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上から目線の懇願

  一分後、十握は渦中にいた。

 尻の青い冒険者を挟んで腐乱した犬と対峙している。

 大型犬であった。足が細長くて顔が狐のような細面である。

 視神経がかろうじて繋ぎとめる右目は鼻先で揺れている。

 口中から覗かせる乱杭歯は鋭い。

 前足の爪は緋に染まっていた。

 犬は闖入者を警戒して距離をとっている。

 肌の露出は手のみの黒に覆われた奇妙ないでたちであったが獣の本能は十握を強者と見抜いていた。

 腐乱した犬はイレギュラーな存在であった。

 下位ランクの度胸試しに用いられるだけあって通常、相手をすることになるモンスターはとるにたらない雑魚である。三対一で後れをとることはまずなかった。

 雨宿りかなんらかの理由で潜りこんだ犬が瘴気にあてられて変容したか。

 そして、十握と同じく死後に才能が花開いたと。

 十握の口の端に酷薄な笑みが浮かんだ。

 抗う者に見覚えがあった。

 基本、人の顔と名前を覚えるのが苦手な十握だが――元いた世界ではとんと縁のなかった濃い顔だちとカタカナの名である。知人のほとんどが名前のみの平民であるのが不幸中の幸いであった――彼は特別である。

 十握を食い詰め者と嘲弄したニキビ面――キクルである。

 新調した剣は刃こぼれが酷く、見るも無残な形になり果てていた。

 足を引きずっている。

 焦燥と恐怖のないまざった感情が相貌を険しいものとしている。

 仲間のピグムは壁に寄りかかっている。

 こちらも顔色は優れない。

 呼吸が浅かった。

 胸元を緋線が斜めにはしっている。

 十握に気づいたキクルが叫んだ。

「おい、おっさん。ちょうどいいところにきた。おまえも手伝え」

「さて」

 十握の冷笑が深くなる。

「犬を躾けたところで採点になるわけではないですからねえ」

「見捨てるのか」

「外の出来事があって、どうして助けてもらえるとおもえるのですか?」

 身も蓋もない指摘にキクルは口ごもる。

「逃げてください」

 もうひとりの仲間であるポウルがピグムの負傷個所に手をかざしながらいう。

 声に覇気がない。魔法の酷使で疲弊している。

「いいのですか?」

「いいわきゃねえだろう」

 と口を揃えたのはキクルとピグムで、

「逃げてください」

 ポウルはくり返す。

 十握は微笑んだ。

「そういうことでしたら」

 十握は悠然と歩きだした。

 腐乱した犬のもとへ。

「そうだ、四の五のいってねえで、てめえはそこの犬っころとじゃれてりゃいいんだ」

「お静かに」

 キクルは尻もちをついた。右の太腿に長い銀毛が生えている。針であった。

 ロングコートが宙を舞った。

 十握は刀の鯉口を切った。

 居合腰に構える。

「尻尾を巻いて逃げるのなら見逃すこともできますが」

 腐乱犬はそれを挑発ととらえた。

 咆哮が耳朶を撃った。

 跳躍した犬へ銀線が迫る。面長の顔が縦に裂けたのは着地と同時であった。

 天井近くまで迫る緋液の奔流はまるでビーコンで誘導されたかのように障害物を避けるとキクルの呆けた面を直撃した。

「お名前は?」

 刀を振ってから鞘にもどすと十握は健気な少年に誰何した。

「――ポウルです」

「では、ポウルさん。先に進みましょう」

 十握はコートを拾うと袖を通す。季節がらまだ早いし、隠す必要のなくなった今となってはもはや無用の長物だが誰かの戦利品にするには惜しい。こちらの世界の服は中古か特注の二者択一で吊るし売りはまずない。コートは特注品である。十握なりの処世術である。長く使うものは、とりあえず高いものを買う。そうしておけば口やかましい連中にとやかくいわれないですむ。まだ、元いた世界の価値観に引きずられていて、こちらの十握は安酒場で管を巻く連中の服を剥ぎ取って着てもさまになることを失念している。

「そ、それは」

 ポウルが逡巡する。

 常々、粗暴なふたりと縁を切りたいと願ってきたがこういう別れはさすがに後味が悪い。

「やさしくなければ生きる資格がないとはいいますが、それも相手によりけりです」

 十握は鉄臭い池に溺れるキクルを一瞥するとポウルへ視線をもどした。

「この試験はあくまで個人の資格で申しこんだものですからパーティーである必要はないはずです」

「置いていくのか?」

 ピグムが歯を剥いた。

「あなたは胸の裂傷」

 繊指が胸元をしめす。

 それからキクルへ。

「過分な挨拶をちょうだいしたそこのク、もとい少年は足首の捻挫に右手の第二指のヒビと肋骨の骨折。擦過傷は数しれず。――肉体の損傷はこんなところでしょうか」

「――わかってるのなら」

 おれを助けろという二の句は凄愴な気に阻まれた。

「軽傷ですよ。わたしのいた世界では有刺鉄線やガラス片が刺さっても、肩を脱臼しようが靭帯を損傷しようが戦わない言い訳にはなりません(リングの上では)。あなたがたも冒険者の端くれなら比較的安全な場所を見つけて助けがくるまで時間を稼ぐくらいはできるはずです」

 十握が踵を返した。ポウルはふたりに軽く頭をさげると後を追った。

応援していただけると励みになります。

て、いうか、反応がまったくないとこれでいいのか不安になるんですよ。

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