なりすまし
「ここです」
アーチーが案内したのは建て替えの時期をとっくに逸した古い木造アパートであった。
「ご苦労さま」
十握がねぎらう。
「後はわたしひとりで充分です」
「せっかくですから最後までつきあいますよ」
「見ていて楽しいものではないですよ」
「慣れてます」
「ですね」
踏み板の狭い外階段をのぼる。
軋む音がまるで悪いことはいわないから引き返せと警告しているようであった。
アーチーが欠伸をかみ殺す。
「夜討ち朝駆けとはよくいったもんですが、さすがにこの時間帯は初めてです」
明けの明星に相当する星が曇天の隙間から顔をのぞかせている。こちらの世界は朝方なので大多数の住民は夢の世界にいる。他にすることがない。夜なべの内職は照明代で足がでる。大衆的な飲み屋が比較的遅くまで営業できるのは――そうはいっても午後八時くらいまでだが――サービス料の加算と憂さ晴らしがないと不平がたまってよからぬことをしかねないという上の配慮で税が優遇されている。サービス料――照明代を惜しむ者は昼間に飲む。昼キャバに相当する店はあちこちにある。贅言だが、元いた世界もアセチレンガスの光が闇を駆逐する前は夜道の危険性もあって昼の宴会が一般的であった。
「意外ですね」
「夜は書き入れ時なので雑用は明るいうちにすませてます」
アーチーは表向きはクリーニング屋だが、本業は賭場の貸元である。先代の急逝で燻ぶっていたところを十握のてこ入れで金持ち専用のカジノになってから羽振りがいい。十握に心酔している。今回の件も他の連中には任せられないといって強引に案内役を買ってでた。腹心たちは諦めている。事実、裏家業の者にしては人好きのする相貌でかつ肝の据わったアーチーは腕力偏重の部下より適任であった。
「近頃はいろいろとたてこんでまして」
「ま、善は急げといいますから」
「ただの仕事ですよ」
「またまた、ご謙遜を。あんなはした金でこんな面倒なことを引き受けるのは街中探したって十握の旦那以外にはいませんよ」
「十握でいいですよ」
「呼び捨てはいくらなんでも。十握の御前というのは?」
「旦那でお願いします」
パン屋の二階を間借りする、旅行で鎌倉に行っただけの者にその尊称は重すぎる。
「一般的な価値はともかく、月収の五割を一括で払うとなるとそれは大金です」
「そういうものですかね」
「そういうことにしてください」
女性と見紛う、いや、それ以上に美しい、たおやかな手がドアノブを包むと音もなくドアは開いた。
「旦那、鍵はどうやって?」
アーチーが目を丸くする。
どんなに堕落した生活を送るチンピラであろうと酩酊するほど飲んでいようと、目と鼻の先にスラム街がある立地で鍵のかけ忘れはありえない。
「至誠天に通ず、ということで」
「かないませんな」
アーチーが持参したランタンをかざす。高級品である。魔法が付与してあって輝度が増している。
土足であがりこんだ。ま、こちらの世界は土足厳禁の場所のほうが珍しいが。
元いた世界の格安ワンルームと大差ない間取りだが物がないので広く感じられる。
トイレは外にある。横着者や足腰の弱い者、夜目の利かない者はおまるを使用する。ついでにいうと過去に伝染病で凝りているので窓から糞尿を放り投げる莫迦はいない。いたら袋叩きに遭う。
騒々しい鼾に十握の眉根が寄る。
情交の痕跡を色濃く残したまま男女が熟寝を貪っていた。
「お邪魔します」
男が虚ろな目で十握を見る。状況を把握するまで少々の間があった。
まずは頬が上気する。
それから蒼へ。
「なんだ、てめえら」
男が飛び起きた。
「うるせえ」
股間から正中線を伝って脳を直撃する電気信号に男は声にならない悲鳴をあげる。
寝起きに元気なのもよし悪しである。
中ほどからへし折れている。
当分、商売道具は使い物になるまい。使う機会があればの話だが――。
「まったく、なん時だとおもってやがる」
脱ぎ捨ててある服で靴についた汚れを落とさんと奮闘するアーチーに十握はいう。
「それ、夜中に押しかけたわたしたちがいいます?」
「たしかに」
「とはいえ、いきなりあんなものを突きつけられたら腹がたつのはわかります」
「でしょう。先端が赤く剥けて糸くずつけてやがるんですから」
「彼、大丈夫ですかね?」
「これくらいで死にはしないでしょう」
「だといいのですが、我慢強いスケコマシは寡聞にして聞いたことがないので」
「ショック死の可能性は……否定はできませんか」
「数少ない自慢できるものが台無しになったわけですし」
「延命処置しますか?」
「睡眠時間を削ってまですることもないでしょう」
「ま、惜しい命でもないですしね」
そういうとアーチーは眠い目をこする。
「あんたたち、泥棒……いや、こんなところに盗みにくるのはいないから借金取りかなにか?」
まるで喫茶店でくつろいでいるかのようなふたりのやりとりに女は毒気を抜かれている。
あか抜けない女であった。磨けば玉になりそうな素材であるからラウドに来て日が浅いのだろう。ろくでなしからしたら格好の獲物である。
こちらは男と違って下着姿であった。
実用本位のそれは元いた世界なら中学生でも遠慮する野暮ったいものである。極小の生地に大枚を払えるのは不労所得のある特権階級か必要に迫られるプロくらいである。
「そのように見えますか?」
「全然、見えない」
そういうと女は紙巻煙草を咥えるとかろうじて灯っている燭台で火をつける。
けだるげな仕草。元いた世界の待機時間をパチンコ屋で潰す女が背中に犬をデフォルメしたジャージを好む男に感化されるのと同じでやさぐれている。
こちらの世界では懲罰的な意味合いの課税はないし、栽培が難しい作物でもないので煙草は安く買える。誰でも栽培できるので、小さな白い花を愛でるために庭に植える者もいる。
一条の紫煙が薄くたなびいている。
都会にきて男をしった女は肝が据わっていた。
暗がりというのもある。もし、邂逅が白日の下であったなら、十握がサングラスをはずしていたら、窈窕たる美青年の前で情交の痕跡をさらしたことを深く恥じたはずである。
「隣は見えなくもないけど」
「ちょっとした人助けですよ」
十握は微笑した。
うーん、アクセス数が伸び悩んでますね。
他のかたがたはどうやって伸ばしてるんでしょう?
せっかく書いたのですからひとりでも多くのかたに読んでいただきたいものです。




