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悪者は地下に潜る

 歓声が沸いていた。

 ちぎった紙が吹雪のように宙を舞っている。

 観客は総立ちで勝者を称えていた。

 それが礼儀である。

 勝者を持ちあげて、敗者を慰撫する。

 力の限りをつくして戦った者は美しい。大損したと嘆くのは後でもできる。元いた世界の当確がでた与党議員に初手から詰問する、野党贔屓の新聞記者の真似ごとはここでは野暮の極みである。

 格闘技場である。

 地下にある。

 狭隘な階段は招かれざる客を警戒してのことだろう。

 金に目がくらんだ自殺志願者は雨後の筍のようにいる。公権力が動かないことも後押しになっていた。

 賭け事は知的ゲーム以外なら可。格闘技の大会は問題ない。むしろ、庶民の憂さ晴らしにもってこいと推奨されている。だが、双方を組みあわせることは禁止されている。武を重んじる貴族を愚弄することになるというもっともらしい理由だが、本音は貨幣経済で台頭した商人への当てこすりである。元いた世界の禁酒法と同じで独善的な者が権力を握ると不幸を撒き散らすという見本である。莫迦らしいのひと言につきるが、悪法もまた法である。封建社会で先例を覆すのは骨が折れる。かといって杓子定規に取り締まれば恨みを買う。ラウドは商都である。商人への当てこすりなど木っ端役人にできるはずがない。彼らが安い俸給の身でありながら体面を保てるのは鼻薬のおかげである。なので大っぴらに店を構えるのではなく、地下に潜って目立たないようにするぶんには黙認することになっていた。

 したがって露骨な賭けはしない。

 ファン投票という形で勝つとおもったほうを支援する。目論見通りになると金額に応じた絵画や絵付け皿などの趣向品を受けとる。後で指定された美術商へ持ちこんで換金するという寸法である。まわりくどいが、身持ちの固い人への贈答にも使えると存外に好評であった。

 窓ひとつない地下とはおもえぬ明るさである。恥ずかしがり屋の客がつけた蝶を模したマスクの小さなスパンコールがはっきりと見てとれる。外の街路灯と同じ物が天井で列をなして吊るされている。金が湯水のように湧く証左であった。

 十握とソフィーは貴賓室にいる。

 ここの主はミューゼム男爵である。

 ハルコン王国は男系社会だが、当主が夭逝ようせいして嫡統が幼少の場合は正妻がその座に就くことを許されている。子どもでは神輿にもならない。お役目は、無論、参勤で口上を述べるのもおぼつかないだろう。かといって当主の血縁者に代理を任せると簒奪の恐れがある、早々に養子にだされていて貴族の教養を持たぬ者だと佞臣ねいしんにいいように使われかねない――お家騒動を警戒してのことである。

 余談だが、緊急避難処置で当主に収まった夫人が愛人との間にもうけた子を世継ぎにすることは不可能である。家督相続は王の裁量権である。下手な小細工をすれば改易の憂き目は必定。権威を維持すべく王家の間諜が一罰百戒に相応しい贄を探している。それ以外は男と遜色ない権限を持つ。たとえ生物学上の雌であってもだ。

 ミューゼム男爵は醜怪な生物であった。

 カエルが上等な服を着ているという表現がしっくりくる。カエルはカエルでもウシガエルである。この手の肥満体にありがちな右に左に体がぶれる動きではなくまっすぐに歩けるのは腰を一周する鉄環の働きである。魔法具である。地磁気の反発で浮力が発生している。でなければ屋敷から外にでるのが大冒険となる。さながら、元いた世界の救急隊員が窓や壁を破壊してコーラとピザの結晶を運ぶように、屈強な男たちが歯を食いしばってベッドから馬車へ運ぶこととなる。

「まさか、街で噂の色男がわたしを訪ねてくるとはおもってもみなかったわ」

 下卑た笑い声をあげるとミューゼム男爵は舌なめずりする。舌も太っていた。

 その光景に十握は元いた世界の高級店にある好ましくない客を隔離するVIPルームを想起した。

「他領――それも王領だから慎重を期したつもりでもうまくいかないものね」

 ミューゼム男爵はそう呟くと、ぶ厚い肉の塊をフォークで突き刺した。しっかりと焼かれて固くなったそれをろくに咀嚼もせずにスパークリングワインで胃の腑に流しこむ。

 大きなゲップをした。まさにカエルのようであった。

 矢継ぎ早に魚料理に手を伸ばす。

 さすがは貴族さまである。面の皮だけでなく胃腸も丈夫にできている。

「手を引いていただけますね」

「いい男の頼みは断れないわね」

 皺が押し伸ばされた相貌に弄うような笑みが広がった。

「でも、その前にひと肌脱いでもらうわ」

ちょっと短いのはご勘弁を。


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