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荒事はディナーの前と後で

 薄く音楽が流れている。

 この世界では貴重な音色に人々は目を細めて聞きいっている。

 軽く体を揺らしてリズムをとる者もいる。

 傾聴する者の視線の先――一段高くなった舞台で緋色のドレス姿の女性がアップライトピアノに似た楽器を演奏している。外観はそのものだが音色に改善の余地があった。ややテンポの速い曲は十握への配慮である。元いた世界で十握はタブレットで読書のさいにブルーノートをかけることが多かった。女性の表情が硬いのはまだ不慣れなのと上層部の緊張が伝播したためであろう。

「盛況ですね」

 十握は満足げにつぶやくと、食前酒に口をつける。

 十握はレストランにいる。

「シュプール」という名である。

 命名者は十握である。請われたのである。失礼な話だがまったく浮かばなかったのでサウンドノベルの金字塔にでてくるペンションの名を拝借した。でなければ、八王子や名古屋くらいの降雪量の地で「スキーで滑った跡」はないだろう。説明のさいは知人の名だとごまかした。

 客席は保険の予約席を除いて埋まっている。

 これまた失礼な話だが、十握はサングラスに帽子を目深にかぶったままである。

 十握の意志ではない。店側の要望である。

 周囲の客への気づかいであった。

 連れ合いが陶然と頬を赤らめて十握に見蕩れていては支払いが莫迦らしくなる。

 アーチーの愛人が経営する店である。

 正妻は没落するやいなやアーチーに三行半突きつけて逃げたのだから恋人か。

 アーチーがお膳だてした。

 くすぶっていた時に支えてくれた礼と、囲っている女性が間口の狭い小料理屋では沽券にかかわるというのが理由である。

 十握も出資した。口を挟むためである。アーチーが甘い顔をいいことに、放漫経営で関係者の顔に泥を塗るようなことがあっては貫目を落とす。とはいっても細かく指図するつもりはなかった。要求は三つである。ひとつ目がそこらの酒場で流しのように吟遊詩人が安っぽい歌を歌うのではなく、目の肥えた上流階級にも通じる本格的な演奏を提供することである。アップライトピアノは、無論、十握の発案である。ピアノなら独奏でも貧相の誹りは免れる。各工房に部品を発注して、信用にたる者に組みたててもらった。

 演奏者は公募である。

 見たこともない楽器である。ものになるまで相応の時間を要するとおもわれたが、そこは剣と魔法のファンタジーの世界である。ふた月ほどで形になった。在野にも宮廷楽団に匹敵する腕っこきはいる。音楽の世界も世襲が幅を利かせている。空き枠は少ない。海のものとも山のものともわからない楽器でも、顔を売る契機になるかもしれないと志願する者は多かった。

 過程で意外な発見があった。

 十握は音楽に疎い。

 流行りの歌はCMで知るレベルである。

 触れた楽器は学生時代のリコーダーどまりである。

 なのに、ピアノの設計図や楽譜が脳裏に浮かんだ。

 優秀な体を受肉したおかげで記憶が明瞭に蘇るのだとおもっていたが――凡夫でも独房に閉じこめられると昔に観た映画やドラマがおもいだせるようになるという。異世界の孤独はさぞ灰色の脳細胞を刺激するに違いない――しるはずのない知識が浮かぶとなると……アカシックレコードのようなものに繋がっているのかもしれない。ただ、脳を酷使する能力のようで、ピアノ関連の知識を絞りだした翌日は心因性発熱で店を休んだ。アップライトでこれである。グランドピアノだったら超能力ものの登場人物のように頭を抱えて「頭がいたいよ」と地べたを転げまわったことであろう。

 ふたつ目は常連客が手元不如意の時やものは試しとくる人向けに料理をふた皿ほど減らしたリーズナブルなコースを用意すること。要は囲いこみである。

 そして最後はもっとも重視したことで、文化人のサロンには絶対にしないということである。

 鼻持ちならない選民意識を振りかざして舌鋒鋭く他人を批判するが、じぶんの発言には一切の責任をもたない二枚舌は、結婚式で教会の窓を叩く男の次に嫌いであった。

 三人で食事している。

 ふたりは新人研修で十握の癒しとなった猫耳の少年といっしょにいた金髪の少女である。

 彼らに非がないとはいえ、騒動の発端には違いない。新人冒険者らしくギルドで食費を浮かすのは――宿の食事より安くてボリュームがあった――抵抗があるはず。そこで十握が誘ったのである。当然のことだが料金は十握持ちである。

 惜しみのない拍手が店内を席巻した。

 演奏が終わったのを見計らって支配人が挨拶にくる。

 髭を蓄えた渋い男である。

 右足をややかばうように歩くのは前職の名残りである。元は冒険者であった。

 よんどころない事情でパーティーが散り散りなってから単独でできる軽い仕事と酒場の用心棒で糊口を凌いでいたのを、愚直な性格を買った十握がスカウトしたのである。

 またぞろ冒険がしたくなったらいつでももどってかまわないといってある。

 彼を不憫におもうギルド職員の勧めであった。

 馬子にも衣装とはよくいったものである。

 燕尾服がさまになっている。

 彼をしる者はその変貌ぶりに一様に目を見開く。つい、先日まで草原で野宿していた者とはおもえない品がある。そして、観葉植物や絵画のリース業者の出入りがないことに気づかない節穴は――布のおしぼりは供している――彼を柔弱者と侮った結果、裏口から退場した。昨晩、ベッドを共にした相手でもそれとわからぬ風貌であったことはいうまでもない。

読んでいただきありがとうございます

ちょっとだけ愚痴らせてください。

アクセス数がいまいち、伸びませんね。

投稿数が多いので埋没してるのでしょうかね。物語そのものは他と引けはとらないものと自負しているのですが。

それではまた次回にお会いしましょう。「ダンジョンに出会いを出会いを求めるのは間違っているのだろうかⅢ」を観ながら。

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