行きがかり
歓声がかまびすしい。
特に黄色い声援が際立っていた。
場所柄、客は男が圧倒的である。その差を覆すとなると喉が張り裂けんばかりの大音声であった。
実況が煽りに煽った結果である。
十握は試合にでることになった。
飛びいり参加である。
滅多にないことだが、ミューゼム男爵の豚もとい鶴のひと声とあれば胴元は従うよりない。
「その目を隠してるの……サングラスといったか、そいつは外さんでいいのか?」
セコンドについた男が訊く。左目に眼帯をしている。禿頭で背が低くガニ股である。およそ見栄えのする容姿ではないが、格闘技場のセコンドで彼ほど頼もしく見える者はいまい。
「おかまいなく」
「そうはいうがな、視界は悪いし、そんなもんつけたままで殴られたら失明するぞ」
なおも食いさがるセコンドに十握はサングラスを外してみせた。
しばしの沈黙。
十握が指を鳴らすと、
「ルールを説明するぞ」
塑像のように固まっていたセコンドが職務をおもいだして早口でまくしたてる。
「魔法は禁止だ。こんな狭いところで炎や風魔法をぶっ放されちゃかなわねえからな。身体強化とかは客に迷惑がかからねえでバレねえなら――光るとかしねえのなら好きにしな。後は単純だ。四の五のいわずに相手をぶん殴れ。ぶん殴って相手が倒れるか負けを認めたらおまえさんの勝ちだ」
「蹴りは?」
「当然、ありだ。ただし、蹴りはリスクが高いから使いどころを間違えるな」
吐き捨てるようにいう姿から察するに、お調子者が不用意に踵落としやハイキックを繰りだして墓穴を掘った先例があるのだろう。
「反則事項は?」
「こいつはエキシビジョンだぜ。細かい決まりはない。そうだな、眼球に指を突っこむとか睾丸を握り潰すとか、背骨をへし折るのはやめとけ。死合は水っぽくていけねえ。――もちろん、頭に血がのぼった莫迦がしかけてきやがったらその限りじゃない。生きてることを後悔するような目に遭わせてやんな」
「物騒ですね」
「じぶんから危険な森や迷宮に潜ってモンスターを狩る腕自慢がわんさかいるんだぜ。生半可なことやってたんじゃ金はとれねえってことよ」
目が肥えた客が多いらしい。
「なにかアドバイスはありますか」
「神に祈れ」
「信仰は金がかかる」
「だったら、じぶんを信じろ」
――時間になった。
呼ばれて十握は中央に進む。
金網で仕切られたその一画だけ土間になっているのが運営のせめてもの配慮だとしたらリングドクターの腕は推して知るべしである。
魔法具であろう、やけに歪んだ声が上空から降り注いで観客の嗜虐心を励起する。
光輪に十握の姿が浮かぶとどよめきが場内を席巻した。
飛びいりが巷間の噂よりはるかに美しかったことに。
そして、それが近い将来に見るも無残な姿へと変わり果てることに。
対戦相手は容貌魁偉な男であった。身長は二メートルを優に超えている。太ももにいたっては女性の平均的なウエストより太い。およそ食糧事情が元いた世界よりいいとはいえないこちらでなにを食えば、食費にいくらつぎこめば、ここまで成長できるというのか。
炯々と光る双眸は情欲の意思を湛えている。
「ブルータス、おまえもか」
十握は長嘆した。
「――おまえ、人間……なんだよな?」
容貌魁偉の男――ゴランと紹介があった――が訊く。
「一応、そうなりますか」
一応と言葉を濁したのは十握も自信がないからである。
「エルフでもここまできれいな野郎はいねえぞ」
「では、ハイヒューマンということで」
「はは、伝説の種族ときたか。ま、そういっといたほうが他人は納得するかも、な」
左フックは空を切った。
「ほう、逃げ足も人間離れしてる」
不意打ちを避けられてもゴランに動揺がないのは一発でしとめて客の興を削いではならないと加減したからであったが、十握の挑発に彼は魅せることを放棄した。
「あなたは人間ですか?」
「体がでかいからよく間違えられるがそうだ」
「いえ、残念な顔にしては堂々としていられるのでてっきり美意識の異なる種族のかたかと」
キンと空気が凍った。
憤怒が碁盤に目鼻をつけたようなシンプルな造作を緋に染めた。
「その科白は高くついたぞ」
ゴランは突進した。
存外に機敏であった。
ゴウゴウと風が唸る。風圧に黒髪が激しく揺れる。
ゴランが畳みかける。
十握は逃げの一手である。
二メートルを超す巨躯から繰りだされる攻撃である。一発でも喰らえば大きなダメージを負う。両腕を交差させて受けとめれば丸太で殴られたかのような衝撃にしばらくは腕が痺れて使いものにならないはず。
客の望む力の力のぶつかりあう展開からはほど遠い内容である。
これが普通の試合であれば野次が飛ぶところだが客は固唾を飲んで見守っている。
奇妙な感覚が彼らをとらえて離さない。
しばらくすると違和感の正体が判明した。
あべこべなのだ。
紙一重でかわす十握が涼しげな表情に対してゴランは疲労の色が濃い。肩が上下している。体力に絶大の自信のあるゴランでも攻撃がことごとく避けられるストレスには脆かった。
三分ほど経過したところで、
「そろそろ頃合いですかね」
十握は足をとめた。
絹を裂くような悲鳴が耳朶を撃つ。
呟きが届くはずもないので、客は疲弊が足にきたとおもったのである。
ゴランが残る力を振り絞って繰りだしたストレートを十握は右手で上に弾いた。
ダンと力強い足音がした。
左肘がゴランの鳩尾に刺さった。
ゴランは胃液を撒き散らすと地面で身悶えしている。さぞ苦しかろう。顎を殴られたのと違って腹で気絶はまずない。おや、九孔から緋液が流れている。手加減したつもりだったが肘打ちにうっかり気――魔力がこもっていたらしい。一応、補足すると魔力は憎悪をこめるか癒しを求めるか放つ者の感情しだいで毒にも薬にもなる。魔術師が攻撃職と回復職に二極化することからわかるように大半はどちらかに才能が偏る。十握は、無論、攻撃である。
「旦那と子どもが豚の品評会で留守の間に節操のない奥さんが白豚引きこんだだけの話だろ」
某感動映画をこう評した朴念仁である。なまじ反論できないだけに性質が悪い。
とはいえ、毒で瀕死のピラトを救ったことからわかるように桁違いの魔力を蔵した十握はなみの回復職を上回る能力を有していた。
「一回、使ってみたかったのですよね」
裡門頂肘。漫画で覚えた中国拳法の技である。
十握は戸板を運ぶスタッフとすれ違いに退場した。
「凄いな」
セコンドの声はうわずっていた。
初めての経験であった。
多くの戦いを間近で見て、じしんもかつては格闘家だったセコンドからするとゴランの勝ちは揺るぎないものであった。いや、大多数の客が十握を噛ませ犬とおもったはず。事実、ゴランに賭ける者が圧倒的であった。ゴランはその傲慢な性状が災いして客受けは今ひとつだが実力は折り紙つきである。将来が嘱望される傑物である。重量制限がないここでは体が大きくて動けるということがなによりの武器になる。ああ、それなのに、虫も殺さぬ顔の優男に赤子の手を捻るようにのされてしまうとは。
「では、失礼します」
「ひとつ訊いてもいいか?」
「なんでしょう。ホームズさん」
「そのホームズってのはなんだかわからんから置いといて――わざと時間をかけたのは? ゴランが舐めた口をきいたから満座の前で恥をかかせてやったのか?」
「そんなところです」
早々に片づけては客が消化不良をおこす。
十握は力を誇示するタイプではないが、おもてなしの心は持ちあわせていた。
だったら、プロレスのようにいくらか攻撃を受けてから逆転したほうが客受けはいいはずなのに、そこは存外に狭量の十握である、須臾という短い時間でもゴランを増長させるのが業腹であった。
某感動橋映画で涙したかたが怒りそうな感想ですね。
ハードボイルドは基本的に皮肉屋が動く話なのでこれからもこの手の表現は多いとおもいます。
そういう様式ということで目くじらたてずに軽い気持ちで読んでいただければ幸いです。
最期の一文は蛇足なような気がして今でも悩んでいるのですがみなさんはどうおもいますか?
感想お待ちしています。




