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重役出勤

 まっすぐパン屋にもどるとベッドに突進した。

 さすがに今回ばかりは寝つきはよかった。泥のように眠る。

 目が覚めたのはせっかちなヨタカが夜の訪れを先触れする夕刻である。

 十握は急いでギルドへ向かう。

 中途半端な時間なので人はまばらである。

 ざっと掲示板に目を通すと窓口へ。

 担当するクレアの上質な紙のように白い肌がうっすらと上気している。

 職員のなかでもっとも克己心があるという理由で彼女が事実上、専従である。

 しらなければ貴族の令嬢と見紛えるあどけない顔して海千山千の猛者の誰よりも肝が据わっているのだから興味深い。場所柄を考えればすぐにわかりそうなものを、炭水化物よりアルコールを優先して脳が疲弊しているくすぶりが童顔と舐めてかかって離乳食から仕切りなおすケースは、身を持ち崩した役人やお店者の参入が増える春の風物詩である。

「つまらないものですが」

 カウンターに置かれた紙箱の中身をクレアはそっと確認した。相貌はそっけないままだが、ルビーを嵌めこんだような深紅の瞳は喜悦を湛えている。

「みなさんでわけてください」

「いつもありがとうございます」

 書類に目を通すふりをしてちらちらとこちらを窺っていた女性陣は素直であった。

 強く拳を握って喜びを体現している。

 紙箱の中身はビスケットである。

 十握が趣味で焼いたものだ。趣味だから本気である。自重もへったくれもない。素材はすべて選びに選び抜いている。使う水は富士の湧水をイメージした。中京の某有名な菓子を参考に餡子とリンゴのジャムを挟んだ。異世界ものの定番、味噌と醤油ではなく、真っ先に渇望したのが砂糖をふんだんに使った焼き菓子というのだから意外である。元いた世界では土産にもらったクッキーでさえ持て余していたのに。うまいは甘いといった北大路魯山人の言葉が今ならよくわかる。すべての料理に砂糖が使えるということがどれほど幸せなことか。こちらの世界で砂糖は貴重だ。下手すると薬品扱いである。甘味はもっぱら麦芽糖である。それとて使える量はわずかである。昭和の結婚式は鯛の形のパックに詰められた砂糖の引き出物があったそうだが、同じく餓えていたのかもしれない。

 差しいれである。

 露骨にいうと餌付けであった。

 大枚はたいても贖うことのできない品を十握が手ずから渡す効果は絶大である。

 ギルド長が十握を広告塔にしようという向きがある。イメージアップの広報活動くらいなら――君も冒険者を目指さないかのポスターのモデルくらいならやぶさかではないが、出世欲が服を着た人物である。ラウド支部を代表して武芸大会に参加しろくらいいいかねない。

 ギルドはモンスター討伐と警備と金融で荒稼ぎする巨大組織である。寡占は軋轢を生むと金融は自制しているがそれでも大手の両替商が束になってもかなわない規模である。

 貿易商が他領の新規と安心して大口の取り引きができるのはギルドの仲介があってこそである。ギルドは広い人脈を有し、情報収集と分析能力は国家機関に匹敵するといわれている。

 そのギルドの有力支部の長ともなれば影響力ははかりしれない。表向きは別として、つつがなく任期を終えて中央にもどることが第一義の顕官より隠然たる力を有している。

 なので、無下に断ると角がたつ。かといって情に棹さして流されるのは主義に反する。男性職員は盲従していて使いものにならない。現役時代の彼の雄姿に心酔している。よって男の自慢話にとんと興味がなく、荒くれ冒険者と丁々発止のやりとりができて、郷里の両親の無心を、

「酒代と家の増改築は小麦の売りあげから捻出してください」

 と木で鼻をくくる態度で断ると同時に、呼び寄せた妹や弟たちに仕事と学ぶ場を斡旋するたくましくも聡明な彼女たちにうまく諫めてもらう必要があった(全員が浅黄裏というわけではないが)。

十握はすべての書類に目を通すと署名した。

「お疲れさまです」

 クレアがいう。元いた世界の口やかましいヒステリック創作マナー講師なら喰ってかかる科白だが、曲学阿世の徒は文字通り首が飛ぶ世界なので騒ぎたてる者はいない。

「報酬はいつものように振りこみですか?」

「手持ちがないので金貨五枚お願いします」

「銀貨と銅貨を混ぜることもできますが」

「そのほうが使い勝手がよさそうですね」

 元いた世界でさえ、一万円の支払いに顔をしかめるタクシーの運転手や総菜や弁当の宅配員がいたのである。金貨の支払いではつり銭に困る店もあるだろう。

 トレーに乗った貨幣が枚数ぶんあることを確認すると十握は財布にしまった。

 贅言だが、トレーは優遇の証である。

 一般的な冒険者の場合は直にカウンターに置く。元いた世界のVIPルームに重い灰皿が置いていないのと同じ理由である。報酬の多寡で揉めることは珍しくない。そんな時に手の届く範囲に硬い物があったら。その点、十握は不平を唱えたことはない。勤労意欲に難は大いにはあるものの、受けた依頼はそつなくこなすので満額かボーナスの加算かのどちらかで揉める要素が微塵もなかった。

 これで食事にありつける。十握はひと息つく。

 エイリアは義理がけで出払っている。勝手に台所をあさるのは気が引ける。金もないのに賭場に出向いておっとり刀で駆けつけるアーチーを尻目に皿に残ったソースをパンで拭う芸当は十握には荷が重い。

 

 

十握が甘味に餓えている設定は、なにかの本で刑務所で甘い味付けのものが甘シャリと珍重されていると書いてあるのを読んだもので。

砂糖が高価の世界にいたら囚人のように渇望するのではないか、囚人が出所したその足でコンビニでチョコバーを買って貪るように自作の菓子にかぶりつくのではないかと愚考しました。



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