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貧すれば鈍する

 怒鳴り声が耳朶を撃った。

 それもあらゆる方向から一斉にである。

「やけに雰囲気が悪いですね」

 足を踏みいれた時から気にはなっていた。

ドアが開くやいなや値踏みする視線が訪れる者を槍衾にする、およそ友好的とはいいがたい職場環境ではあるが、それにしても今日は特に殺伐としている。

 一般客の数が少なかった。やむなく訪れる者は目をあわせないようにうつむき加減で階段を駆けあがる。二階が一般用の窓口である。まるで冒険者を野性動物かなにかと見なしているよう。ついでにいうと三階はギルド長の執務室と大口顧客用の応接間がある。ガタイのいい者が集うギルドは天井が高い。ギルド長からして長身である。エレベーターがない三階は不便なことこの上ないが、階級社会では座布団の差を明白にするためにあえて利便性を捨てることもある。

「月末が近いので」

「なるほど」

 金策に追われているのだろう。剣や鎧の修理代といったまっとうな理由から、二足の草鞋を履く者なら本業の不振、果ては放蕩とさまざまな理由ですかんぴんの者は多い。

 一階の酒場のツケも莫迦にならない。塵も積もれば山である。返済が滞るとペナルティーがある。飲食代が払えず降格などいい笑いものである。遮二無二になって依頼をこなす。選り好みはいってられない。人気のない依頼が捌けるのでギルドは歓迎している。だから、気安くツケに応じている。飛ぶ者は稀である。三十六計は鮫の眼前で血を流すに等しい。ギルドの組織網の前ではリチャード・キンブルでも形なしである。

「とめないのですか?」

「そのうち静かになりますよ」

 クレアはそっけない。

 ここの連中は総じて腰が重い。口論や喧嘩は日常茶飯事である。いちいち目くじらをたてていたらモンスターと相対する前に胃に穴が開く。ちょうどいい暇つぶしと傍観する気概がなくては冒険者など務まらない。と、いうか、力があればあるていどの道理が引っこむのが冒険者稼業の醍醐味である。スラム街の悪党と発想は大差ない。あくがつよい連中が鉢合わせする場で仲よしこよしは土台無理な話である。素手ゴロならどうぞお気のすむままに。剣や魔法で周囲に累がおよぶようになってようやく、

「迷惑だからよそでしな」

 と威嚇する。あるいは問答無用で叩きのめしてから外に放り投げる。

「あれはどうおもいます?」

 オニキスを嵌めこんだような黒瞳が見据える先――常設依頼の薬草や繁殖力が強くて間引く必要のある小型モンスターの買い取りカウンター付近で顎の尖った男がじぶんより年がひと回りは下のふたりに食ってかかっている。

「見ていて気分のいいものではありませんが、とめにはいるほどのことでも」

「わたしはじぶんがおもっていたより不器用なのかもしれません」

「――?」

「ふたりは今朝のわたしの教え子です。たとえ短い時間でも、わたしが指導した者がわたしの眼前で理不尽な目に遭うのは我慢がならない」

 十握は踵を返した。

 あんなのでもそれなりの戦力にはなるので原状回復できる範囲でおさめてくださいね、というクレアの嘆願は周囲の騒音に掻き消された。

「その辺で矛をおさめてもらえませんか」

 十握は両者の間に割ってはいった。

「なんだ、てめえ」

 顎の尖った男が舐めるように十握を見る。

 動揺は薄かった。

 銀行に襲撃するようないでたちではいかに窈窕たる美丈夫でも魅力は半減するというものだ。

 十握はサングラスに帽子を目深にかぶっている。

 帽子は寝癖を直す時間を惜しんだのである。出遅れて夜間手数料をとられるのが業腹なのだ。元いた世界とは違ってすべて手作業なのでそれくらいは仕方がないと頭ではわかっていてもいったん身についた価値観はなかなか抜けきらないものである。寝起きだが無精髭はない。そもそも生えてこない。髭が男の威厳の一翼をになっているこちらの世界だが、天上におわす神はその状況に不服のようだ。

「あいつ、藪を突いて蛇をだしちまった」

 酒をチビチビと飲りながら事態を静観していたベテランらしき傷面がうめくように呟いた。

 憐憫の情が顎尖りに集中した。

 無知は不憫であった。

 顎尖りは長期の輸送警護からもどってきたばかりでこちらの事情に疎かった。

 そして、不幸なことになまじ腕がいいだけに他者を見下す癖がついていた。

 十握は顎尖りの威嚇などどこ吹く風で、

「午後も休まずに薬草採集とモンスター狩りに精をだすとは感心です。ここはわたしが話をつけますから、換金を済ませてきてください。ぐずぐずしていると夜間手数料を取られてしまいますよ」

 猫耳の少年と金髪の少女は十握に一礼するとそそくさとカウンターに向かう。

「おい、勝手に話をすすめるんじゃねえ」

 酔っ払い特有の細かく区切る喋りかた。相貌からはわからないが、すでにきこしめしているようだ。

「話し相手はわたしがつとめます」

「餓鬼どもの代わりに頭をさげるってか?」

「ふたりに非があれば」

 十握は微笑んだ。

「それで、まずは事情を把握しようとおもいますので、あなたが彼らに当たり散らすようになった経緯をお聞かせ願えますか」

 明白な慇懃無礼である。

 顎尖りが口ごもる。

 主張できるわけがなかった。

 ただの難癖である。周囲の関心が集まるなかでそれをいえば待っているのは失笑だ。

「てめえには関係ねえ」

「カミーラさんがもどるまではわたしが新人冒険者を保護することになっています」

「わけのわからねえことぬかしてるんじゃねえ。教育係に保護責任なんざ聞いたことねえぞ」

「袖すりあうも他生の縁というやつですよ」

「なるほど、そういうことか」

 顎尖りが下卑た笑みを浮かべる。

「あれか、とびっきりの色男ともなると普通の女に飽きてガキが欲しくなるんだろ? それで歓心を買おうとしゃしゃりでた、そういうことだろ? 変態野郎が」

 キンと空気が凍った。

最近、漫画や本を読んでいると、どこからが過激な表現なのかわからなくなるときがあります。


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