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掃き溜めに鷺?

 そこは陽光に忌避された土地であった。

 陰気な場所であった。

 水はけが悪く、早朝の雨の残滓が窪みにとどまっている。

 すえた臭いが漂っている。

 アルコールと体臭と安っぽい香水とそのすべてをたした反吐の臭いである。

 未開発地区である。

 ありていにいえばスラム街である。

 建物は総じて古めかしい。落書きや蜘蛛の巣状のひびがはいった壁が多かった。なんとか寄り添うことで倒壊を免れているのもある。

 建物から排出される蒸気を避けながら十握とソフィーは奥に進んだ。

 猫の額ほどの空き地で若者がボール遊びに興じている。

 バスケか? こちらを一瞥すると興味をなくしてボールに視線をもどす。

 スポーツに励む体力があるのだから無気力ということはあるまい。

 清潔な服を着た男女が闊歩している。それも見てくれがいい。鴨が葱を背負ってくるようなものである。普通は狙う。金品を奪い、慰みものにした後に売り飛ばす。ひと粒で三度美味しい。この街に奴隷制度はないがどこの世界にも人身売買を生業とするろくでなしはいる。ふたりは腕におぼえがあるから闊歩しているのだろうが――うっかり迷いこむなど、それこそ元いた世界で新婚旅行の夫婦がロスのスラム街をなんの気なしに散策して撃たれるくらいありえない――多勢に無勢である。それなのに彼らは見送った。ヒヤリハットなどという悠長なことがいってられないシビアな環境にいる者だけあって危険を察知する嗅覚は優れていたようだ。

 人の姿はまばらである。

 多くは仕事で出払っているのだろう。

 スラム街だから犯罪者ばかりとは限らない。

 城壁に囲まれた都市の欠点である。

 人口増加に対応できない。

 しかも、限られた土地の三割を貴族の邸宅と役所に奪われている。教会は一割弱である。

 ロープで引きずりおろされるその日を待ちわびる巨大な銅像も場所をとっている。

 封建社会ならではのがんじがらめの規制で平民が自由に使える土地は少ない。

 土地が高止まりしている。

 他所と較べて割高な宿泊費を節約するために、出稼ぎ労働者や旅行者が、それなりに懐は温かいが満室で部屋を借りられなかった者が――イベントごとがあると流入人口が極端に増加するのでこういうことがおきる――貧民窟の旅行者専用宿で手を打つ。快適からほど遠いがそれでも安眠できるのは宿泊費にみかじめ料がふくまれているからである。貧乏人の財布をあてにして地廻りの顔に泥を塗る泥棒は絶滅危惧種である。スリルを優先する怪盗はそもそも安宿に目もくれない。掛け捨ての保険みたいなものである。どこの世界にもやり手はいる。

 目当ての建物はこの辺りでは珍しい築年数の浅い瀟洒なホテルであった。

 ラウンジにいた露出過多の女性たちはストッキングを直す手をとめて十握を見る。

 恥じらっている。

 海千山千の猛者たちも凄絶な美を前にすると乙女心が蘇るらしい。

 サングラスをしてこれである。

 そのうち山岡頭巾や宗十郎頭巾が必要になる場面があるかもしれないと十握はぼんやり考える。幸い、顔に深手を負ったハンターや軍人が周囲に威圧感を与えないという配慮で顔を隠すことはままあることなのでスケキヨの面でも浮くことはない――というか、エルフやドワーフ、獣人に単眼種らが交わる交易の地では個性の範疇に収まる。

 ソフィーは数歩離れて他人のふりをしている。

 フロント係は、偶然、私用で出払っている。

 階段で二階へ。

 障害物があった。

 どちらも同じ単位で数えると四つである。正方形のローテーブルが廊下の中央に鎮座ましまし、それを三人の男たちが囲んでいる。カードゲームに興じている。この世界の者にしては珍しく椅子を使わずに胡坐を選んだのは退く時の手際を優先したのであろう。人相の悪さと着くずした服装が職種を物語っていた。

 手近にいた男が喚いた。

 表情と手の動きでいわんとすることはわかるが言葉は聞きとれなかった。

「わかりますか?」

「訛り……いや、異国の言葉みたいね」

「そうですか」

 十握が浮かない顔なのは言葉がすべて翻訳されるとおもっていたからだ。

 元いた世界の西方の神がバベルの塔を破壊したのと同じで、こちらの神もひとつの民族、ひとつの言葉、ひとりの総統フューラーはお気に召さなかったらしい。

 またぞろ外国語の勉強をすることになるのかもしれない。そうおもっただけでうんざりする。まだ、元いた世界の生活レベルから抜け切れていなくて通訳を雇うという発想がないのである。

「こういう時ってどうするの?」

 ソフィーが弄うように訊く。

「さて」

 十握は一歩前にでる。

「彼らの流儀にあわせてみますか」

 安易に胸倉を掴んだチンピラAの代償は大きかった。鼻骨と膝関節の砕ける音。苦鳴を漏らす暇はなかった。蹴り飛ばされて勢いよくローテーブルに突っこんだ。

 カードが飛び散った。

「ぶっ殺してやる」

 ショック療法でこの国の言葉が喋れるようになったチンピラBが突進した。

 姿勢が低い。

 体重差を活かして強引にマウントに持っていく腹だ。下卑た笑みを浮かべているのはくんずほぐれつする姿を想起したのであろう。だが、幸運の女神は美しい者を贔屓する。凡夫は出会い頭に前髪を掴まないと逃げられる。足元に転がる酒瓶に気をとられてわずかだが出遅れた。指が触れることすら叶わず、チンピラBは膝蹴りをもろに喰らって昏倒した。

 十握はカードを拾うと手首を返した。

 チンピラCは右目を押さえた。

 手から滑り落ちたナイフが床に刺さる。

 右目を押さえる指の隙間から緋液が溢れる。

 カードが眼球を直撃したのである。それが絵札でも慰めにはなるまい。

 絶叫にソフィーは耳を塞いだ。

「お静かに」

 こちらの世界でもっとも美しい指ががら空きの喉に触れる。喉は歓喜に打ち震え、他の皮膚は嫉妬に身悶えた。邂逅は短かった。頸動脈を摘ままれたチンピラCは意識を失った。

「見た目に反して容赦ないのね」

「レディーに指一本触れさせてはならないという一心で」

「場慣れしてるんだ」

 ソフィーの口調に非難はなかった。むしろ称賛している。荒事の後に軽口を叩く十握を好ましく感じている。ここはそういうところだ。

「不埒な男たちからエイリアさんを守ってきたソフィーさんも相当な腕前だとおもいますが」

「まあね」

 カチリと鍵の開く音がするとドアが開いた。顔を覗かせる女は艶のある褐色である。ガーニーの好みは白い肌だから、短期集中で肌を焼いたか化粧で地黒をごまかしていたのか。

 アーチーは大嘘つきである。

アクションシーンを書く時はジャズを流しています。

プレイリストのなかから適当に選んでいるので題名はわかりませんが、テンポが速くてどこか物悲しげなピアノの曲が多いです。


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