選り好みのできない二者択一
顎尖りは孤立した。
憐憫の情が自業自得に変わる。
ひと目で十握の力量を見抜けなかったのは仕方がない。常識の枠外にいる人物である。彼が街にきた当初はただの色男と舐め腐ったチンピラが尻を貸せや金をよこせやエイリアとの仲をとりもてと凄んでは肋骨の十本もへし折られたものである。だが、しかし、周囲の反応から剣呑な相手と察せずに、あまつさえ暴言を吐くなど冒険者以前に人間失格である。
「ん、どうした? 図星で声もでねえってか」
匹夫の勇で顎尖りは風向きが変わったことに気づかずにいる。
「あなたのパーティーはここにいますか?」
「ああ、あそこにいるぜ」
顎尖りが指さす先、革の鎧を纏って剣を腰に差す猪首の男と弓を携えたやせ型の男がいる。気息を絶っていたふたりの相貌に困惑がありありと浮かぶ。類は友を呼ぶの類型で、鉄火場でくすぶってそうな粗野な面構えではあるが、三十センチと離れていない隣席の緊張が伝播したらしくことの重大さが理解できたようだ。
「それは重畳。仄聞だとなにをどう伝わったのか逆恨みするかたがでてきますので」
「――なにをぬかしてやがる?」
十握は顎尖りの問いを無視した。
「顔と腹、どちらにします?」
クレアと話していた時となんら変わらぬ穏やかな口調。だが、いあわせた冒険者たちは背筋を氷が這う感覚に肩を――いや、彼らだけではない、現場を目撃していない二階の者や老獪なギルド職員の如才ない追従に気をよくしていた三階の大口顧客までが寒気に身震いしたではないか。
慌ててたちあがったはずみでスプーンを落とした小柄な男が、隣の魔法職らしき女性に色鮮やかな布を巻きつけた杖で頭をしたたかに殴られる。小柄な男は黙して痛みに耐える。
「選べませんか。では、どうでしょう、その贅沢な悩みを両方かなえてみるというのは?」
「しゃらくせえ」
顎尖りは剣に手をかけた。その澄ました顔を切り刻めばさぞ気が晴れることだろうが、残念ながらギルド内の刃傷沙汰は厳禁である。前に禁を破った者はよってたかって袋叩きに遭った。倒れるまで殴られて起きあがるまで蹴られた。
禍鳥のような咆哮。
鳩尾を突こうとした柄頭はたおやかな手に阻まれた。
顔と腹に連撃を受けた顎尖りは弧を描くと、まるでマリーセレスト号のようにスープが湯気をたてている無人の席に衝突した。
顎尖りは器用な男であった。
背中から倒れたのに鷲鼻があられもない方向に曲がっている。じぶんの膝があたったのだ。
涙を流して苦悶する顎尖りの相貌が翳った。
十握が睥睨する。
「次は膝でも潰しましょうか?」
「許してくれ」
「いいでしょう。同じ冒険者のよしみですからね。二度とふたりに手をださないことを誓いますか?」
「ああ、誓う。女房と子どもにかけて誓う」
「では、奥方と子の前であなたがたが担保になったことを宣言してもらうとしましょう」
「――それは」
「いいだしたのはあなたですよ」
玲瓏たる相貌に酷薄な笑みが広がった。
「幸運に感謝するのですね。同じ黒ずくめでもわたしが俗なタイプでしたら、見え透いた嘘をついたかどで一族郎党飼い犬から二次元嫁まで鉛の座薬を進呈するところです」
そう元いた世界での趣味がまるわかりな、しかし、この場の誰にも伝わらない言葉を紅唇が紡ぐと、
「溜飲はさがりましたか?」
猫耳の少年と金髪の少女に訊く。
ふたりの頭がなんども上下するさまに十握は水飲み鳥を連想する。贅言だが、実用性皆無のガラス細工がエイリアの店に置かれて婦女子の人気を博すのは近々の話である。
「出口はあちらです」
顎尖りが脱兎の勢いでギルドを飛びだした。
ドアが罵声を遮る。
ろくに前も見ずに突っ走ったせいで商品を運ぶ大八車と接触事故をおこしたのである。
――沈黙。
人々は塑像のように固まっている。
十握は周囲を見回すと小首を傾げた。
「クレアさん」
「は、はい」
カウンターの裏に隠れていたクレアがバネ仕掛けの人形のように勢いよく飛びあがる。
乱れた銀髪を手櫛で直しながら、
「――なんでしょう?」
「こういう場合、お調子者が脈絡もなく隣の頭を殴って乱闘騒ぎになるものでは?」
「な、なりませんよ。どこですか? そんなクズのたまり場は?」
慌てて口を押さえたが後の祭りである。クレアは蒼くなる。
荒事の後である。興奮している。気がたっている。普段ならどうってことのない軽口が原因で耳がちぎれたり、眼底を骨折したり、果ては冒険者を引退に追いこまれた者をクレアは職業柄、ダース単位で目撃してきた。冒険者に品行方正なふるまいを期待するのは、カエルに人の言葉を話せと強要するに等しい。教養が必要になるのは功を遂げたひと握りである。極論すれば冒険者は腕とギルドへの忠誠心と最低限の常識があれば務まる。性状は二の次。犯罪者か冒険者の二者択一に悩んだ者もいるだろう。冒険者は大型のペットと同じとおもえというのが先輩職員の教えである。どんなに気心のしれた間柄であろうと気分次第で喉笛に牙をたてんとする。
「あの、その」
どういい繕うべきかクレアは焦るがそれは杞憂であった。十握は意に介していなかった。目障りな羽虫を手で払ったくらいの感覚である。ま、本当に羽虫であったなら世紀末の額にハートの墨をいれた巨漢のように素っ頓狂な声をあげて殺戮機械に堕ちたかもしれないが。
「そうですか」
十握は頷いた。
「ここは存外に理性のある人たちが集まっているのですね」
侮辱もいいところだが、誰も顎尖りの二の舞はご免なのでいわれのない中傷を甘受した。
十握は奪う命に敬意を払うタイプなので、安価な鉛の座薬の出番はなさそうです。
「額に穴を開けてどっちが尻かわからないようにしてやろうか?」
こういう俗な科白は大好きなので使えないのがちょっと残念です。




