジンラミーくらいならつきあってもいいですよ」

 こんな時でも軽口を叩かずにはいられない不憫な体質が今は頼もしい。

 気負いはなかった。

 静かに闘志を燃やしている。

 ホラー映画で、やられ役が幽霊の出没に悪疫に罹患したかのように震えていると、駄目もとでとりあえずぶん殴るなり手近の物を投げるなりあがいてから死を受けいれろと銀幕にポップコーンをぶつける衝動に駆られる十握は、本屋とは名ばかりの夜遅くまで営業する店で瞼にピアスのあるのや肥満とガタイのよさを混同して肩を怒らせるマヌケと掘り出し物を競う向こう見ずな一面があった。

 刀に手をかける。

 元いた世界のいかめしい芸名の総髪が急急如律令と唱えて退治できるのである。律令は法律の意である。急いで法律のごとく従え。幽霊に税金を払えとでもいうのか。

 こんなのでなんとかなるのである。なら、十握にも勝算はあるはず。

 むしろ魔法があるこちらの世界のほうがくみしやすい相手かもしれない。

 そう考えている。

 と、いうか、そう鼓舞しないとやってられない。

 吐く息が白い。

 ポウルのまぶたに霜がおりている。正確を期すとポウルにだけ、だ。冷気も規格外の美丈夫には怖れをなすらしい。

 窓が外側から曇っている。

 厳冬のようであった。

 腐乱した犬を相手にウォーミングアップしてたのが幸いであった。

 調度品がガタガタと揺れる。ポルターガイスト現象であった。

 どれくらい睨みあっていただろうか。

 息をするのも躊躇う張りつめた緊張が室内を席巻している。

 気迫に飲まれたポウルが後ずさる。

 薄氷の割れる音。

 それが合図となった。

 十握は地を蹴った。

 一瞬で距離を詰める。

 館の主は靄となって刺突をかわした。

 人体にもどった館の主の蹴りを十握は両手を交差させて受けとめた。

 氷柱に触れたかのような寒気に総身が震える。

 十握だからそのていどで済んだが、受けたのがポウルであれば四肢が鉛と化しただろう。

 芯から体熱を根こそぎ奪われる感覚であった。

 館の主は後ろへ飛びのいて横薙ぎから逃れた。

 蒼白い腕が倍近くに伸びるとマホガニーの机にあったインク壺を掴んだ。

 飛燕の速度で迫るそれは途中で蛇になった。オレンジ色の斑紋が毒々しい。

 喉笛に噛みつかんと大口を開ける蛇を迎えたのは大のたり刃の刀身であった。

 まっぷたつになったインク壺が床を転がる。インクは乾いていた。

「そういうことですか」

 十握は納刀した。

「どういうことです?」

 質問は下からきた。理解を超える戦いを目撃してポウルは腰が抜けている。

「遊びですよ」

 河原で殴りあうチンピラではないが、戦うことでわかることがある。

 幽霊は本気ではなかった。

「試験は合格ですか?」

 陰鬱だった館の主の口角があがる。

 腐っても鯛ならぬ貴族でふてぶてしい態度である。

 ようやく口を開いた。

 歪んでいて声は聞きとれなかったが、唇の動きでいわんとすることはわかる。

「助けてやれ」

 であった。

 館の主はつむじ風にもどった。

 室内の温度がもどる。

「やはり幽霊とは関わりあいになるものではありませんね」

 十握は息を吐いた。

 リンと小さな音がした。

 館の主が消えた場所――肖像画の前に指輪が落ちている。

 最初はなかったから消える間際に落としたに違いない。

 貴族が身につけるにはいささか見劣りする、石のついていない、刻印もない、シンプルな銀の指輪である。

「なにを助けろというのやら」

 繊指がそれに触れた次の刹那、十握はよろめいた。

 膨大な映像が脳に流れこんだのである。残留思念というものか。

「人間コンピューターになるというのはこういう感覚なのかもしれませんね」

 SF好きらしい科白を呟くと十握は頭を振った。

「大丈夫ですか?」

 心配するポウルを無視して、

「風で丸まった雑草みたいな縮れっ毛で槍を得物とする冒険者をご存じですか? 仲間うちからはタンブルと呼ばれています」

「ーー?」

「厚い唇が特徴的で、酔うと涙もろくなるかたです」

 その人なら心あたりがありますとポウルはいう。

「エドガーさんです。たしか、二週間ほど前から行方不明だったような」

「なるほど愛の深い者同士、通ずるものがありましたか」

 十握はひとりごちる。

 映像に頻出した肉付きのいい女性は常に満面の笑みを浮かべていた。

「どういうことです?」

「大事な場所に土足で侵入した罪滅ぼしにひと肌脱げということですよ」

 そういうと十握はあらわれたドアへ向かった。

 ポウルは新人研修の時の教官の言葉が脳裏に浮かんだ。

「冒険者ってのはな、口で語るもんじゃねえ、背中で語るもんだぜ」

 その通りだとおもった。

 筋骨隆々で豪放磊落ごうほうらいらくな教官と眼前の十握。まったく違うがどちらも信頼にたる背中であった。

「だけどね」

 ポウルは長嘆した。

 続けていった男は顔じゃないという科白は大嘘だ。

 戦いのさなかにスカーフがずれてあらわになった紅唇。香油を塗ったかのようにぬらぬらとぬめ光るそれは白磁のようななめらかな肌との対比できわだっていた。

 そちらの気はないポウルでも胸が踊る艶かしさがあった。

当初はエドガーが登場する予定でしたが、それだと、会話するだけで面白みに欠けると当主におでまし願うことにしました。

冒険者を意に介さなかった幽霊が顔をだすには相応の理由が必要だろうということで肖像画のある部屋を用意しました。

書き直しに苦労しましたが、そのぶん、楽しめる内容になったと思います。

また次回にお会いしましょう。「ザ.ボーイズ2」を観ながら。

追伸 美への表現が少なかったのでたしました。蛇足だったらどうしましょう。

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